カーネーション
ノベルKHM>狼と七匹の仔山羊
Der Wolf und die sieben jungen Geislein
  0

「おまえは僕たちのお母さんじゃないッ!」

  1

 ―――かくして神界の扉は開かれた。
 娑婆の空気を求めて、漆黒の悪魔たちが召喚され続ける。
 その数、実に秒速百匹。
 人より優れた、獣のカタチをしていない化け物が跋扈する。
 蝙蝠のような矮躯から鮫のような凶器まで。
 真っ暗闇の森を蹂躙しようと、神の名のもとに解き放たれた。

「懐かしい。こんどは大勢でいらっしゃったのね?」

 と、彼らのもとに現れる金髪碧眼の令嬢。
 振り上げられた硝子の靴が、蒼色に煌めいていた。
「この二年で、すっかり踊りが上手くなりましたの。ご覧遊ばせ?」
 跳躍。
 重力を無視して軽やかに悪魔の裏を取り、ヒールを刃にして悪魔の羽根をもぐ。
 攻撃の余韻など残すことなく退避、決して悪魔に捕まることはない。
「属性は硝子。この視界は蜻蛉。捕まえてごらんなさいな、唐変木さん」
 ステップを踏んで踵下ろし。
 騙し打ってはオーバーヘッドキック。
 十の悪魔が囲おうと百の悪魔が囲おうと、決して掴むことは叶わない。
「スパイラルステップシークエンス!」
 草木の上を滑っては、止まることのない氷上の魔女。
 場所は変わらずにお菓子の家。
 ただの一度もダメージはなく、彼女は百の悪魔を撃破する。

  2

「従え魔槍! 『敵を貫け!』」
 男がそう言うと、言葉に従って槍がひとりでに手元から放たれる。
 それは絶対必中ののちに持ち手のもとに戻るという神界の魔槍である。
 しかし悪魔は槍を腕に突き刺すことで受け止め、悶えながらも攻撃をやめない。
 ラプンツェルの王子に、致死の爪が振り下ろされる。
「我が名は剣の王子。我が呼びかけに応えよ!」
 刹那、黄金色に煌めく王家の剣。
 悪魔の爪をへし折り、その胸を斬り裂いた。
「獣狩りは趣味じゃないんだけど……」
 言って、剣を鞘に戻そうとする剣の王子。
「安心しろ。悪魔は実体を持たない。具現化された悪魔の媒体は泥の塊で、魂だけのこいつはまた神界に戻るさ」
 槍の王子の言葉通りに、悪魔の死体は泥になった。
 安堵する剣の王子のもとに、別の悪魔が襲いかかる。
「従え聖剣! 『敵を討てッ!』」
 言葉に従って敵を袈裟斬りにする王家の剣。
 それは持ち主に不死の呪いをもたらすという妖精の聖剣である。
 ふたりは背中合わせに武器を構えて、貧民街へと繋がる道を護った。
 ただの一匹も取りこぼすことなく、彼らは二百の悪魔を返り討つ。

  3

「聖剣エクスカリバーと魔槍グングニル。確かにこの目に」
 ラプンツェルの塔の中、最上階の部屋で青色のローブが言った。
 場所は背中合わせの王子とは反対側。荒地に繋がる森の最深部である。
「なぁ、なにが起こってん? ウチにも見せてーな」
 三つ編みの女の子がローブを引っ張って聞いた。
「異世界の扉が開いて、六百六十六匹の悪魔がこの森を闊歩しているんだけど」
「嘘ばっかり。もうええよ、ウチはここのお宝を鑑定してるから」
「鑑定はあとでいいって。このローブの中に全部詰めて帰ろう」
「泥棒はあかん! 大体、あんたの魔法は見たことのある『あーてぃふぁくと』の幻を造ることなんやろ? 盗む必要ないやん」
「見たときにその名前を当てないと無効なんだけど―――僕も泥の魔女に殺されたくないし。うん、盗むのはなし」
「実際に使ってみたらええんちゃう? 外には六百六十六匹の悪魔が居るんやろ?」
「ああ、それは名案だね」
 言って、彼は虹色の水鉄砲を手に取った。
 真っ暗闇の森に向かって引き金を引く。
 銃身から霧吹き状の水が噴き出した。
「……それだけ?」
 水滴の大きさは変わらないまま地面に向かって落下する。
 ―――否、それは上から見たときに大きさが変わらないだけであって、つまりはその体積を増しながら落下していた。
「なるほど。雪だるま式なわけだ。きっとミズダルマデッポウに違いない」
 言っている間に霧吹きは津波になり、天変地異の速度で悪魔たちに降り注いだ。
 数の多さが災いしたのだろう。陣形のない団体は逃げることも叶わず水に押し潰される。
「あるいは子供っぽくアクアブラスター?」
「ハズレみたいやな」
 嘆息した彼女は弓矢を手に持っていた。
「ウチも手伝ってあげる。森に向かって撃てばええんやろ?」
 言って、手際よく弓を引いた。
 矢は分裂を繰り返して千の矢になり、悪魔の全身を貫いた。
 ただの一度も戦うことなく、彼と彼女は三百の悪魔を殲滅する。

  4

「マテリアル・エアレイド!」
 泥の魔女とラプンツェルに風の結界を張って、同じ結界を自身にもかけるエルフ―――赤ずきん。バスケットから黄金の鍵を取り出して、神界の扉に飛び込む。襲い来る悪魔を弾き飛ばして、神界の扉を六秒半で閉じる!
 残った悪魔の数は、六十六匹。
「シューティングスター!」
 レベルの低い彼女は悪魔を一撃で確殺することもできず、長年使わなかった銀貨は見る見る消費されていく。
 それでもそれは目的を達成した彼女には既に必要のないものであり、故に彼女は確実に悪魔を撃破していった。
「…………」
 後夜祭とも呼べる宴だというのに、彼女はとてもつまらなそうな顔をしていた。
 復讐に終わりはないという体験感か、人を殺めてしまったという罪悪感か。
 あるいは―――殺す相手を間違えたという感覚が、彼女の思考を埋めているのかもしれない。
「……おまえらが存在しなければよかったんだ」
 そのカタチが憎い。
 彼を殺したカタチが憎い。
 そうしてまた、彼女は八つ当たりを繰り返す。
「サイクロン・カルテット!」
 場所は真っ暗闇の森のその中央。
 巻き込んでしまったラプンツェルを護るように。
 ただの一度も楽しむことなく、彼女はすべての悪魔を破壊する。

 赤ずきんを被り直して、百五十枚の銀貨をバスケットに詰め直した頃、シンデレラと再会した。
 ラプンツェルに星の銀貨を使ったあとでふたりの王子と再会した。
 いつの間にか居た幻影の魔法使いと三つ編みの女の子。
 かくしてすべての悪魔は泥に還り、七人は泥の魔女のもとに集合した。

  5

「妖精さん……」
 目を醒ましたラプンツェルは、泥の魔女を埋葬して欲しいと言った。
 七人は森一番の大樹へと歩いて、その間に赤ずきんは客観的に事情を説明した。
 幻影の魔法使いがスコップを造り出して、ふたりの王子が大樹の傍に穴を掘った。
 穴の中に寝かせて、その矮躯に虚しさを憶えたふたりの王子が、土をかけた。
「待って。なにも持たせないのは、可哀想でしょう」
 そう言ったシンデレラは赤ずきんから星の銀貨を、ラプンツェルから野の花を受け取った。
 ひとり大樹に駆け寄って、槍の王子の隣に立つ。
 誰もが見守る中、シンデレラが転んだ。
 野の花と銀貨が音も立てずに落下する。
 そして起き上がることはない。
 その胸から吹き零れるは血の泉。
 槍の王子が抱き上げて、シンデレラの本当の名前を呼んだ。
 返事はなかった。

 シンデレラは絶命していた。

 悲しみを演出する時間はない。
 死んだはずの泥の魔女が立ち上がる。
 その爪は剣のように鋭く長く伸びて、真紅。
 背中には同じ色の蟲のような羽根。
 彼は口を三日月のカタチにして、言った。

「やア、ボクはフェンリル。挨拶代わりに殺してあげル」

  6

 シンデレラ亡きいま、もっとも速く行動したのは剣の王子だった。
「従え聖剣! 『敵を討てッ!』」
 躊躇わずに振り下ろされた致命の一撃。
 言霊により加速したそれは、防がれることはあっても回避は不可能。
 ―――相手が人間である限り。
「トリックスター」
 フェンリルは赤ずきんのように魔法名だけを唱える。
 それだけで魔法は正しく発動し、フェンリルは姿を消した。
 否―――
「キミが一番厄介そうダ」
 ラプンツェルの目前に現れるフェンリル。
 彼女の胸元に真紅の爪を伸ばした。
「サイクロン!」
 そのふたりを吹き飛ばす風の魔法。
 幻影の魔法使いがラプンツェルを受け止める。
「悪魔憑き―――!」
 誰かが言って、赤ずきんが震えた。
「違うヨ。ボクは神様だヨ?」
 フェンリルが言って、赤ずきんが前に出た。

「おまえが泥の魔女の記憶を奪ったのか?」
「そうなるネ。もっとも、奪ったあとのボクは、ずっと寝ていただけだけド」
「そうか―――おまえがわたしの仇か」
 赤ずきんは三つ編みの女の子にバスケットを預けて、指の間に銀貨を嵌めた。
 風の魔法で加速して疾走、フェンリルの膝下から思い切り拳を振り上げた。
「バスターカノン!」
 掌から発生する絶命の風圧。
 回避も防御も不可能であるところの一撃はしかし、やはり空を切る。
「なるほド、魔力貯金庫カ。これは愉快な魔法だネ」
 大樹の上に立って嗤うフェンリルの姿。
 彼の魔法は―――
「瞬間移動だね。その範囲は五十メートル以内といったところかな」
 幻影の魔法使いは言った。
「僕が出るよ。赤ずきんちゃん、星の銀貨を分けてくれる?」

  7

 左手に刀。
 右手に拳銃。
 全身を鎧で包み込んだ幻影の魔法使い。
「僕は本当は白兵戦向きなんだ。魔法のような魔法の所為で、誤解されがちだけどね」
 言って、悪魔に向けて拳銃を発砲した。
 それは光速の熱線だった。
「グッ―――!?」
 初めてのダメージに怯むフェンリル。
 瞬間移動で幻影の魔法使いの後ろを取り、攻撃を仕掛ける。
「うわあ、なんて予想通りな動き」
 既に反転して斬りつけていた幻影の魔法使い。
 再び消えたフェンリルを見もせず、誰も居ない空間に向けて三発発砲した。
 その一発を腹に受けて顔を歪めるフェンリル。
「瞬間移動の視点変更に、一瞬動きが止まっているんだ」
 言いながら発砲。近付けば切り返し。
 幻影の魔法使いはフェンリルを圧倒していた。
「なんて、こんなの時間の問題だけど」
 三つ編みの女の子のバックを取り、嗤うフェンリル。
「オマエほど強力な魔法使いが居るとは思わなかっタ。コイツの命が惜しかったラ―――!?」
「変・身!」
 三つ編みの女の子がそう叫ぶと、刹那、目映い光が彼女の身体を包み込んだ。
 現れたのは―――
「がおー!」
 三メートルにも及ぶ熊だった。
 先刻まで居た地面を抉り取られ、空に退避したフェンリルは言った。
「幻影と改造の失伝魔法。オマエも神の器なのだナ?」
 兜を外して、素顔を晒す幻影の魔法使い。
 その耳は鋭く尖っていた。
「神を受け入れるつもりは、さらさらないけどね」

  8

「取引をしよウ」
「どのような?」
「オマエに神界のアーティファクトを見せてやル。ボクを見逃せ、贋作使イ」
「それは好条件だね」
 幻影の魔法使いは武装を解除して、熊は三つ編みの女の子に戻った。
「でも僕が戦闘に参加しなくても、他のみんなが君を許さないと思うけど」
「まさカ。オマエさえ手を出さないのなラ、こんな雑兵に負けるわけがなイ」
「―――分かった。その条件飲んだよ。頑張って生き残ってね、悪戯の神」
 幻影の魔法使いはローブの中に三つ編みの女の子を飲み込んで、消えた。
 あとにはフェンリルと赤ずきん、ラプンツェルとふたりの王子だけが残った。

 槍の王子がゆらりと立ち上がった。
 ぼそぼそと呟くように言った。
「おまえらは狂っている。人を当たり前のように殺して、命の取引をする」
 シンデレラの亡骸を見つめて、笑った。
「ああ、いまなら理解できるぞ赤ずきん。オレもそっち側に行こうじゃないか!」
 槍を構えて―――髪を逆立てて叫んだ。
「従え世界! 『神を殺せッ!』」
「うるさいヨ」
 刹那、槍の王子の首を掴むフェンリル。
 その触手じみた爪を聖剣が叩き斬った。
「あんたはおしまいだ」
 真紅の触手を全身に這わせて、入れ墨のように。
 目の色を失った槍の王子が、フェンリルに猛攻を仕掛けた。
 肌を刺す殺気。
 腕を貫こうとする魔槍。
 脚に噛み付こうとする人の牙。
 獣のように襲い来る槍の王子に、フェンリルは初めて恐怖を憶えた。
「こノ―――人間如きガ!」
「人間を甘く見るな!」
 隙だらけの槍の王子をフォローする剣の王子。
 その背中合わせに隙はなく、瞬間移動に意味はない。
 神の名は人の王子のただふたりさえ倒せなかった。

 だが―――それだけだ。
 お互いにダメージを負うことなく、時間だけが経過する。

  9

 時間。
 詠唱時間。
 風の音。
 水の音。
 ―――鼓動の音。
「楽園の林檎」
「聖なる杯」
「真っ赤な果実」
「真っ暗闇の森」
「罪のない罰」
「罰のない罪」
「星に願いを」
「カインの刻印」
『星の銀貨!』
 踊るように呪印を刻む赤ずきん。
 唄うように呪文を紡ぐラプンツェル。
 純白と青緑の混じった、優しい色の魔力がふたりを包み込む。

「貴様ラッ! なにをしていルッ!?」
 いまさらのように気付いたフェンリルは、それでも嗤っていた。
「儀式魔法カ。愚かナ。ボクに当てられるとでも思っているのカ?」
 ギリギリで避けようというのだろう、フェンリルは王子との戦闘を続行した。
 ―――それが敗因になるとも知らず。
「束縛魔法!」
 ラプンツェルが魔法を完成させた。
「テスタメント・ジャッジメント!」
 刹那、ラプンツェルの指先から伸びる蜘蛛の糸。
 それは青緑色に染まった菌糸だった。
「トリックスター!」
 すんでのところで避けるフェンリル。
 そのままふたりの王子を巻き込む蜘蛛の糸。
 否―――
「アピール!」
 蜘蛛の糸は軌道を大幅に変えて、大樹の上にワープしたフェンリルを捕らえた。
「ふン―――こんなもノ、また瞬間移動をすれば済むだけの話だろウ」
「そんな魔法に六十秒もかけないの」
「ナニッ!」
 フェンリルの魔法は発動しなかった。
 人間だけが扱える儀式魔法、その最上級の束縛魔法。
 それは絡め取った相手の魔法を封印する禁呪魔法である。
「待テ。取引をしよウ」
「うるさいな。黙って死ね」
 赤ずきんが吠えた。
「あんたなんか―――死んじゃえばいいんだッ!」
 ラプンツェルから遅れること四十秒、百秒をかけて二度目の大魔法を完成させた。
 戦車のように巨大な純白の弓矢。
 幸いなことに対象は斜め上。
 城ひとつを吹き飛ばす超魔力を、フェンリルただひとりに向けて放った。

「スタープラチナ!」

 時を止めたような轟音。
 絶望に顔を歪めたフェンリル。
 大樹のてっぺんごと、その身体を消滅させた。

  10

 そうして。
 すべての銀貨を使い果たして、四人はフェンリルを撃破した。
「ごめん。わたしのせいで、シンデレラは死んだ」
「ああ―――いや、そなたが気にすることではない」
 槍の王子は泣きそうな顔をしたあとで実際に泣いて、大樹を殴りつけた。
 そんな槍の王子を後ろから抱き締めるラプンツェル。
 なにも考えてはいないのだろう、フェンリルに付けられた傷を癒すため髪を伸ばした。
「ラプンツェル……」
 かける言葉が思いつかなかったからだろう、彼女は歌を唄った。
 それはまるで意味を成さない異国の言葉だった。

 剣の王子がシンデレラの身体を抱いて、泥の魔女を埋葬するはずだった穴に横たえた。
 槍の王子がお別れを告げたあとで、野の花と一緒に土がかけられる。
「赤ずきん。そなた、行くところがないのならオレと一緒に城へ来るか?」
「―――いいのか? わたしはおまえが憎んでいる人殺しだぞ?」
「人殺しが憎いわけではない。殺人が哀しいだけだ」
 そう言って、赤ずきんの頭を撫でた。
 もう一度だけ大樹を振り返ったあとで、四人は城に向かって歩き出した。

  ―――否。
  その昔話は有り得ない。
  兄と妹がラプンツェルの子供である限り、ラプンツェルと剣の王子は死ななければならない。

「トリックスター!」
 真紅の羽根が舞い散った。
 それは泥の魔女の身体ではなかった。
 剣の王子の頭を貫いたのは―――裸足のシンデレラだった。

  11

「あア、回復の魔法は使えないヨ。なにしろ脳を破壊したからネ」
 シンデレラは―――フェンリルは、蛙のように醜く嗤って言った。
「説明しよウ。ボクの魔法は転移と寄生。泥の魔女の身体を失ってすぐにこっちの身体に憑依したんダ」
 腕を胸の前でクロスさせて、振り下ろす。
「死体があればボクは不死なのサ。もっとモ、この世界で肉体を失っても神界に強制送還されるだけだけド」
 フェンリルの両爪はまた鋭く長く伸びた。
「ボクはまだまだ遊び足りなイ。鼠のように嬲ってあげるヨ」
 言って、地面を蹴ってラプンツェルに襲いかかった。

「シルフィードブレス!」
 赤ずきんが間に入った。
 風の結界を纏ってフェンリルに殴りかかる。
「おいおイ、キミはロングレンジに長けた下級魔法使いだろウ」
 まるで素人の攻撃を簡単にいなして、フェンリルが赤ずきんの魔法を明かした。
「一秒魔法の正体は魔力の全消費。星の銀貨を持たないキミハ、誰よりも弱いただの子供ダ」
 赤ずきんの結界を打ち破り、その脇腹を掴んで持ち上げた。
 真紅の翼で空を飛び、上空百メートル。
 それはいつかの悪夢のように。
 ただし、星の銀貨はないけれど。
「さよなラ、赤ずきんちゃン」
 真紅の爪が赤ずきんの心臓を貫いた。
 そのままゴミを捨てるように放り投げた。

 地上に舞い戻ったフェンリルは嘆息する。
 槍の王子が自暴自棄な契約を結んでいたからだ。
「従え我が肉体! その命尽きるまで! 『敵を討てッ!』」
 解呪のコードを失った契約。
 生命力をエンジンとした盟約は、王子のリミッターを簡単に外す。
 だが―――それはシンデレラの身体を酷使するフェンリルにとっても同じこと。
「またそれカ。ひとりじゃなにも出来ないくせニ」
 瞬間移動を重ねて懐を取り、その腹を抉った。
 臓物を撒き散らしてなお追撃を重ねる槍の王子。
 それは一撃ごとに威力を増し、速力を増していく。
 相手が騎士であれば最強であった命をかけた一撃は、トリックスターの前ではまるで子供の駄々だった。
「この身体はなかなか使いやすいナ。ふム、一番最初に殺しておいて正解だっタ」
 槍の王子を組み伏して、フェンリルが言う。
「さよなラ―――ってもう絶命したのカ。息をしていなイ」
 フェンリルは満足して、ラプンツェルを見た。

「キミは優秀な魔法使いダ。魔力の消費も少なク、そして万能。回復魔法使いは貴重だしネ」
 フェンリルは真紅の羽根を広げてラプンツェルに近付いた。
「ボクの相棒にならないカ? 童話のように幸せにしてあげるヨ?」
「幸せを壊したのはあなたの方なの」
 ラプンツェルは髪を伸ばして―――フェンリルに向けた。
 フェンリルは避けて、槍の王子の身体を包み込む。
「あア、回復魔法だったカ。避けなければ良かっタ」
「王子様はまだ死んでないの。大量に失血したって、心臓を破壊されたって―――少しの間は生きていられるのよ?」
「そんなことは知っているけド―――まさカ、この状態から修復できるのカ? キミは」
「シンデレラだって、あなたが邪魔しなければ間に合った筈なの」
 短い対話の内に、槍の王子の身体は修復された。
 ただし意識は失われたままだった。
「全ク、七匹の仔山羊はどいつもこいつも狼ダ。気が変わっタ。キミも死ねヨ」
 言って、真紅の爪が伸ばされた。
「ワイルドブルーム」
 絡め取るようにして防ぐラプンツェル。
 その髪の色が―――黄金色に染まった。
 ラプンツェルは言った。

「あなたはわたしのお母さんじゃない」

  12

「ジャッジメント!」
 十本の指から繰り出される網の目の蜘蛛の糸。
 蜘蛛の巣を張るように全方位。
 ラプンツェルは蜘蛛のように糸を伝い、空中戦を仕掛けた。
 もっとも、フェンリルの羽根はただの飾りになりさがったが。
「儀式魔法―――ではないナ。ただの巣作りカ」
「あなたは白兵戦しか挑めない歩兵なの。足を押さえれば、あとは木偶の坊」
「言ってくれル。キミにこれ以上魔法があるとは思えないけド? そもそも魔力が残っているかどうカ」
「ブレイク!」
「――――――ッ!」
 フェンリルの羽根を絡めていた蜘蛛の糸が爆発する。
「分かったことがあるの」
 次々と誘爆させて、攻撃の手を休めないままラプンツェルが言った。
「幻影の魔法使いさんが、あなたの瞬間移動範囲は五十メートルと言っていたけれど」
 それは攻撃というよりは、まるで―――

「でも本当は。目に見えている範囲だけ移動できるのよね?」

 ―――視界を塞ぐように。
「口を塞げば妖精さんが最弱になるように。あなたを倒したいのなら、目を塞げばいい」
 高らかに宣言して、糸を手繰り寄せる。
 フェンリルの元に収束させて、その身体を束縛した。
「そんなこと、もう関係ないけれど」
 ラプンツェルは指を鳴らした。
「ブレイク!」
 ラプンツェルの全魔力が爆発した。
 胞子の雪と共に舞い降りて、着地した。

「これでやっと魔力は空になっタ?」
 剣の王子の声がした。
 振り返れば、今度のフェンリルは初恋の人だった。

  13

 ラプンツェルの髪は雪のように真っ白になっていた。
 スカートの裾を掴んで泣いていた。
「可愛いなァ。そうダ、キミを殺してキミになることにしよウ」
 フェンリルは腰から王家の剣を抜いた。
 胞子の雪を歩いて、ラプンツェルの前で足を止めた。
「ボクの身体になれヨ、ラプンツェル!」
 剣を振り上げる。
 躊躇うことなく振り下ろす。

「!?」
 フェンリルの視界が真っ暗になった。
 剣には手応えがない。
「だーれだっ」
 場にそぐわない子供の声が流れた。
 フェンリルの目は、後ろから抱きついた子供の手によって塞がれていた。
「誰ダッ!」
「それを当てるんだってばぁ」
 甘えるような甘い声。
 子供はしゃがんだラプンツェルを見て笑った。
「なんちゃって」
「だからオマエは誰なんダッ!」
「おいおい、わたしを子供と言ったのはおまえだろう。トリックスター」
 子供は―――赤ずきんはシニカルに笑って言った。
「答え合わせはもういいだろう。回復の魔法は使えないけど、それだけだ」
 その胸には依然として穴が開いていた。
 ただしそこには純白の風が詰まっていた。
「赤ずきんちゃん、その靴……」
「貧民街出身は手癖が悪いんだ」
 赤ずきんは硝子の靴を履いていた。
 硝子の靴は血で染まって赤くなっていた。
「踵を切り落としたの?」
「ああ。シンデレラの靴は小さすぎる」
 笑って、赤ずきんは言った。
「ラプンツェル、最後の銀貨は持っているな?」
「もちろん。妖精さんの、手向けの銀貨だもの」
 ラプンツェルが銀貨を掲げ、青緑色の魔力が煌めく。

「泥のお城」
「エエイ、離セッ!」
「魔女の恩寵」
「ナゼ離レヌッ! タカガ人間ノ子供ッ!」
「眠れる森」
「! ナンダソノ魔法ハ!?」
「いばら姫」
「マサカッ! ヤメロ、ナンデモスルッ!」
「星の銀貨!」
「嫌ダッ! マダマダ遊ビ足リナインダッ!」

「ラプンツェル・クロニクル!」

  14

 槍の王子が目を醒ますと、一面雪の世界だった。
 少しだけ歩くと赤ずきんが眠っていた。
「おい! 大丈夫か!」
「……ああ、目覚めたか。本当にキスでいいとは簡単なコードだな」
「そなたが解いてくれたのか―――ということは、フェンリルは?」
「そこに閉じ込めた」
 槍の王子が顔を上げると、そこには赤い大樹があった。
「シンデレラを倒したあと、こんどはおまえの兄の身体に乗り移ったんだ」
「……そうか」
「ラプンツェルが愛していた人を抱き締めて、そのままいばら姫の儀式魔法を使った」
「―――ということは、百年の間奴は外に出られないのだな。不死の神族に取って最大の罰じゃないか」
「ラプンツェルも一緒だけどな」
「そうだったな……」
 沈黙のあと、王子は赤ずきんの手を取った。
 その手は握った端から崩れ去っていった。
「気安く触らないで」
「あ―――そなたの身体は、もう―――」
「その腕はフェンリルに斬り落とされただけだ。あいつは気付かずにわたしの肩ばかり狙っていたが」
 風の魔法でも止血くらいは―――身体のパーツを繋げることくらいはできる、と赤ずきんは言った。
 王子は赤ずきんの話など聞かず、目の前の彼女を助ける方法だけを考えていた。
「おまえは優しいな。わたしの所為でみんな死んだのに」
「遅かれ早かれ、泥の魔女が死ねばフェンリルは現れたのだ。やはり誰かが死んだのだろう」
 王子は思いつき、お菓子の家の食べ物を持ってくると言って走っていった。
 あれも原理は星の銀貨と変わらない。魔力さえ取り戻せば、風の魔法で血を循環させることも可能だろう。病院に行くまでの応急処置にはなる。
 ―――ただし、赤ずきんの生命力が残っているのならの話。
「看取って欲しかった……なんて、言える立場じゃないか」
 赤ずきんは夜の雪の中、赤い月を見た。
 思考が断線する。

  15

 達成感はない。
 また相手を間違えた気がする。
 本当は復讐するべき相手なんて居ないのかもしれない。
 それは最初に悪魔を殺した時点で達成していたのかもしれない。
 黄金の鍵で神界に行けば良かったのかもしれない。
 彼女は多くの者を巻き込んで、その結果死なせてしまった。
 ラプンツェルに至っては、百年後、誰も居ない世界でフェンリルと一緒に目覚めなければならない。
 この戦いは結局のところ敗北したといえるのだろう。
 彼女は涙を流した。
 斬り落とした踵が痛んだ。
 斬り落とされた両腕が痛んだ。
 もうないはずの心臓が脈動した。
 生命力を使った風の魔法ももう限界。
 偽物の心臓は停止した。

 見上げれば、赤い月。
 振り向けば、赤い大樹。
 真っ赤な靴を履いた赤ずきんは、雪の中で息絶えた。
(khm5.html/2006-11-08)


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Kinder und Hausmarchen
Title
01 星の銀貨-Die Sterntaler-
02 ラプンツェル-Rapunzel-
03 兄と妹-Bruderchen und Schwesterchen-
04 ヘンゼルとグレーテル-Hansel und Gretel-
05 シンデレラ-Aschenputtel-
06 手なし娘-Das Madchen ohne Hande-
07 踊ってすりきれた靴-Die Zertanzten Schuhe-
08 森の中のおばあさん-Die Alte im Wald-
09 赤ずきん-Rotkappchen-
10 雪白と薔薇紅-Schneeweischen und Rosenrot-
11 狼と七匹の仔山羊-Der Wolf und die sieben jungen Geislein-
12 賢いグレーテル-Die kluge Gretel-
EX ハウスメルヒェン・ダイアログ
EX 子供たちが屠殺ごっこをした話
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