カーネーション
ノベルKHM>シンデレラ
Aschenputtel
  0

 ひとつ、古い話をしてやろう。
 時代は省略、場所は秘密。
 それは灰を被った気高い娘の物語じゃ。

  1

 娘は金持ちの男と魔女の間に生を受け、愛されて育った。
 その器量を褒められては要領を憶えて、娘は純粋培養のお嬢様として育てられたのじゃ。
 上品に食べ物を食べ安らかに眠り、優雅に踊るお嬢様。
 幼い娘にとっては父親と母親に褒められることがすべてであり、優雅であればあるほど素直に褒めてくれるという大人たちの優しさもあったのじゃろう、娘はその国の妃にも劣らないほど美しく育った。
 もっとも、心の方は美しいとは言い難かったが。
 娘の十二歳の誕生日、魔女は死んだ。

 硝子の魔女と呼ばれていた彼女は、死を前にして娘に呪いをかけたという。
 呪印を刻んだあとで、彼女は言った。
「もうおまえはなにをしても私に褒められることはないし、叱られることもない。それは大変に孤独なことだと私は知っています。おまえはこの先の人生、誰に望まれるでもなく自分の為に生きなければなりません。傷を負わせれば罪を負わなければならないし、欲しいものを手に入れるには対価を払わなければならない。その人生を選ばなければならない。おまえはまだまだ子供ですが、この先の人生一度も子供扱いされることはないでしょう。不幸を前にしても、幸せを前にしても同じことです。うろたえずに、優雅に生きなさい―――」

 そう言った母親が土の下に埋葬されたあとで、娘は自分の身体に違和感を憶えた。
 誕生日プレゼントの赤い靴が、硝子の靴に変わっておったのじゃ。

  2

 母親を亡くした娘は、やがて父親の再婚相手である家族と同居することになった。
 再婚相手にはふたりの娘があり、彼女らより年下であった娘は格好の標的にされてしまう。
 それは貴族が貴族であるための弱肉強食、本能に刻まれたピラミッド。
 娘の部屋を奪い取り娘の服を奪い取った義姉たちは、薄汚れた肌着を娘に着せた。
 そして食事を作らせては洗濯物を渡し、まるで貧民街の女中のように扱ったのじゃ。
 さて、問題は父親である。
 実の娘をそのように扱われていた父親はしかし見て見ぬ振りをして、新しい家族との時間なんてまるで取らずに外出ばかりしていた。
 魔女の恩寵に甘えていた父親は彼女の死後あっさりとその人徳を失い、いまや他の貴族に見限られないように金ばかりを使って地位を繋ぎ止めていたのじゃ。
 彼も魔女に愛された男であるからには過去に物語を持っていたのじゃろうが―――人は簡単に地に堕ちる。
 終いには家族ぐるみの末娘虐待に自らも参加して、しかして娘の保護者は誰も居なくなった。

  3

 そのような生活が二年ほど続いた。
 虐待と強制奉仕はエスカレートして、娘はあらゆる女中よりも厳しい仕事量をこなしていた。
 朝は日が昇るより前に水を汲み、家事を終えたあとで義姉のバラ撒いた豆を拾わされ、それが終わると暖炉の横で僅かばかりの睡眠を貪る毎日。
 やがて灰と煤にまみれた娘は、シンデレラと呼ばれるようになった。
 名前の由来は灰かぶり。
 バイ菌と呼ばれるような屈辱である。
 それでも娘は表情を崩さずに、ただの一度も泣かなかった。
 脱ごうとしても脱げない硝子の靴。
 それはもちろんハイヒールであり、ハイヒールである限り娘はいつだって背伸びをしていたのじゃ。
 硝子の魔女の血液具晶化により生成されたそれには、ある魔法が込められていた。
 ひとつは足音を全く消し去ってしまうこと。
 もうひとつは―――

  4

 さて、その国では三日に渡る舞踏会が開かれていた。
 メインイベントは王子の妃選び。
 下り坂ではあるものの貴族であるこの一家も招かれることになり、義姉は嬉々としてドレスを選んだ。
 娘に癖っ毛の髪を梳かせて、靴にブラシをかけさせる。
 そして馬車を呼びつけると、当たり前のように当主の娘であるシンデレラを置いて出発してしまったのじゃ。
 娘はそのことに絶望するでもなく唖然とするでもなく、鬼の居ぬ間に心を洗濯することもなく。
 美味しいとも思っていない紅茶を淹れて、義姉のこぼした豆を選り分けていた。
 その洗練された動きは正に高貴であり、無駄な動きのない優雅なものじゃった。
 そうして義姉が思うよりずっと速く仕事を終わらせてしまった娘は、暖炉の横で目を閉じた。
 暖炉の中から鳩が現れて言った。
「豆を選り分けるの、僕が手伝ってあげようか?」
「もう終わらせてしまったわ」
 豆鉄砲を喰らったような顔をして、鳩が言った。
「舞踏会を見てみたいと思わないかい?」
「―――それは素敵なお誘いね」

  5

 家を出て鳩の後についていけば、そこは古びた鳩舎の上じゃった。
 もう使われていないのじゃろう、梯子は腐っていてとても登れたものではない。
 しかし娘は躊躇うことなく梯子に手をかけて、優雅に登ってしまった。
 ―――足音を消し去るということは、重力を消し去るということなのじゃ。
 娘が踏みしめた大地は踏みしめられたことを自覚せず、硝子の靴はあらゆるものに影響を与えない。
 地を蹴ることによって歩いていない娘は、本当は空だって飛べるのじゃ。
 奴隷のような生活の中では、そんなことなんの役にも立たないが。
「ごらん、名前を忘れた女の子。お城では愚者たちが踊っているよ」
「ここに居ない人の悪口を言うものじゃないわ」
 鉄砲に穿たれたような顔をして、鳩が言った。
「きみは悔しくないのかい? 理不尽だとは思わないのかい?」
「どうして? 私は私の信じるように生きているだけよ、流されていない」
 凛とした表情で、娘は言った。
「私は優雅に生きている」
 鳩はクルクルと鳴いたあとでパーと言った。
 それからふたりは舞踏会に魅入った。
 帰り支度を整えたあとで、娘は聞いた。
「ところであなたは、誰ですか?」

  6

 次の日、再び舞踏会に赴く家族を見送ったあとで、娘は花に水をやろうと庭の戸を開いた。
 紫陽花の咲く庭には魔法使いが居た。
「僕は」
「昨日の鳩ね」
「先に言わないで欲しい……」
 青色のローブを纏った彼は幻影の魔法使い。
 変身の能力と幻術を併せ持つ、騙し討ちの得意な輩である。
 娘の前に跪いてそいつは言った。
「僕と一緒に踊ってくれませんか?」
 娘は居住まいを正して答えた。
「それは素敵なお誘いね」
「それならあなたに、光のドレスを用意しましょう」
「ありがとう。少しだけ待っていただけるかしら?」
 そう言って、娘は身体を洗いに行った。
 そうそう、義姉も継母も気付かなかったが、彼女は本当は毎日身体を洗っていたのじゃ。
 硝子の靴の本当の能力で気付かなかっただけという話。
 閑話休題、より綺麗になった娘は受け取った光のドレスを纏った。
「私にばかりおめかしさせて、あなたはローブで踊るつもり?」
 そう言った娘の前で、魔法使いはクルクルと呪文を唱えた。
 気の抜けた音と共に紙吹雪が舞い、魔法使いはタキシード姿になった。
「さて、舞台は舞踏会。外に馬車を用意したよ」
 魔法使いと共に外に出た娘は、その乗り物を見て言った。
「―――この鼠と南瓜はなにかしら」

  7

 城に辿り着いたふたりは正面から赤い絨毯を踏みしだいた。
 受付に告げる名前は貴族のひとり娘、シンデレラ。
 どこまでも堂々としたふたりはまもなく通されて、酒を手にした。
 飲んだことなどないくせに一息に飲み干した娘は、グラスを下げさせた。
 魔法使いが言った。
「同じ言葉を何度でも繰り返そう―――」
「遠慮なさって」
 娘は拒み、そして言った。
「私と一緒に―――踊りましょう?」

 それはまるで定時を告げる鳩時計のように、みんなが一様に振り向いた。
 主役は最も遅く現れたふたり組。
 純白のドレスに身を包んだ金髪碧眼の美しい少女と、青色のタキシードに身を包んだ赤髪の麗しい男。
 衆人環視の中姫君と王子のように踊るふたりは、まるで舞踏会の主役じゃった。
 曲の終わり、抱き合うふたりに拍手が届けられる。
 貴族と貴族と貴族に褒めちぎられたあとで、受付の男に声をかけられた娘。
 ついて歩けば、そこには国の王子が居た。

  8

 さて、光のドレスと称されたそれはもちろん幻影であり、幻影であるからにはいずれ消滅する。
 幻影の魔法使いは優秀な奴ではあったが、それでもその持続時間は四時間と言ったところ。
 お誂え向きにそれは夜の十二時―――舞踏会の閉宴時間じゃった。
 馬車でその旨を聞かされていた娘は、頭の中で秒数を刻みながら王子と対話を楽しんだ。
 閉宴の少し前に、娘は言った。
「それではごきげんよう、王子様」
 その腕を掴んで王子は言った。
「明日も来ると誓え。そなたを妃にしてやる」
「それは光栄ですわ。そうですね、あなたが私を見つけることができたのなら―――」
 そう言って城を後にした娘の横に、鳩が現れた。
「これは家に帰るまでに間に合わない。空を翔よう、硝子の魔女」
「分かったわ。っふふ、私の舞についてこれるかしら?」
 ふたりは時間もないというのに、笑いながら空を踊って帰った。
 家の中で灰にまみれた服を手にしたとき、幻影の魔法は解けた。

  9

 次の日の朝、継母と義姉は不機嫌じゃった。
「二日目に遅刻してやってきた小娘に王子様を独占されるなんて……!」
「王子様も王子様よね。大人ぶっていたけれど、あんなのせいぜい十三、四歳の小娘でしょ?」
 新しい父親がどんどん堕落していくからであろう、玉の輿に乗ることに夢中になっていた三人は焦っていた。
 三人の靴紐を結んでいた娘に八つ当たりをする。
「あのさあ、靴紐がきつすぎるのよ。あたしになんか恨みでもあんの?」
 そう言って娘のおでこを蹴った義姉は、ちょっとした罪悪感に苛まれながらも娘に唾を吐きかけた。
 そしてこれは面白いことを思いついたとばかりに娘に言った。
「…………ねえ、あんたも舞踏会に来る?」
「行ってもいいの?」
「もちろん。その薄汚い格好でいいならね!」
 継母と義姉は笑いに笑った。
 父親は新聞ばかりを読んでいた。
「足だけは立派に硝子の靴ってのがムカつくけど―――あれ? 硝子の靴?」
「そういえば、昨日の小娘も硝子の靴を履いていたような―――」
 考え事をしている義姉に、娘は言った。
「この服で構わないわ」
「え?」

「私も舞踏会に行きたい」

  ◇

 その日の夜のこと。
 娘を迎えに来た幻影の魔法使いは、家に誰も居ないことに驚いたそうじゃ。

  ◇

 さて、そうして娘はしっかりと身体だけは洗って灰かぶりの服を着た。
 今度は本物の馬車に乗り込んで、父親の隣に座る。
 父親が数ヶ月ぶりに娘に話しかけた。
「門前払いされても知らんからな」
「大丈夫よ。私はお父様が思っているより、ずっとずっと悪い子だもの」
 それからまだ明るい街並みを久しぶりに見て、娘は心を洗った。
 舞踏会の最終日は、まるで街全体が踊っているよう。
 空の青。
 星の白。
 月の琥珀。
 すっかり楽しい気分になってきた娘は、澄ました顔をして馬車の揺れを感じていた。

  10

 父親と継母、義姉が頭を下げて受付を済ませると、シンデレラ。
「こんな格好で失礼します。昨日は楽しかったですわ、ミスター―――」
 動揺する受付の男と娘の家族。
 受付の男は、逡巡したあとで言った。
「あなたはシンデレラ様ですね。なるほど洒落の利いた名前だと思いました。どうぞ、着替えを用意しましょう」
「―――いえ。私はとある人と約束したのです。この姿のままで踊るのはいけないかしら?」
「それは―――いえ、分かりました。あなたの希望ならば叶えましょう」
 お礼を言って、時間が来るまでは隅の方でじっとしていますと娘は言った。
 さて、動揺を抑えられないのは娘の家族である。
 娘の父親に、受付の男は言った。
「あなたの家で、実の娘を女中扱いしていることは有名ですよ。あなたは愚かな人だ。娘を自由に育てていれば、今頃は貴族の長になれただろうに」
 言い捨てられて、フラフラと倒れそうになった父親を継母が支えた。
「気にすることはないよ。あいつらはなにも分かっちゃいないのさ。魔女の娘をまともに育てられるわけないじゃないか……!」
 娘とは逆方向の隅の席で、継母は父親を慰めた。
 手持ち無沙汰になってしまった義姉は、自棄になって娘を折檻してやろうとその姿を探した。
 娘の姿は、どこにもなかった。

  11

 舞踏会が始まった。
 受付の男は国の兵士に頼み、娘を捜させた。
 金銀に紛れた灰色など簡単に見つかるはずなのに、その姿はどこにもなかった。
 受付の時間が終わり、少数を残して受付の男たちも捜し始めた。
 テーブルの下から調理室の収納まで覗いたが、娘は見つからなかった。
 昨日の踊りをまた見たいと訪れた貴族たちも思い思いのところを捜索したが、彼女は居ない。
 城の外を捜せど、目撃者も居なかった。
 そして幻影の魔法使いが城に辿り着いて、硝子の靴の魔力を感知しようとしてもそれさえできなかった。
 娘は誰にも見つからなかったのじゃ。

 ―――否、多くの者が娘を捜している中、動かない者が居た。
 この国の王子である。
 彼は隅の席を見て、その椅子が灰に汚れていることに気付いた。
「そなたの名は灰かぶり。そこに居るのだろう、硝子の魔女よ。『姿を現せ』」
 彼がそう言うと、娘は突如としてそこに現れた。
 そして胸に手を当てて言う。
「本当に見つけてくれるとは思わなかったわ」
「オレを甘く見るな。そなたが捜せというのなら、黄金の鍵だって見つけてくれるわ」
「―――薄汚れた私と踊ってくれるかしら?」
「当たり前だろう。くだらない質問をするな」

 僅かばかりの者が見ている中、王子と娘は共に踊った。
 すべての者が集まった頃、ふたりは熱いキスをしたのじゃ。

  12

 硝子の靴の能力はタップのキャンセル。
 そして『存在を秘密にする』というのがその真価じゃ。
 使いどころを正せばこの世すべての魔女を敵に回せるほど凶悪な魔法を持ってして、娘はかくれんぼをした。
 それは十四歳がやるには子供じみた遊び。
 自分のことを不幸だなどと一度も思わなかった彼女は、こうして幸せを手に入れたのじゃ。

 蛇足すると、娘は家族の評判を落とさないように知恵を回して、見事家族までも幸せにしてみせた。
 白鳥のように優雅に、白鳥のように足掻く硝子の魔女。
 空を散歩しているとき、娘は鳩と再会した。
 娘は言った。
「あなたはどうして私を助けようとしたの?」
 鳩は答えた。
「きみが可哀想な女の子だと思ったからさ」
(khm21.html/2006-10-18)


/手なし娘へ
Kinder und Hausmarchen
Title
01 星の銀貨-Die Sterntaler-
02 ラプンツェル-Rapunzel-
03 兄と妹-Bruderchen und Schwesterchen-
04 ヘンゼルとグレーテル-Hansel und Gretel-
05 シンデレラ-Aschenputtel-
06 手なし娘-Das Madchen ohne Hande-
07 踊ってすりきれた靴-Die Zertanzten Schuhe-
08 森の中のおばあさん-Die Alte im Wald-
09 赤ずきん-Rotkappchen-
10 雪白と薔薇紅-Schneeweischen und Rosenrot-
11 狼と七匹の仔山羊-Der Wolf und die sieben jungen Geislein-
12 賢いグレーテル-Die kluge Gretel-
EX ハウスメルヒェン・ダイアログ
EX 子供たちが屠殺ごっこをした話
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