カーネーション
ノベルSS1>イノセントカスタネット
Hacking Cracker
 夏の空は茜色で、時間の感覚を吹き飛ばしてしまう。
 仔猫ちゃんと手を繋いで帰るのならそれは尚更で、ここはどこで、僕は誰だろう。
 心の言葉を送受信する彼女はしかし答えず、応えなかった。
 まあいいや。いまはただ幸せで、家が遠いといいのに。

 茜色の夏の空、長くて長い影法師が現れた。
 坂の上に現れたそいつはしかし小柄な狼で、影だけがただ大きかった。
 もしかしたらそれは影じゃないのかもしれない。
 もしかしたら狼じゃないのかもしれない獣が僕たちに襲いかかった。

 命令してもいないのに身体が勝手に動き、自覚できない速さで敵の攻撃を躱す。
 ふたりの手は繋がれたままで、足を動かした感覚のなかった僕はテレポートを体験したのかと思った。
「いやあ、テレポートを体―――験―――したの―――かと―――思った――――――よ」
 視界が映画のカット割りのように途切れては、あっという間もなく狼との距離が開く。

 繋がれた手を離して、彼女は言った。
「―――逃げて」

  ◇

「きみを置いて逃げられるとでも?」と口では言うものの、
 頭の中は『逃げなくちゃ!』という強力な意思で埋まっていた。
 それは僕の意思なのか、それとも彼女の仕業なのか。
 考えている内に、彼女は狼に向かって駆けだした。

 それは冗談のように速くて、クラスの地味な女子中学生にはとても体現できるものではなかった。
 狼に詰め寄っては、それでもまるでなっていないマーシャルアーツを披露する。
 彼女は防御のことなど全く考えていない感じで、隙だらけを通り越したノーガード戦法。
 戦闘開始して十秒も経たずに、彼女は狼の頭突きに吹き飛ばされた。

 宙を舞う彼女を受け止めようと足を動かそうとして、でも動かなくて、動かない足に用なんてなくて、おまえいま動かないのなら切り刻んで喰っちまうからなコラァと脅かして、想像してみたらそれはかなり怖くて、涙が目に溢れた頃に呪縛が解けたのか動かせるようになり、逃げようという発想は消えてなくなってそれはやっぱり彼女の能力でそれなら安心って感じで跳躍しては中空に舞う仔猫ちゃんを受け止めてみせた。

 触れ合うことで彼女の思考を読み取ってしまう。
『痛い』『もう嫌』『苦しい』『戦いたくない』『―――死んでしまいたい』と彼女は思った。

  ◇

「オーケイ。狼の正体も、きみが戦う理由も聞かない。でもこの戦いはふたりのものだ」
 それはもちろん狼と戦ったことなんてないし、それに敵の動きは武術のように洗練されている。
 それでもバトルメンバーが男女のふたりしか居ないのなら、先に戦うのは男であるべきだろう?
「きみを背負って戦うことにした。僕の身体を使え、仔猫ちゃん!」

 あまり悩まずに頷いた彼女に少しだけ拍子抜けして、でも嬉しかった。
 背中に飛び乗って首に抱きついた彼女からは女の子の匂いがして、でもそれどころじゃなかった。
 仔猫ちゃんの中途半端に長いリボンで彼女の身体を固定しては、両手も両足も自由で。
 彼女の体重を感じなかったのは、きっと感じないように願ったからなんだろうなと思った。

 彼女は心の言葉を送受信する異能を持ち、相手の目を覗けばその思考を読み取ることが、
 相手の身体に触れば自らの思考を伝えることができるのだとか。
 狼の攻撃パターンを読み取り、回避と反撃のタイミングを僕に教えれば勝機はある。
 背中に仔猫ちゃんの胸があたっている限り、負ける気がしない!

 ―――さあ、殺陣の幕開けだ。
 僕たちはソネットを放棄した。

  EX

 狼が吠えた。
 弾丸のように真っ直ぐ駆け抜けた。
 回避率は一割もなくて、一割の回避率は上空だった。
 僕たちは飛翔した。
 半回転して着地した。
 狼が同じ攻撃を繰り返していた。
 その未来は知っていた。
 前しか見ていない狼の横顔に蹴りを入れた。
 威力が全然足りなかった。
 彼女が僕の足に僕より深く命令した。
 威力は三倍に跳ね上がった。
 狼は塀に突撃し、石の塊を破壊した。
 住民は出てこなかった。
 僕たちは坂の上まで駆け上がり、振り向けば狼が瓦礫を吹き飛ばして跳躍していた。
 空中で軌道を変えて僕たちの方に突撃してきた。
 お腹に頭突きを喰らい吹き飛ばされた。
 彼女を下に敷くわけにはいかないので両足を地面に擦りつけて踏ん張った。
 お腹と足の痛みは彼女が緩和してくれた。
 こんどはこっちが吠えて瞬間移動を繰り返した。
 動かない狼の後ろを取って、その背骨に踵を落とした。
 直撃した。
 どんどん弱くなっているような気がした。
 振り向いて噛み付こうとする狼の顎を右手で打ち上げて、両足で立った狼のお腹に両手で抱きついた。
 抱きしめること四秒間、狼は消滅した。

  ◇

 降ろして欲しそうにしている彼女をそのままに、両手にカバンを持って夕焼けを目指す。
 彼女の思考ばかりが伝わってきて、こっちの思考が漏洩しないという快楽。
 おかげで勝利の理由も分かり議題氷解、いまなら仔猫ちゃんのパートナーになれる気がした。
 でもだって、僕は人の限界に挑めるくらいの体術を持っている。

 吹き飛ばされた彼女を受け止めたとき、彼女は『戦いたくない』と思っていた。
 狼から攻撃を喰らうたび、狼に攻撃を与えるたびに僕を媒介にしてその思考は伝わっていたのだ。
 殺意と悪意で動く伽藍堂の狼人形は戦意を殺がれ、戦意を殺がれた狼は消滅するらしい。
 七秒間も触れ合えばすべての生き物を自殺に追い込める彼女は、もしかしたら最強なのかもしれない。

「それで結局、きみの異能とあの狼はなにか関係があるの?」
 狼に遭遇したのは初めてで、人の心は産まれたときから読めたと彼女は伝えた。
「初めてにしては、やけに冷静に対処していたように思うけど……」
 本当は処女じゃないからね、と彼女はとんでもない言葉を胸にしまった。

「……なんちゃって」と口に出して言う仔猫ちゃん。
 そんな彼女のことを、僕は本格的に好きになったのだった。
(ss1-15.html/2004-11-11)


/リラストテクノロジーへ
short short1
Title
01 カノンコード
02 恋の準備運動
03 へのもへ
04 灰かぶり姫のロンド
05 蜻蛉の翔べない日
06 そらのうた
07 カミナシノセカイ
08 琥珀のマナ娘
09 ラストテクノロジー
10 イノセントソネット
11 ノーバディノウズ・ミレニアムアーク
12 私を、忘れもの
13 貴方の、探しもの
14 ノーバディノウズ・ワールドエンド
15 イノセントカスタネット
16 リラストテクノロジー
17 群青色の盟約
18 カナシミノセイカ
19 そらのえかきうた
20 夏の虫
21 十二時の魔法使い
22 へのもじ
23 ガールハントメモノート
24 マイノリティファントム
/エスエスワン・インデックスへ