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Apologue-Indignant Judgment-
1 千九百九十九年三月三日、水曜日。 天城亜狼が目を覚ますと、既に登校時間が過ぎていた。 起こしてくれるはずの月日由未は居らず、また長峰葉平も居ない。 外を見ればフォルクスワーゲン・ビートルもない。 ひとりで準備を済ませて門扉を出れば、黒猫が目の前を横切るところだった。 追従するように三台のパトカーがサイレンを鳴らす。 方角は―――月日由未の通う、箒星学園。 天城亜狼はボストンバッグを庭に投げて、道を駆け抜けた。 十分ほど走ると、目的地。 校門の前には数十人の小学生と、三人の警察官。 そして人壁の奥に見えるのは砕け散った昇降口。 フォルクスワーゲン・ビートル。 人混みをかいくぐって、天城亜狼は箒星学園の領地に侵入した。 後ろから追ってくる警察官と、そして地階の校庭を守る警察官。 そのすべてを躱して校庭に繋がる階段を飛び降りた。 着地して、見上げれば。 「亜狼くん……?」 男子生徒の首筋に包丁を突き立てている月日由未の姿。 2 その周りには六人の警察官。 全員が一様に天城亜狼の顔を見る。 「なんだ、君は?」 「あの子の家族だ」 告げて、それから堂々と校庭を歩いた。 途中、そんな天城亜狼を捕まえようとする警察官。 「待ちなさい!」 彼らの腕を躱して月日由未に近付いていく。 「刺激したら駄目だ!」 「由未は包丁で人を刺したりしない」 ついに天城亜狼の腕を掴む警察官。 されど護身術の手本のように、簡単にその腕を外す天城亜狼。 そして月日由未のもとに辿り着く。 「由未、その手を離せ」 言って、男子生徒を解放させた。 走り、警察官の胸に泣きつく男子生徒。 「亜狼くん……」 俯く月日由未を抱きしめてみせた。 包丁を持ったまま天城亜狼の背中に手を回す月日由未。 「なにがあったんだ?」 「先生とクラスメイトに虐待されたの」 青色の目を見開いて、絶句する天城亜狼。 「ずっと、ずっと前からお腹とか殴られたりして、当たり前のように無視されたりして、給食に虫の死骸とか入れられて……トイレに連れて行かれて、舐めろって言われて―――もうやだぁ…………!」 天城亜狼の胸の中で子供のように泣きじゃくる月日由未。 それはおよそ生まれて初めての泣き言。 「…………けて」 見上げて、眉を八の字にして懇願する。 「助けてよ、お兄ちゃぁん……!」 3 包丁を取り上げて、月日由未を警察官に預ける。 感謝を告げる警察官に穏やかな顔を見せる天城亜狼。 けれど校舎を見上げたときにはもう鬼の形相で。 窓ガラスを叩き割って教室に侵入した。 廊下に出れば教師の姿。 胸ぐらを掴んでは、片手で吊り上げて尋ねる。 「違う! 僕だけじゃない、男の教師はみんなやってる……!」 投げ飛ばして中庭の窓ガラスを打ち破る。 中庭の先に職員室が見えた。 跳躍して花壇に着地する。 後ろから警察官の声が響いたが、天城亜狼は聞き入れなかった。 花壇の岩を持ち上げて、職員室に叩き付ける。 窓ガラスは木っ端微塵に砕け散り、教師の机が圧壊する。 「なにごとだ!」 窓から顔を出した体格のいい男教師を殴り飛ばす天城亜狼。 職員室に侵入し、うずくまっていた白衣の教師を蹴り飛ばす。 教頭に背負い投げを決めては、ターゲットはそれで終わりだった。 動揺している女性の教師に真相を尋ねる。 「全員ってことはないけど、でもかなりの先生がグルになってやっているわ。やっていない人の名前を挙げた方が早いくらい。ごめんなさい、いまさらこんなこと教えても許してもらえないだろうけれど―――」 絶望的なことに月日由未の敵の数は残り十二人。 天城亜狼の身体はかなり疲弊していたが、しかし復讐はまだまだ終わらない。 彼は白馬の王子などではなく。 悪意を悪意で返す最悪の魔王として、月日由未の願いを叶えようとしていた。 4 魔王の暴力は続き、箒星色の校舎は地獄と化した。 月日由未の頬を打った教師の顔を殴った。 月日由未の服を裂いた教師の肉を裂いた。 月日由未の肌を暴いた教師の腰を蹴った。 月日由未の首を絞めた教師の腕を折った。 月日由未の口を犯した教師の顎を砕いた。 それは廊下で、あるいは教室で。 応戦する教師も逃げるばかりの教師も平等に。 肩で息をして、しかし走るのをやめない天城亜狼。 右手の握力を失い、左腕の靱帯が切れた頃、残りの敵は未だに七人。 「天城先輩」 道中、金色の髪の女の子に出逢う。 白くて青い制服と、本格的な編み上げブーツ。 黒猫を肩に乗せた女の子。 「男女差別ですね」 対話に思考を回せない天城亜狼は、脅すことで彼女を退けようとした。 しかし彼女の肩を狙ったはずの腕が、簡単に躱される。 「いえ、普段の先輩なら私を捕まえることなど造作もないのでしょうが。 どれだけ暴れたのか知りませんが、満身創痍じゃないですか」 こんどは本気で捕まえようと両腕を使ってみせても、辛うじて避けられてしまう。 くすくすと笑って言葉を続ける金色の髪の女の子。 「所詮は他人事なのに、どうしてこんな得るもののない戦争を仕掛けているんですか?」 いい加減で感情を抑えられなくなった天城亜狼は、金色の髪の女の子に蹴りを入れた。 しかし手にしていた木刀で受け止められ、しかも喉元に剣先を向けられる。 「オマエは―――」 「私の名前は秘密有希」 「月日由未の加虐者の、影の大総統です」 5 「まさか先生が出てくるとは計算外でした」 天城亜狼に木刀ごと投げ飛ばされて、しかし両足で着地する秘密有希。 「私はただ、クラスメイトに虐められている彼女を助けてみせて」 投げたと同時に落下地点に疾っていた天城亜狼。 「それで、少しばかりのお金を恵んで欲しかっただけなのに」 雄叫びを上げて、彼女の斬撃を甘んじて受ける。 肩で止めた木刀を掴み、引き寄せた。 「だってほら、あの子、お金持ちじゃないですか」 しかし引き寄せられたのは木刀だけで、彼女は懐に入り込んでいた。 掌底を腹筋に受け、壁に叩き付けられる天城亜狼。 「あの矮躯で、あの成績で、異国人とのダブルでお金持ちで親は犯罪者で。 ―――虐めるなって方が無理な話ですよね!」 再度木刀を手にして、天城亜狼に突きつける秘密有希。 腕を動かせば、その腕を強く殴打された。 「あの子はたぶん、私が首謀者だって気付いてる。 いま先輩を再起不能にしないと安心して眠れないんです、私」 金色の目で冷たく微笑って、突きの構えを取る秘密有希。 「だからさよなら、天城先輩」 黒猫が鳴いた。 なんの躊躇いもなく天城亜狼の内臓を破壊しようとして、殺意が穿たれる。 6 腹部に気を失いそうなほどの激痛。 腕で受け止めようとはしたものの、威力は半分も殺せなかった。 四つん這いになり、胃液を撒き散らして悶える天城亜狼。 「それじゃその肩、貰い受けますね」 言って後ろから袈裟斬りにする秘密有希。 その斬撃を、しかし天城亜狼は包丁の鞘で受け止めた。 「なっ―――!」 無茶な体勢から力尽くで木刀を弾き飛ばす天城亜狼。 真っ白な鞘を外せば、黒い刀身が姿を現した。 それは月日由未愛用の白い柄の包丁―――! 「どうしてそれを最初に出さないんですかッ!」 咳き込んで返事をしない天城亜狼に、容赦なく斬りかかる秘密有希。 初撃を刃の背で弾き、追撃を躱して。 天城亜狼は秘密有希の木刀を叩き斬った。 されど口の端を上げる秘密有希! 「一対一ならば、徒手空拳の方が強いのです!」 言って、二等分された木刀を投擲する。 それは打突にも匹敵する必殺の威力。 天城亜狼は躱し、移動した先で秘密有希の攻撃を浴びる。 編み上げブーツによる天空踵落とし―――! 「弓道部に上からの攻撃とは、自殺行為だ」 戦闘中、初めて言葉を口にした天城亜狼。 秘密有希の攻撃をクロスさせた両腕で防ぎ、威力を殺してからその首を掴んだ。 身長差が宙吊りを生み出す。 「―――私の負けです。好きにしてください」 口の形だけで告げる秘密有希。 そんな彼女を押し倒す形で、天城亜狼は倒れ込んだ。 7 筋肉も血圧も神経も限界を迎えていたのだろう。 全身を使って呼吸している天城亜狼の耳元に、押し倒されたままの秘密有希が囁いた。 「質問を繰り返していいですか?」 返事を待たずに続ける。 「所詮は他人事なのに、どうしてこんな得るもののない戦争を仕掛けているんですか?」 「家族だからだ」 荒い呼吸の合間に答える天城亜狼。 上半身を起こそうとして、両腕が思うように動かないことに気付いた。 「悪いけど起こしてくれないか?」 「全身に全体重をかけられた状態で言われても。正直既にかなり息苦しいのですがっ」 「え。ああ、ごめん!」 肘を床に着いて、寝返りを打つような形で身体を離す天城亜狼。 いつだって彼は女の子の身体にとても弱かった。 「……謝らないでください。息苦しいなんて禁句でした。 あの子が受けた息苦しさを思えば、私はなにをされても文句を言えないですよね」 「キミはなにもしていないよ」 握力と腕の動きを確かめながら、天城亜狼は言った。 「キミがお金目当てだと言うのなら、加虐者を斡旋したのは最近ということになるだろう? 月日はずっと前から虐められていると言った。それに加虐者は男ばかりだ。きみの友達にどちらの性別が多いかは、まあ知らないけど」 「あ―――それなら、私は」 「あの子の思想は三倍返し。いいところパシリにされるくらいで許してくれるだろう」 言って立ち上がる天城亜狼。 強い目眩に吐き気がするが、それでも加虐者に対する怒りの方が強かった。 「……無理しないでください。提案があります」 白い柄の包丁とその鞘を拾って、秘密有希が言った。 「あとは私が代わりに先生の皮を剥いで来ます。すべてが終わったあとでやっぱり先生は復讐しに来るでしょうから、その報復も私が請け負います。彼女が受けた陵辱を再現することが私の罰になることでしょう」 「それこそ男女差別じゃないか」 目を見開いて、恥じ入るように俯く秘密有希。 顔を上げたときは笑顔だった。 「……完膚なきまでに私の負けですね。あとのことはこれから考えるとして、それなら復讐代行を再開しましょうか」 鞘に収めた白い柄の包丁を渡して、天城亜狼の肩を支える秘密有希。 天城亜狼は秘密有希を杖にして廊下を歩き出した。 あとには折れた木刀と黒猫だけが残された。 8 すぐに警察官に捕まり、天城亜狼はパトカーの後部座席に詰め込まれた。 秘密有希は『不良少年を警察に突きだそうとした一般生徒』として認識されたらしく、教室に戻っている。 「きみの気持ちも分かるけどね。いくらなんでも、やりすぎだよ」 それでもきみの気持ちも分かるけどね、と繰り返す優しそうな巡査部長。 彼には小学生の娘が居るらしく、月日由未の虐待を娘に置換するとやっぱり我慢できないと告白した。 もしもあそこで秘密有希が現れなければ、天城亜狼は最後の教師を殺していたかも知れない。 「先輩。校内で煙草を吸っていた老人が居たので連れてきたのですが……」 気の強そうな警察官に腕を掴まれているのは長峰葉平だった。 家族であることを告げると、天城亜狼の隣に座るよう指示する巡査部長。 「あなたが車を昇降口に?」 長峰葉平は答えない。 生粋のドイツ人なのだろうなと判断した巡査部長は、無線に手を伸ばした。 その内容を聞いて動揺する巡査部長。 「―――怪我人の数は十六人。まったく、とんでもない家族だよ、きみたちは」 天城亜狼と長峰葉平は、お互いの目を見て笑い合った。 9 長峰葉平が元軍人であることを知るや否や、パトカーの席替えが行われた。 元軍人の両隣に警察官を配置して走り出す一台目のパトカー。 満身創痍の天城亜狼と最早被害者である月日由未は、セットで二台目のパトカーの後部座席に押し込まれた。 箒星色の校舎から、巡査部長の相方である警察官が戻ってくるのを待つばかりである。 「亜狼くん、ぼろぼろ」 月日由未が重たい口を開いた。 その目線には破れた学ランと赤黒く腫れた痣が覗いていた。 「これは小学生の女の子に襲われてね」 「嘘なんてつかなくていいよ」 本当は本当のことだったけれど、巡査部長の前で言うと同行者が増えることになるので秘密にしておく。 泣いているような、笑っているような、全方位の感情をさらけ出すように複雑な表情をする月日由未。 いままで無表情だったのは感情が欠落していたからで。 それならこれは、産まれたときの表情なのかも知れない。 「窓からみんなが、こっち見てる」 「ああ。膝枕してやろうか?」 「ううん。いいの」 目を瞑って首を振る月日由未。 開いた目と目が合ったとき、初めての表情は笑顔だった。 「ありがとう、亜狼くん」 涙目になりながら、彼女は言った。 「時間はかかるけれど、ちゃんとお返しするからね」 それはホワイトデー生まれの、三倍返しの性質。 EX ところで長峰葉平は県内有数の資産家であり、そのため長峰一家は訴えられることなくこの事件は幕を閉じることになる。 幸いなことに天城亜狼も十六人の敵も後遺症が残ることなく、一ヶ月後には完治した。 とはいえその大半が辞職し、年度内には残る全員が解雇されるらしい。 そんな中、当の本人である月日由未は事件の翌々日から登校している。 言い寄ってくる道化師を蹴り飛ばしては、ちまちまと復讐を精算しているようだ。 クラスメイトであるふたりの男子生徒を使い走りにしたりして、どうやら加虐の快楽に目覚めたらしい。 最近はつまみ食いする天城亜狼のお腹を殴るほどのクラスチェンジっぷりである。 そのたび天城亜狼に対する借りが増えていくので、本当に返す気があるのかどうかが昨今の議題だ。 「あ、先輩。由未ちゃん居ないですか? 居ないことなんて有り得ないですか?」 最後に秘密有希について。 異国人で貧乏で、親は犯罪者の金色の髪の女の子。 「え? そんな、あのとき許してくれたじゃないですか。男女差別ですよ? 先輩がそんなこと言う人だなんて思わなかった―――ごめんなさい嘘です腕の痣とか見せないでくださいなんでもします」 奥手なはずの天城亜狼からセクハラを受けて、微々たる被虐もしっかりと憶えていた月日由未に首輪を嵌められたりして、サディスト兄妹の好き放題にされている秘密有希。 「あ、由未ちゃん! え? あ、はい。三回まわってニャー!」 忠実な彼女の頭を撫でる月日由未。 天城亜狼を体当たりで吹き飛ばして月日由未に擦り寄る秘密有希。 ふたりはお互いにとって一番の友達になりましたとさ。 (log1-f.html/2004-08-16) /ウェディング・ダイアログへ |
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