カーネーション
ノベルSS1>カノンコード
Minority Phantom
  0

 琥珀色の学舎で、彼は幽霊に出遭った。

  1

 チャイムが鳴って、放課後。
 ホームルームを終えた僕は、退屈を無駄遣いしない為に図書室の扉を開いた。
 とりわけ目当ての本というものもなかったので、虹色の本棚を散策する。
 その過程で、道程で、一冊の本が目に止まった。
 訃報辞典・琥珀町版。
「…………」
 なんて趣味の悪い本だろうと思いつつも、その内容は気になるところである。
 僕はその黒い表紙の古書に指を伸ばした。
 その指は、他の誰かの指と絡まることになる。
「あれ?」
 唐突に掌が現れたような―――
 気のせいか。
 僕はその時代が時代なら恋物語にでも発展しそうな状況を生み出してしまったことを謝罪しようと、掌の持ち主の方へと振り向いた。
 それは女子生徒だった。
 全身真っ黒の喪服ドレス。
 そして―――青色に染まった髪と瞳。
「ごめんなさい、恋の始まりを演出してしまいました」
 僕より先に謝罪を告げる女子生徒。
「まさかこの本に興味のある人が居るとは思わなくて」
 僕はとんでもない、悪いのはいつだって男の方さと言った。
 絡めた指を離して、問題の本を彼女に渡す。
 しかし彼女は―――受け取らなかった。
「死因を知ったところで、死者が甦るわけでは、ありませんから」
 それは世間から外れた者特有の演出過剰な言葉。
 とはいえ―――真実、なのだろう。
 僕は本を手にしたまま聞いた。
「誰か亡くしたのかい?」
「ああ、いえ、違うんです」
 彼女は何故か恥ずかしそうに目を瞑って、言った。
「死んだのはわたしの方と言いますか―――」

「―――幽霊なんです、わたし」

  2

 窓側の最前列の席に着くと、彼女はその隣に設置されたストーブの上に腰を下ろした。
 窓から吹く風が、その青い髪を揺らす。
 彼女は確かにここに存在している。
「君が幽霊だと言うのなら、僕の言葉は独り言ということになってしまうね」
「そういうときは携帯電話を耳にあてがうといいですよ」
「……いまはまだ二十世紀だ。中学校の、それも図書室の席で通話する勇気はないよ」
 彼女は冗談ですと言って、それから携帯電話を持っていることを羨ましがった。
 携帯電話を持っている幽霊なんて、親しみが持てそうだ。
 怪談の『いま、あなたの家の前に居るリカちゃん』だって怖くない。
 閑話休題。
「大丈夫ですよ。わたしの声が他の人に聞こえないように、わたしの領域に入った先輩の声だって、もはや誰の耳にも届きません」
「先輩ね」
 まだ年齢は明かしていないのだけれど。
 それはつまり、彼女は一年生であるということか。
「いまの先輩を認識できる人は、先輩の居る『空間』に用のある人だけです」
「……ああ、つまり君は僕が訃報辞典に興味を持ったから、その時点から出現したのか」
「はい。本は女より強いという話ですね」
「全然関係ないと思うよ」
 言って、僕は三つほど離れた席に座る男子生徒に声をかけた。
 返事はない。
「ただの屍のようですね」
「自虐的なことを言うね」
 独り言を続ける僕を無視しただけという可能性も捨てきれなかったので、僕は咳払いをしてから校歌を唄った。
 誰もがみんな、振り向かない。
「あまり効果はないようですね」
「……オーケイ、君の能力を認めるよ」
 僕は伸びをして、椅子の背を反対向きにして跨った。
 見られていないのなら、どうということはない。
「別に能力ではないのですが」
 彼女は少しだけ哀しそうに言った。
「言ってみれば呪いです。先輩は教室の入り口で仁王立ちしていれば元の領域に戻れますけど、わたしは同じ手を使ったところで―――ひとりとしか、繋がれない」
 自らの領域に引き込めるのはひとりだけだと彼女は言った。
 それはあるいは、幽霊としては劣等生なのかもしれない。
「そして接続を断たれたとき、その人はわたしのことを忘れてしまう」
「座敷ぼっこみたいだね」
 暗い話になるとふざけてしまう僕だった。
「っふふ、明日はどの教室で給食を食べましょうか」
 彼女もノリノリであった。
 手慣れた説明―――なのだろう。
 僕は一番聞きたかったことを聞いた。
「この生活も、もう何年?」
「十年です」
「小説のようにファンタジックだね」
「そういうこと言う人、ヘッドバッド!」
 無茶な体勢だったにも関わらず凄まじい威力だった。
 霊力よりも身体能力の方が優れているのかもしれない。
「十年も変わらない身体を持てば、嫌でも運動神経は研ぎ澄まされますよ」
「ああ、肉体がないということは不老不死でもあるのか。素晴らしいことじゃないか」
「ええ、まあ、外に出られればそれも飽きるまで謳歌できるのでしょうけれど―――」
 彼女は窓の形に切り取られた空に腕を伸ばした。
 それは本来硝子の嵌められている位置で止まる。
 パントマイムと笑うことができたのは、まあ、視覚が接続されていなかったらの話。
 空の張り付いた彼女の掌から、水の波紋が走っていた。
「このように外に出ることができないのです」
「……飛び降り防止に便利だね」
 十年。
 昇降口、体育館の裏口、職員用玄関、それこそ屋上からの飛翔に至るまで、あらゆる手段を試したらしい。
 彼女は建物の中から出ることを許されなかった。
「きっとわたしは劣悪なる魔女で、魔女裁判長に封印されているのでしょう」
「いや、幽霊じゃなかったのかよ」
 ツッコミを入れつつも、彼女の言葉に違和感を憶えた。
 きっと―――でしょう。
「生前の君は、その死因はなんだったんだ?」
「…………」
 彼女は息を飲んで、それから言った。
「憶えていません……」

  3

 それは地獄のような記憶だった。
 気付いたときには屋上で眠っていたらしい。
 憶えていたのは僅かな言語と、歩き方くらい。
 飢えを覚えることもなく、生きている実感は稀薄。
 そして話しかけても唄ったみせても無視される毎日。
 言葉を教えてくれた男子生徒は、授業が始まると同時に彼女のことを忘れ。
 戦い方を教えてくれた女子生徒は、昇降口を出ると同時に彼女のことを忘れた。
 自殺志願者を助けてみせても同じことの繰り返し。
 彼女は「また明日」という言葉を誰よりも怖れた。
 誰の記憶にも残らない、永遠に先に続かない日々を地獄と呼ばずになんと呼ぼう。
 一度も地に足着くことなく、十年。
 けれどその矮躯は―――中学一年生のそれだ。
「それでも僕に千回目の説明をするなんて、健気だね」
 裏切られても裏切られても、助かりたいと願うのか。
 未練のない幽霊は、小首を傾げた。
「先輩。もしかして、泣いているんですか?」
「ちょっと花粉症がひどくてね」
「……窓、開けっ放しですもんね」
 言って、俯く彼女。
 この対話も―――僕が他の誰かに認識されたとき、終わるのだろう。
 …………。
 誰にも認識されなかったら?
「ボッコちゃん」
「そんなロボットのような名前じゃありません」
「うん。僕もさ、先輩なんかじゃないんだ」
 それは例えば、ホームルームを終えるという能動。
 男子生徒、女子生徒という人称代名詞。
「こう見えても教師なんだよ。新任だけどね」
 始業式に参加しなくてもいい幽霊には、見分けも付かないだろうけれど。
 それはどうでもいい設定なんかじゃない!
「君を外に出すことはできないけれど、しばらく一緒に居ることならできるはずだ」
 僕は携帯電話を取り出して、家に電話をかけた。
 今日は宿直体験の日だから学校に泊まっていくよ―――
「どうして?」
 用件だけ告げて電話を切る僕に、彼女が言った。
「そんなことしても、なんにもならないのに」
 それは―――その通りだろう。
 彼女の願いは誰かと一緒に居ることではなく、外へと出ることだ。
 僕の行為は全くの無駄である。
「別に君の為じゃないよ」
「それなら……」
「だからまあ、恋物語なんだ。いまはまだ二十世紀、そんな古い話も許されるだろう?」
 僕の好意はきっと実らないだろうけれど。
 彼女に一息吐かせることができれば、自己満足には足りるだろう。
「僕と付き合ってくれ!」

  4

 最後のチャイムが鳴って、夜になった。
 僕は彼女と手を繋いで廊下を歩いた。
 空いた手には保健室の鍵。
 目的の部屋に入り、内側から鍵をかける。
「襲われる……!」
「君の口調は安定しないね」
 貞操を危惧した割には盛大にベッドに飛び込む彼女。
 我が物顔である。
 実際のところ、毎夜のようにここで眠っているのだろう。
「幽霊の癖に眠るなんて、どこかおかしいと思わないか?」
「永遠の眠りから逆算すれば、起きている方がおかしいのです」
 言われてみればそうかもしれない。
 はぐらかされた気もするけれど。
「おかしいことは正さないとね」
「さすが聖職者ですね」
 聖職者は不法侵入などしないと思う。
「……寝ようか」
「はい」
 そして僕は眠りに就いた。
 だからこれは僕の記憶にない話。
 眠った振りをした彼女はゆっくりと起きあがり、僕を見た。
 立ち上がり、僕のおでこにキスをしたあとで、言った。
「ありがとうございました」

「また明日」
(ss1-1.html/2003-03-21)


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short short 1st
01 カノンコード
02 恋の準備運動
03 へのもへ
04 灰かぶり姫のロンド
05 蜻蛉の翔べない日
06 そらのうた
07 カミナシノセカイ
08 琥珀のマナ娘
09 ラストテクノロジー
10 イノセントソネット
11 ノーバディノウズ・ミレニアムアーク
12 忘却のアルケミスト
13 山梔子のスケアクロウ
14 ノーバディノウズ・ワールドエンド
15 イノセントカスタネット
16 ロストノスタルジー
17 群青色の盟約
18 カナシミノセイカ
19 そらなきのうた
20 夏の虫
21 夜明けの魔法使い
22 へのもじ
23 道行きの詩
24 マイノリティファントム
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