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Prologue-Eternal Triangle-
0 役者の数は六人。 うち半分は退場し、 残る半分に繋がりはなく、 世界は終わりを終わらせた。 1 「今日はクリスマスだっていうのに、家出なんて」 置き手紙には『旅に出るので捜さなくていい』という内容にとても詩的な表現を添えた文章が記されていた。背中の紙は借用書。たった七桁の数字で現実を見失う父親の矮小さに呆れた天城亜狼は、しかしその数字に思うところがあった。六百万円。それは赤子が中学生になるのに必要なお金に利子を付けたようなものではないだろうか。 「借りを返せと言うのなら頷くけどさ。せめて中学を卒業するまで待てないのかね、あの親父は」 借金を自力で返済してそれから父親を捜すという童話のような計画を脳内に打ち立てた天城亜狼は、とりあえずこのアパートに一秒でも長く居るべきではないことに気付き、父親のボストンバッグにすべての服を詰め込んだ。それから部屋の中の私物をすべて詰め込んで、最後に置き手紙と借用書を詰め込んでもまだ猫の二匹くらい入れるほどのゆとりがあることを嘆いて、鍵を手に、玄関の外へ。 「行ってきます」 いつかまた、ただいまと言える日が訪れますように。 2 千九百九十八年の十二月二十四日は木曜日で、それは天城亜狼の所属する中学校の終業式にあたる日だった。つまり今日から冬休み。それは暖房の利いた教室と温かい給食を手放すということに繋がり、天城亜狼の冒険は絶望から始まった。昨日の夕食からなにも食べていない天城亜狼は空腹を強く感じて、思えば昨日の夕食は割と豪勢な献立だった気がする。最後の晩餐のつもりだったのだろうか。洒落にならない。 お小遣いというものを与えられたことのない天城亜狼の所持金はゼロであり、ゼロである限りお金の使い方も集め方も理解していなかった。それは例えば、飲食店で働いて賄い料理を食べるとか。それは例えば、日払いのアルバイトを探してビジネスホテルに泊まるとか。天城亜狼はまだ中学生ではあるものの、しかしその体力と知力は大人のそれを凌駕している。方法さえ与えればひとりで生きていけるのだろう。 季節は冬。舞台は東京。コートを纏わない制服姿の天城亜狼は序盤から瀕死で、こうなったらその痛みを理解しながら盗みを働こうかなと思ったときのこと。夕陽の向こうに細長い影が現れた。 「あ? ちょっ、なんだよじいさん!」 雪色の髪の西洋人が、天城亜狼の腕を掴んで百貨店の中へと誘う。 3 抵抗しようと思えば簡単で、相手は六十歳ほどの老人だった。西洋人なのだろう。背丈は高いが細身。綿のように白い髪を逆立てて、短髪。青色の目は前だけを見て、いつまでも無表情だった。 抵抗しようと思えば簡単であるが故に―――天城亜狼は抵抗しなかった。 「いらっしゃいませ。空いてる席にお座りください」 連行されたのは蕎麦屋だった。喫煙席に着いた老人の向かいに座り、天城亜狼はかけ蕎麦に海老天と茄子天と南瓜天を頼んだ。老人は餡蜜の絵を指さしていたので、それも一緒に頼むことにした。 「って、思い出した。オレはお金持っていないじゃないか!」 天城亜狼のミステイクに首を振る老人。彼が持ってくれるのだろう、安心して感謝した天城亜狼は運ばれた蕎麦を親の仇のように食べた。食べ終わって老人の目を見ると、彼は天城亜狼にメニューを渡す。追加を頼みなさいという意味らしい。この人は聖夜のサンタクロースだろうかと老人を完全に信じ切った天城亜狼は、涙ぐみながらとろろ蕎麦と肉うどん大盛りを頼んだ。その注文量とうわずった声に店員は一線を引いていた。 「それで、じいさん。アンタは一体誰なんだ?」 アイスクリームを食べながら天城亜狼は遅すぎる質問をして、そのあとで彼が一度も喋っていなかったことに気付く。日本語が分からないのかもしれない。英語で話しかけても無駄で、辿々しいドイツ語で話しかけると頭を撫でられた。彼は喋ることができないのかもしれない。まあどうでもいいやと思った天城亜狼は店を出たあとも老人のあとをついて歩き、エレベーターを上り、屋上駐車場へ。 食後の外は夜になっていた。老人はあたたか〜いペットボトルの紅茶を奢ってくれた。 4 フォルクスワーゲン・ビートルの後部座席で眠そうにしている天城亜狼は、車窓の向こう側に故郷が流れていくことに感慨を憶えていた。父親と一緒に行った飲み屋。父親と一緒に行ったビリヤード場。遊んでばかりの父親『天城有人』は息子を息子として扱わず、それはとりわけ良い意味とは言えなかったけれど―――それでも過ぎてしまえば楽しかったことしか思い出せず、天城亜狼は思い出の夢を見て眠った。 目覚めれば午後の八時で、車は屋敷の門扉をくぐって駐車するところだった。 「ここは?」 車を降りて庭を歩く老人と天城亜狼。見上げれば、それは立派な洋風のお屋敷だった。部屋の数は二桁に届くだろう。近付けば近付くほどに立派な作りで、見とれている内に老人は玄関を開けた。 促されるままに靴を脱げば、背中越しに声をかけられる。 「おかえりなさい」 それはとても透明な声で。 いつか求めた甘い匂い。 振り向けば。 「初めまして。月日由未といいます」 雪色の髪の女の子が、そこに居た。 雪平鍋を持っていた。 5 「亜狼くんは、中学生?」 「ああ。一年生だ。由未は?」 「小学六年生」 「簡単に嘘をつくなよ」 「年齢に嘘をつくほど大人じゃないよ」 「……ならば正直に言おう。三年生くらいだと思ってた」 「若く見られた」 「嬉しいのかよ!」 食事をしながら自己紹介を始める天城亜狼と月日由未。聞けば彼女は赤子の頃に父親を亡くし、十歳の誕生日に母親を亡くしたのだとか。母親の父親である老人こと『長峰葉平』とは産まれたときからずっと一緒で、そのままふたり暮らしを続けているらしい。 「オレはどうしてここに連れてこられたのだろう」 「亜狼くんもまた、おじいちゃんの孫だからだよ」 「……なんだ。誘拐されたわけじゃないのか、オレは」 「うん。だってほら、亜狼くんの髪も―――」 わたしたちと同じ白じゃない、と月日由未は言った。 そこで天城亜狼は月日由未の容姿を再確認する。どこまでも細く、どこまでも軽そうな矮躯はさて置き―――腰まで伸ばされた雪色の髪に、色素の薄い青色の瞳。それはそのまま天城亜狼の色と同じで、ふたりはドイツ人と日本人のダブルだった。 「あとひとつだけ、聞きたいことがある」 「いくつでも答えるよ」 「この料理、異常に美味いんだけど。誰が作ったんだ?」 「それは亜狼くんの目の中に」 「結婚してくれ!」 「出逢って一時間で告白?」 それは本当についさっき食べたばかりの感動の蕎麦屋よりも美味しくて、感情を凌駕するほどのハイエンドの料理だったとのちに天城亜狼は語る。蕎麦屋で三杯もの分量を食べたばかりだというのにご飯を四回もお代わりした天城亜狼は、お風呂に入ったあとで二階の部屋で眠った。 翌日、ボストンバッグの中から借用書がなくなっていた。 6 さて、それは一目惚れといえばそれは一目惚れだったのだろう。明かしてしまえば天城亜狼と月日由未の母親は同一で、生粋のドイツ人であるところの彼女の名前は『長峰美咲』。天城有人とともに天城亜狼が一歳になるまで育て、そのあとで『月日京介』との娘である月日由未を産み、育てた。天城亜狼と月日由未は異父兄妹だった。 その破綻した三角関係はさて置いて、先に述べた通り月日京介は早くに他界している。それが嘘だったとしても彼が子育てに参加しなかったのは本当であり、月日由未は長峰美咲によって育てられた。喋らない長峰葉平からの影響は微々たるもので、月日由未は長峰美咲の言葉と行動をそのままトレースして育ったといえる。罪悪感の分だけ月日由未に優しかった長峰美咲。その優しさをトレースした月日由未は、誰よりも強い母性を獲得した。 「あなたにはおにいちゃんがいるの。おにいちゃんはおとうさんにそだてられて、きっとあまえさせてもらえない。もしもあなたがおにいちゃんとであったら、そのときは、どうしようもないくらいやさしくしてあげてね」 そう言って『本当に』他界した長峰美咲を我が儘の一言で片付けるのは容易だが、それは破綻した三角関係の物語を聞けば意見も歪曲するだろう。 閑話休題。母親になるより早く母性を獲得してしまった月日由未は、予定より早く天城亜狼と出逢うことになる。母親に飢えていた天城亜狼に、母親によく似た容姿の月日由未。その中身は母親には届かないもののイノセントであり、それはつまり。 天城亜狼は、出逢ったときから月日由未のことが好きだったのだ。 7 「亜狼くん、おはよう」 「おはよう。メリークリスマス」 「メリークリスマス。朝ご飯、できたよ」 「いただきます!」 「っふふ、亜狼くんいっぱい食べるから作り甲斐あるよ」 「そう言う由未もいっぱい食べるよな」 「育ち盛りだからね」 「……どこが?」 「亜狼くん朝ご飯抜き」 「ごめんなさい!」 「……亜狼くんは面白いね」 「いや、ボケとツッコミの比率は同じくらいだと思うが」 「こんなに楽しいお喋りができるのは、亜狼くんだけだよ」 「そうか? それならどこか出かけようぜ、話題は外の方が見つけやすい」 「外―――」 「どうした?」 「―――ううん。亜狼くんと一緒なら、それもいいかもね」 「由未?」 「亜狼くん」 「ふつつかものですが、よろしくお願いします」 EX ―――などといった台詞で幕を閉じれば演出としては上出来でも、それがダイアログパートで使い尽くされた手法である限り、ノベルパートの選択肢としては不出来でしょう。モノローグ、アポローグ、そしてプロローグがなんの為に存在するかと言えばそれは節目を作る為であり、以下同文である限り―――終わりを見せてはいけないのだと考えます。ふたりの物語は出逢ったときに終わっていたなどとは、たとえ真実であっても言うべきではないのです。 それはこれからも変わらない形の対話が続くという永遠化で。 だって、ほら。いい加減で優しい男の子と明るい女の子には飽き飽きでしょう? 故に時代は未だ優しさも明るさも得ていなかった頃、千九百九十九年一月一日からの『やり直し』。それは偽りの恋人関係に至るまでの、暴力と虐待に満ちた復讐の話。背中合わせの兄妹は向かうところ敵だらけで、それはおよそ偶然とは呼べないほどの自業。 そして明確な悪意を持って迫り来るラスボス。 冗長に溺れたふたりには、ハッピーエンドは約束しない―――! とまあ、そんな感じで、天城亜狼と月日由未の『最初』で『最後』の対話です。 舞台は琥珀色中学校から長峰の屋敷へと移り、こと学校に関しては最強である天城亜狼と、こと家事に関しては最強である月日由未との、役割の反転。 主人公を入れ換えて、お届けします――― (log1-d.html/2003-12-24) /シスター・ダイアログ(1)へ |
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