カーネーション
ノベルSS1>ノーバディノウズ・ワールドエンド
Dog Doesn't Bark
 舞台は琥珀色の学舎で、この小説に登場する多くの人物はその中学校を卒業することになる。遠い未来を目指す助手と博士も例外ではなく、学舎は彼と彼女の恋物語も内包していた。
 それはさて置きふたりが箱庭の方舟に乗船した時刻は千九百九十九年の夏であり、同年の夏である限りそれは世界の終わりを告げられた日付だった。曰く月より恐怖の大魔王が降りてくるのだとか。諸説は日付を曖昧にして、私たちは世界の終わりという議題をどの世代よりも長く話し合っていたように思う。
 それはもちろん真に受けていたわけじゃなくて、私たちはテレビを観なかったからね。世界の終わりはどのように訪れるかを空想しては、その痛みと哀しみを想像して泣いた。手の届く範囲に寿命があるなんて耐えられなくて、永遠の命が欲しいわけじゃないけれど。
 いつか死ぬということを忘れて暮らしていて、それを世界の終わりとか紫鏡とか異国のミサイルという形で思い出しては、そこに恐怖の色を見る。輪廻転生を馬鹿にして、死後の楽園を否定する私たちはそれを言葉として回避できない。死んだらおしまいなんて考えられないし、この心は魂を求めているのに。

 死ぬことはつらくて、それはそれなら、生きることは楽しい?

 琥珀色の学舎は彼と彼女の恋物語も内包していて、私は彼のことを小学生のときから好きだった。中学生になるともっと好きになり、夢の中でなんども告白をした。恋愛という課程すら面倒で、結婚したあとの家庭が欲しかった。どこまでも家庭的な彼とは相性最良で、相性が最良であるからには恋愛なんて必要ない。そう思っていたのは私だけで、彼は恋愛を求めていると気付いた中学一年生の春。私は私の願望を叶えるために、彼の願望を叶えてみせることにした。
 告白のひとつもなく擬似的な恋愛を繰り返しては、それが彼の理想だった。私は彼の彼女じゃなくて、彼は私の彼じゃない。彼は私の機嫌とか独占欲とか嫉妬心なんていうものを気にする必要がなくて、私はただただ鳴かない犬を演じていた。私はきみのことが好き。きみが私を好きじゃなくても好きで、きみが嫌えというのなら嫌いな振りをするくらい、好き。
 彼氏彼女じゃない私たちは、始まることもなければ終わることもない。私たちは完結した関係を築き上げた。進むこともなければ戻ることもなくて、傷付くこともなければ裏切りなんて概念もない。永遠だって付き合えることに喜んだ私は、しかしここで思い出す。

 いつか死ぬということを、忘れて暮らしていたことに。

 世界の終わりなんて信じていなくて、でも私の世界はいつか終わる。手の届く範囲に寿命はないと思うけれど、でも幸せを掴んでいる内に届く位置まで届きそう。月に滅ぼされる前に私は勝手に滅ぶし、彼は私より一秒でも長く生きてくれる?
 生きることを楽しめば死ぬことはよりつらくなり、命は泣きたいくらい短くて。
 あっという間もなく四季は巡り、千九百九十九年の夏も過ぎて。気付けば博士と呼ばれていた私は、ただ彼の隣に居ただけという話。幸いなことに機嫌とか独占欲とか嫉妬心なんてものを持たなかった彼はただただ私の頭を撫でてくれて、私はいつだって幸せだった。
 二千年になると同時に私は二十歳になり、彼の年齢に追いついた。自覚のないままに大人になって、自覚なんてしていないから告白もしない。私は中学生のときからなにひとつ変わることなく、身長も体重もそのままで。臆病な犬のまま彼に寄り添っては、ただの一度も鳴くつもりはない。

 鳴かない犬が鳴くときは、主人を失ったときだけにしておこう。

 死ぬことに怯える時間もなくなって、でもそれは忘れているだけ。感情はいつだって胸の奥底に眠っていて、それは異国のミサイルとか無差別殺人とか知人の死という形で揺り起こされる。滅びに向かって進めば進むほどに考える時間が減っていくという安楽死。でも怖いのはそのままで、なにひとつ解決していない。
 泣きそうになった夜のこと。方舟の箱庭で助手と対話。
「博士、泣いているんですか? 泣いてる博士って、なんか、可愛いですね」
 犯していいですか? と彼が言ったので、そんな一方的なのは嫌、と私は返した。
「え、一方的じゃなかったらいいんですか?」
 簡単には渡さないけどね。言って枕に横顔を埋めたとき、私は圧倒的な既視感に見舞われる。気付いてしまった。いままで思い悩んでいたことが馬鹿みたいな、それはなんどだって言われてきた陳腐でありふれた感情。言葉は心に響かなくて、でもだって私は小説を読まないからね。彼の欲情に触れて、その拗ねた後ろ姿を見て私は答えを得た。鳴かない犬は、主人の死を遙かに前におねだりをするように鳴いてしまった。

「嘘だよ。我慢する。きみの好きなようにしてくれていいんだよ?」
(ss1-14.html/2004-11-08)


/イノセントカスタネットへ
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Title
01 カノンコード
02 恋の準備運動
03 へのもへ
04 灰かぶり姫のロンド
05 蜻蛉の翔べない日
06 そらのうた
07 カミナシノセカイ
08 琥珀のマナ娘
09 ラストテクノロジー
10 イノセントソネット
11 ノーバディノウズ・ミレニアムアーク
12 私を、忘れもの
13 貴方の、探しもの
14 ノーバディノウズ・ワールドエンド
15 イノセントカスタネット
16 リラストテクノロジー
17 群青色の盟約
18 カナシミノセイカ
19 そらのえかきうた
20 夏の虫
21 十二時の魔法使い
22 へのもじ
23 ガールハントメモノート
24 マイノリティファントム
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