カーネーション
ノベルSS2>隷属のラストサディスト
Traumerei
  1

 本日付けで大人になりましたので、子供の頃の話をしようと思います。本当はブログなどでゆっくりと解凍したかったのですが、日記を付けるという行為が致命的に向いていない私には恐らく「過去の日記」さえ付けることはできないので、この場を借りることにしました。考えてみれば私の一生など掌編小説ほどの分量があれば十分に語れることで、きっとそれさえも幼稚園児の報告と同じくらいには無駄なのでしょう。
 それは小説と同じくらいには奇怪な、事実の物語。
 昔々私はお金持ちの家に生まれました。母親は若くて美しく、美しさを維持することに懸命でしたので、家事の大半を家政婦に任せていました。その分だけ母親の腕の中に居ることが多かった私は、本能の赴くままに甘えて、とても幸せな幼少期を過ごしました。
 原初の記憶は、いまも鮮やかに思い出せるほどの桃源郷と言えましょう。
 昔々私はお金持ちの家に生まれて、そのことを自覚したのは幼稚園児の頃のことで、お金に明かして毎日のように友達を家に招きました。男の子とはファミコンをして遊び、女の子とは『チップとデール』のアニメを観て笑い合っていました。とはいえその頃は男女の境界線なんて希薄だったのでしょう、みんなで飼い猫とじゃれ合っていた時間が最も長かったような気がします。
 あの白猫は、いまも灯台の傍で眠っているのでしょうか。
 お金持ちの家に生まれたのが昔々のことである限り、昔といまは地続きではありませんでした。小学二年生のときに引っ越して、小学五年生のときに引っ越して、引っ越すたびに家の敷地が少しずつ狭くなっていきました。どこまでが分譲で、どこからが賃貸だったのかは―――いまも遠い謎の中。
 団地はいつか出て行くもので、それならここは、家ではないのでしょう。
 家政婦が居なくなった頃、母親は家事を選ばずに仕事を選びました。それはおよそ常識を越える労働時間でしたので、そこにもまたひとつ物語は内包されていましたが、頁とプライバシーの関係で割愛させて頂きます。結果として、小学五年生。自分の世話をするには十分な年齢と言えましょう。私は鍵とベランダ、そしてキッチンを手に入れました。
 その頃の夢は、黒い包丁を手にした天才料理人。
 お金持ちだったのは母方の祖父で、戦災孤児である彼のことは大好きで、お金を使い潰した父親のことが大嫌いでした。一生を平穏に過ごせるほどのお金を自尊心を守る為に消費するなんて、流行りのNEETより劣る蛆虫と言えましょう。かくして私は駄目の子が好きで不良が苦手という、駄目の子に育ってしまいました。
 共依存という概念を最悪と称するのは、誰が始めたことなのでしょう。
 小学六年生の冬、父親と母親は離婚しました。私が失ったのは私立中学校への切符くらいのもので、以下同文である限り―――舞台は琥珀色の中学校へと移るのです。

  2

 昔々あるところに被虐者が居ました。被虐者は甘やかされて育てられましたので、不器用で意気地のない、虐められて当然の性格をしていました。優れているのは成績くらいのもので、それだって学期を重ねるごとに落ちぶれる一方です。中学二年生になった頃、被虐者の学力は平均を下回りました。
 昔は幸せだったから、現状を不幸に感じるのでしょうか。
 虐待の内容は基本的に暴力でしたので、被虐者はいまも癒えることのない縫い傷を両足に負いました。身体の成長もその時点で止まり、人の目を見てばかりいた被虐者は、人の目を見ることができなくなりました。
 傍観者は加虐者と同罪であると担任の先生は言いましたが、それ以前の問題だと被虐者は思うばかりです。
 とはいえ現状を打破できない被虐者は、結局は先生の提唱した正義の味方を求めるのです。母親は使用不能で、担任の先生もまた加虐者である限り、落ち着くところは「後輩」でした。思えばその頃から同い年が苦手で、それはあるいはこのことが原因だったのかもしれませんが、路上に置きましょう。
 人生を道に譬えるのなら、起源はいつだって後付けですね。
 家と教室で喋らない分だけ、後輩の前では喋り通しでした。必要最小限のことしか話さない後輩は被虐者に話をせがみ、つまりは被虐者の一方的な独白によって対話は成立していました。家族のことを話して、クラスのことを話して、ようやっと被虐者は自分を客観的に見ることに成功したのです。
 自分が異常であることを認めるのと、世界が異常であることを認めるのは、どちらの方がより衝撃なのでしょうか。
 考えてみればそれは理不尽なことで、虐められて当たり前のことなんてありえないのです。虐める方が悪い、虐められる方が悪いなどといった議論に意味はなく、肝要なのは「悪い」現象であると認識していること、その一点。虐待を受けたあとの悩み事なんてなんの役にも立たないと体感した被虐者は、虐められて当然の性格―――自虐的な性格を、改善しました。
 そしてここからが、悲劇の始まり。
 被虐者が役割を悟ったところで都合よく虐待が収まる訳もなく、ある日あるとき、エスカレートの証拠に給食に■■を入れられました。いつもなら嚥下して消化するところの虐待は、暴力となって加虐者の胸倉を掴むという例外を発動させました。空いた手にはステンレスの先割れスプーン。
 人が肉食鬼である限り、すべての食器は凶器と化す。
 かくして加虐者は被虐者に成り下がり、被虐者は加虐者に成り代わりました。周りには、おかしくなるくらい静まりかえったクラスメイト。役割はいとも簡単に反転するのです。戦争が終わらないのは人の本能が平穏を求めていないからで、奪うことはどんなに楽しくて、復讐は快楽を生むのだと―――体感しました。
 だっていうのに、先生は顔を真っ赤にして言うのです。
「あんたはやっぱり、人殺しの子だね」

  3

 父親について。母親よりも十三歳ほど年上で、母方の祖父との年の差は十一歳しかない、私と同じ干支の男。時代に反したひとりっ子で、甘やかされて育てられたらしい。運動性能は極めて高く、故に充実した学校生活を送っていたのだとか。ただし頭は良くなかったようで、高校を卒業したあとは職を転々とする。
 三十歳を前にして、交通事故によりすべての家族を失った。
 安定を失って自由を得た父親は、海外へと渡った。遊ぶことの好きだった父親は実入りのいい仕事を求めていたのだ。いくつかの犯罪に手を染めて、一度も足を洗わないままに日本へと戻った。そして母親と出逢うことになる。
 真っ赤な戯言から私は生まれて、望まれていたのかどうかも疑わしい。
 原初の記憶は、いまも鮮明に憶えている。父親には一度も抱かれたことなどなかったし、とはいえ抱かれる話も忌まわしい。放つ言葉は命令ばかりで、初志貫徹なんて馬鹿みたい。電話は取るなと言われては着信音が嫌いになり、警察は敵で、沈黙は錆にも劣る、「大人になんてなりたくない」。
 いつしか正否の概念は消失して、好きか嫌いかでしか物事を測れなくなった。
 とはいえ「虐め」という現象が「悪い」ことであることは認識しているし、「戦争」という概念が狂っていることも理解している。その程度の常識は会得した。だから父親のことは「嫌い」という以上に、存在するべきではないと思っている。
 それは珍しく家に居ることの多かった冬のこと。
 スーパーでアルバイトをしていた父親は、店長を殴殺した。
 理由は知らないし、聞きたくもない。どうせ反省することを知らない異常者の言うことだ。興味なんてない。肝要なのはスーパーが地元にあることで、店長には家族が居ることで、私の家がそれなりに有名だったことくらい。
 事実は小説より奇怪で、誰もがみんな犠牲者だ。
 とはいえ加害者が被害者面をすることほど卑怯なことはない。遺族の言葉は受け止めるべきで、周りの言葉は無視するべきだ。サディストに未来はない。犯した相手に復讐されるとき、それがあなたの隷属の最終審判。
 子供の頃の話を終わりにしよう。
 中学三年生のとき、年齢を偽ってアルバイトをした。店にとってはいい迷惑だったと思う。お陰様で働くスキルをフライングゲットしたので、定時制高校に入学してすぐにアルバイトを掛け持つことに成功した。隷属感はすぐに快感へと変わる。人の言うことを聞くのが大好きで、幸せを願うなんて馬鹿みたい。
 不幸じゃなければ幸せで、幸せになるより不幸を維持する方が難しい。
 高いところに居ると地面に吸い込まれそうになるのは、落ちる感覚が心地いいと知っているからだ。
 お話はこれでおしまい。
 ご静聴ありがとう、小森さん。

  4

「初めまして」
「初めまして」
「君は誰?」
「名乗るほどの名前はなく、語る物語もありません」

「二度目まして」
「相見えまして」
「なに読んでるの?」
「手紙」

「後輩」
「不思議な人称代名詞ですね」
「話を聞いてくれる?」
「それは是非!」

「昔々あるところに―――」
「先輩の話は、昔話ばかりですね」
「―――え?」
「きっといまの自分に興味が持てないんですね」

「君には父親が居る?」
「居ないですよ」
「そっか」
「とある店で殴殺されました」

「……久しぶり」
「……誰でしたっけ」
「名乗るほどの名前はなく、語るほどの物語もないよ」
「ああ―――お久しぶりです、先輩」

「ごめんなさい……」
「謝ってばかりですね」
「…………」
「いい子いい子」


「それはそれとして」

「先輩の人生を、小説にしてもいいですか?」

  EX

 この物語はフィクションです。
 実在する人物、団体とは一切の関係を持ちません。
(ss2-15.html/2007-02-15)


/悠久のリインカネーションへ
short short2
01 黒猫のフーガ-Volevo Un Gatto Nero-
02 仔牛の翼-Donna Donna-
03 夜明けの晩に-Ring Ring-
04 おじいさんのロボット-Grandfather's Clock-
05 灰かぶり姫は居ないのに-Galopp-
06 ヴォルケイノサーカス-Funiculi Funicula-
07 ふたりの子-Seven's Children-
08 墓場の手紙-Massa's in De Cold Ground-
09 きみの居る世界-Barbara Allen-
10 銀色人形姫のソワレ-Eine Kleine Nachtmusik-
11 人魚姫のレクイエム-Requiem-
12 人魚姫のレクイエム-Die Lorelei-
13 ファイナルノスタルジア-Ikaros-
14 夢の夜の真夏-Midsummer Night's Dream-
15 隷属のラストサディスト-Traumerei-
16 悠久のリインカネーション-Jeux Interdits-
17 ほしのうた-Stille Nacht-
18 雪と月と花の季節-Those were the Days-
19 シュレディンガーの地球儀-Korobushka-
20 ノクターナルミレニアム-Hallelujah-