カーネーション
ノベルSS1>夏の虫
Last Life
  1

 俺はどうにも「本気になれない」男だと思う。
 仕事を遅刻しそうな時にも全力疾走できず、恋人に「さようなら」と言われても止めることができない。
 そんな俺が人生の中で最も「本気になっている」のは、いまだ。
「あの、やめようよ。やめときなよ。危ないよ?」
 五階建てのビルの屋上で、女子高生が飛び降り自殺をしようとしていた。
 ―――俺の目の前で。
「あはは。こういうとき、ドラマみたいに止めてくれる人って、本当に居るんですね」
 迷わずに飛び降りたなら止める暇もなかっただろうけど、割と躊躇してくれたからなあ。
 なんて意地悪なことを言うとすぐに飛び降りるだろうから、もちろん言わない。
「とりあえずさ、柵の内側に戻って話をしようよ」
 女子高生の位置は実に危ない。二歩目はない、柵の向こう側である。
「嫌ですよ。そう言って、押し倒すつもりでしょう?」
「押し倒すか! 衆人環視の中そんなことできるか!」
「間違えました。取り押さえるつもり、なのでしょう?」
 この状況で言い間違えるとは、大物なのかもしれない。
 遺言を言い間違えた日には、墓穴に飛び込むこと間違いないが。
 それはさて置き。
「それはそうだけどさ―――大体、どうして死にたいのさ?」
「まだ死にたいとは言っていませんが」
「鳥になりたいの?」
「魚になりたいの」
 加えて彼女は言った。
「色々あるんですよ。女子高生にだって」
 フラグが立った!
 対話中に飛び降りることはないと見て、話を進める。
「そうだね。女子高生にも色々あるよね」
「あなたになにが分かるっていうんですか?」
 そんなこと知るかよう。
 人に言われるのは嫌だということは、理解したけれど。
「知らないよ。ああ知らないよ、知るもんか!」
「逆ギレされました。さようなら」
「ああいや、冗談だよ! 二歩目はないんだ、足を降ろして」
「…………」
 沈黙が流れる。
 俺は「どうしてこんなことしてるんだろ……」という思考で脳を埋め尽くしつつも、言った。
「なにがあったんだ?」
「……そうですね。冥土の土産に教えてあげます」
 それを言うなら冥土の置き土産になるのではなかろうか。
 とはいえ―――それこそドラマのような身の上語りに、成功した。
「生まれたときには父はなく、二年も生きると母も居なくなり」
 演技がかった喋り方である。
「わたしの拠り所は恋人だけで、その恋人も居なくなった」
「居なくなった?」
「みんなみんな死んじゃったのよ!」
 とんでもない確率である。
 いや―――有り触れているのか。
 死神みたいだと思ったけれど、思ったことは言わず、有り触れた言葉を使った。
「だからって、君まで死んじゃったら彼等の死は報われないよ……」
「あなたになにが分かるって言うんですか!」
 今度は強く言われた。
 もう帰りたい。
「父は天災、母は病気、恋人は事故―――それなら私には、もう自殺しかないでしょう?」
 この子は少し自分に酔っているのかもしれないな。
 それとも、そんな風にしか捉えられない俺が、自分に酔っているのだろうか。
「あはは。本当にドラマみたいにパトカーが集まってる」
 俺からは見えないけれど、それは必然だろう。
 舞台は都会、衆人環視の中である。
 屋上にはふたりきりでも、ビルの外は日本有数の人通りだ。
 だっていうのに、どうして俺が主人公なのだろう。
「これで私は、飛び降りるしかなくなった」
 両手を広げる彼女に、俺は自分の言葉を使った。
「……君が死んじゃったら、お父さんとお母さん……恋人の生きていた『証』である君が死んじゃったら、それは……いけないことだと思うよ」
 ん? これは割といい台詞じゃないか?
『おい危ないぞ。柵の内側に戻りなさい』
 警察に邪魔された。
「高圧的な声。警察なんて大嫌い」
「いやその、俺も警察官なんだけどね」
「―――ふぅん。それなら、職務を執行する為に私を止めていたんですね」
「いや、これは偶然。というか休みだったんだ、今日は」
「偶然? 偶然に、どうやってこのビルの屋上に居るんですか。てっきりここの社員だと思っていましたけど」
「いやその、兄の会社だったから」
 余分な対話の中で、俺は彼女を柵の内側に移動させる方法を考えていた。
 柵までの距離は十歩もないけれど、彼女から死への距離は一歩と半分。
「■■■■■」
 唐突に、彼女は兄の名前を呼んだ。
「え? どうして、その名を」
「事故死した恋人の名前を言っただけです」
 余分な対話を紐解けば、今日は兄の荷物を取りにこのビルに訪れた。
 それならこれは―――必然か。
「同姓同名では、有り得ないよね」
「そうですね。ええ、あなたはどこか彼に似ていると、思っていました」
 それはあるいは、だからこそ彼女は俺と対話するつもりになったのだろうか。
 まさかね。
 とはいえ―――これは事態の好転と言えるだろう。
「声も、顔も、温もりも、まるであの人の焼き直しのよう」
「それはまあ、焼き直しには違いないよね」
「ふふっ、ふはっ、あははははっ」
 そのドラマのような事実が面白かったのか、彼女が笑った。
 その笑顔を見て、俺にもやれることはあったのだ、思えばこの説得は本気だったと―――
「さようなら」
 目を離せば、彼女の声。
 柵の外へと目をやれば、
 床の終わりへ、
 外の始まりへ、
 生命を終わりにしようと、
 その身を投げ出す彼女の姿が―――

  2

「―――え?」
 名前も知らない女子高生が飛び降りた。
 まさか飛び降りるとは思わなかった。
 この展開は普通なら「ふたりは付き合うことになりました」とめでたく終わるパターンじゃないの?
 あるいは蜻蛉の翔べない日は、いつだって例外に満ちているのか。
 ―――あなたになにが分かるって言うんですか。
 知らないよ。ああ知らないよ、知るもんか!
 結局俺は、本気で彼女を救おうとはしていなかったのだろう。
 助けようと思ってから助けるのは悲しいと、誰かの長女が言っていたっけ。
 それならここからが物語の幕開け。
 火蓋は切って落とされた。
 ここまでの思考は零秒にも満たない瞬間―――!
「ふんぬらばー!」
 身体を屈めながらの全力疾走!
 胸よりも低く、腰よりも低く、膝よりも低く身体を屈める!
「ヘッドスライディング!」
 伸ばした腕を柵の間に突き入れる。
 肩をしたたかに柵にぶつけては、腕に確かな重みを感じる。
 この両の腕は、確かに彼女の両手首を捕まえた。
 捕まえた!
「痛い……」
「第一声がそれかよ」
 手首の痛みを訴える彼女。
 そのあとで、か細い声で言った。
「ドラマティックにも程がありますよ……」
「ていうか、いま下に居る警察官とかからスカートの中見られてるんじゃ?」
 まったく関係のない台詞を吐いてしまう俺だった。
「だ、大丈夫じゃないですか。高いですし」
 それでも答えてくれる彼女であった。
 とても笑える状況ではないが、しかし、だからこそ笑える。
「ごめん。この体勢じゃ引き上げられる自信がないんだ、他の警察官が来るまで頑張ってくれる?」
「はい―――って、違います。間違えました。離してくださいっ」
「ちょ……揺らさないで。肩が柵に挟まっててさ、すごく痛いんだ」
「あ、ごめんなさ―――離せば済む話じゃないですかっ」
 さて、どうしようこの状況。
 さっきの状況もなかなかに特異だったけど、これほどじゃないよなあ。
 頭も痛ければ肩も痛い。
 なにより離したら死ぬほど後悔するだろう。
 ああ、これが「本気」か。
 テンション上がってきた!
「とはいえ、助けようと思っている相手が協力的じゃないのはつらいものがあるね」
「だ、だってそんなの……助けて欲しくないですから」
 腕は震えているのにね。
 俺も震えているけどさ。
「離して」「話して」
 台詞は同時で、その音は同じだった。
「話してよ。どうして飛び降りたのさ」
「……あなたがどれだけ彼に似ていようと、私には、あの人だけが恋人なんです」
「女子高生だね」
「馬鹿にしないで」
 だって、そんなのはやっぱり馬鹿じゃないか。
 恋人をなくしては生きていけないなんて、どれだけ自分をないがしろにしているんだ。
「それならそれでいいじゃないか。兄貴はもう居ない、俺はあんたの恋人にはならない」
「あなたがなにを言っているのか分かりません」
「あんたの恋人は依然として俺の兄貴だと言っている」
 テンションとは反比例して、俺の握力が消失してきた。
 それでも俺は―――自分の言葉を、紡いだ。
「天涯孤独の身なのだろう?」
 続けて言った。
「それなら兄嫁として家に来いよ、それで俺に味噌汁を作るがいい」
 危機感と緊張の中で暴走した言葉の渦。
 返事を待たずして、再びタイミングの悪いことに―――警察官が屋上に現れた。
 同僚の警察官が女子高生の腕を掴み、引き上げる。
 彼女は同僚にお礼を言ったあとで、スカートを叩いて、言った。
「馬鹿じゃないの」

  3

 俺はどうにも「本気になれない」男だと思う。
 仕事を遅刻しそうな時にも全力疾走できず、彼女に「さようなら」と言われても止めることができない。
 とはいえ―――それは自暴自棄にならないということでもある。
 あれから俺は恋人と再縁して、どころか結婚までしてしまった。
 本気で付き合うには六十年は長すぎるというのは、まあ、怠惰な男の言い訳だろう。
「本当、可哀想。あなたにはきっと浮気癖があるわ」
「そんな面倒くさいことしないよ」
「どうだか―――」
 愛していると言われないお嫁さんはやっぱり可哀想だと、彼女が言った。
 その台詞なら週に五回は言っているのだが、まあ、彼女は寝ている時間帯か。
 聞かれていても困る。
「大体、高校生にご飯を作らせている時点でどうかと思います」
「あいつも働きたい盛りだからね。それに花嫁修業を始めるには、高校生からじゃ遅いくらいだ」
「あなたになにが分かるって言うんですか?」
 お嫁さんより収入の少ない男に言われたくないと彼女は言った。
 あのとき手を離しておけば良かったかなあと、俺は少しだけ後悔した。
 仕返しに来月のお小遣いを三割ほどカットしようと思う。
「それでも、この関係は気に入っているけれど」
 反省したのか、彼女が殊勝なことを言った。
「でもだけど、四六時中チュッチュしてる夫婦に挟まれる義姉という設定は、そろそろつらいのです」
「見られてた!?」
「? いえ、実際にキスをしたところは、見たことないですけど」
 見られていなかった。
 墓穴を掘るところだった。
 そして彼女はとても大切なことを言った。
「私も新しい彼氏を作ろうっと」
 お話はこれでおしまい。
 こんどこそ、めでたしめでたしである。
 俺は最後の最後に茶々を入れた。
「お父さんは許しませんよ!」
 彼女は黙ってその頬を染めた。
(ss1-20.html/2004-11-27)


/十二時の魔法使いへ
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Title
01 カノンコード
02 恋の準備運動
03 へのもへ
04 灰かぶり姫のロンド
05 蜻蛉の翔べない日
06 そらのうた
07 カミナシノセカイ
08 琥珀のマナ娘
09 ラストテクノロジー
10 イノセントソネット
11 ノーバディノウズ・ミレニアムアーク
12 私を、忘れもの
13 貴方の、探しもの
14 ノーバディノウズ・ワールドエンド
15 イノセントカスタネット
16 リラストテクノロジー
17 群青色の盟約
18 カナシミノセイカ
19 そらのえかきうた
20 夏の虫
21 十二時の魔法使い
22 へのもじ
23 ガールハントメモノート
24 マイノリティファントム
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