カーネーション
ノベルSS1>イノセントソネット
Anti Ideal
  1

 クラスの中でも、彼女は地味な女の子だった。
 中途半端に長い髪、中途半端に高い背丈、中途半端に細い身体。
 成績も運動神経もパッとしない。
 唯一のアイデンティティは、喋らないことくらい。

 挨拶をしても頷くだけで、答えを求めても首を振るだけの二者択一。
 存在感なんて幽霊のように希薄で、名前を出しても誰も知らない。
 僕もまた隣の席になるまで彼女の存在に気付かずに、たった三十六人のクラスなのに。
 顔のひとつも憶えられないその曖昧さは、しかし強烈に僕の心を射止めた。

 そして恋路の道程に彼女のアイデンティティをより深く捉えるようになる。
 誰にも話しかけず、誰とも触れ合わず、人の目の色ばかりを伺っている。
 まるで被虐者のように他人との関わりを拒む彼女は、しかし誰に虐げられているわけでもなく。
 笑いもしなければ泣きもしない彼女は、いつだってわりと幸せそうな顔をしていた。

 心の中で仔猫ちゃんと呼んでは、ひとつの仮説を立ててしまう。
 もしかして君は、僕にしか見えない僕の幻想なんじゃないのか?

  2

『もしかして君は、僕にしか見えない僕の幻想なんじゃないのか?』
 机を男女向かい合わせに組んだ給食の時間、僕は衆人環視の中彼女に尋ねた。
 だっていうのに誰も彼女を見ず、誰も僕を見ないという非日常。
 音のない食事を中断して、彼女は僕の目を見てから首を振った。

『冗談だよ。給食を食べる幻想なんて聞いたことない。だから君は、普通の地味な女の子だ』
 返事をせずに牛乳を飲んでは、食事の途中で飲み干してしまったらしい。
『失礼のお詫びに、よかったらやるよ。まだ半分以上残ってる』
 彼女の机に差し出しては、手を使わずに飲んでみせる彼女のうなじ。

「……おまえら、なにやってんの?」
 隣の席の男の子の声を筆頭に、クラス中が騒然となった。
 牛乳の譲渡と間接キスはこのクラスにとって大問題らしい。
「罰ゲームだよ。そんなに騒ぐほどのことじゃない」とその場を沈めて、放課後を待った。

 仮説は微塵も当たらずに、けれど微塵子よりは遠くもなくて。
 つまり君は、非日常を常とする異世界の住人なんだね。

  3

 二重鉤括弧で囲った台詞は口に出したものではなく、心の中で思ったことだった。
 衆人環視の中、わずかの時間見つめ合ったところで誰もふたりを見ないのは日常だ。
 なにも命令していないのに希望通りの動きをする方が非日常だろう。
 彼女は僕の幻想などではなく、実体を持った化け物だった。

 それはたとえば、人の心を読めるもの。
 瞳を覗けば心を暴き、他人に触れれば意思を伝えられる能力。
 誰にも話しかけない彼女は発声能力がなくて、誰にも触らない彼女は自らの能力を怖れていて。
 人の目の色ばかりを見ては、邪魔にならないように生きてきたのだろう。

 ―――などという幻想的な発想に至ることなく、僕は彼女の間接キスにひどく動揺していた。
「それも僕の指先で飲むなんて、唇は近くて、信用され切ってるって感じに隙だらけでさ!」
 机を叩いて興奮すること十分強、満面の笑みで机に突っ伏していると、ふと裾を引っ張られた。
 振り向けば、幻想のように存在感の希薄な彼女がそこに居た。

 ハズレと刻印されたアイスの棒を持って。
「ハズレ」と声に出して彼女は言った。

  4

 それは記憶に残らないような透明な声だった。
「っていうか喋るのかよ! 無口キャラクターじゃないのかよ!」
 目をそらして、それから一言も喋らない彼女。
 つぐんだ口は、時間の経過とともにその両端を上げていく。

 年齢に似合わない意地悪な顔をしたあとで、彼女は手を差し出した。
 自らの能力を怖れていない彼女は、心の言葉で意思を伝えるつもりらしい。
 などということは考えもせずに、彼女の身体に触れるぜヒャッホウ! という軽い気持ちで手を繋いだ。
 そして彼女の感情が僕に伝染して、それは四角い海のように静寂で澄んでいた。

 手を繋いだままの帰り道、彼女の敵に遭遇した。
 弱くて弱い彼女の代わりに身体を捧げて、殴打の末に『意思を叩き込む力』を全開で使って敵を倒した。
 曰く『死ね』と思うのでは敵の悪意を増すだけなので『死にたい』と思うことが有効手なのだとか。
 けれどそれはまた別のお話ということで。

 ―――でも待った、それは本当に別のお話なのか?
 それはたとえば、彼女が僕のことを『好き』と思って触れていたのだとしたら―――
(ss1-10.html/2004-06-26)


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short short 1st
01 カノンコード
02 恋の準備運動
03 へのもへ
04 灰かぶり姫のロンド
05 蜻蛉の翔べない日
06 そらのうた
07 カミナシノセカイ
08 琥珀のマナ娘
09 ラストテクノロジー
10 イノセントソネット
11 ノーバディノウズ・ミレニアムアーク
12 忘却のアルケミスト
13 山梔子のスケアクロウ
14 ノーバディノウズ・ワールドエンド
15 イノセントカスタネット
16 ロストノスタルジー
17 群青色の盟約
18 カナシミノセイカ
19 そらなきのうた
20 夏の虫
21 夜明けの魔法使い
22 へのもじ
23 道行きの詩
24 マイノリティファントム