カーネーション
ノベルKHM>赤ずきん
Rotkappchen
  0

「どうしてきみの耳は鋭く尖っているの?」

  1

 わたしの呼び名は赤ずきん。
 本当の名前は教えてあげない。
 古城の貧民街で年下の子供たちと寄り添い眠るストリートチルドレン。
 それでもわたしの背丈は決して低くはなかったし、顔色だっていつも良かった。
 わたしには特技があるのだ。
 勿体ぶらずに教えてしまえば、それは解錠の能力。
 あらゆる錠を触れるだけで開けてしまうわたしは、ただ人の目を盗むだけで物を盗むことができた。
 仲間の子供たちはいつだってわたしを護ってくれる。
 それはもちろん、貴重な戦力として。
 頼られるという自己認識、護られるという愛情表現。
 貧民街の子供たちはみんなわたしの容姿を技術を性格を褒めてくれて、嬉しかった。
 残虐な物語ばかりが満ちている貧民街で、わたしは優しい童話を手に入れたのだ。

 ―――もちろん、それで終わるほど人生は短くなかったけれど。

 適当な家から盗みを繰り返していたわたしたちは、やがて大人たちに捕まることになる。
 盗った物を返しさえすれば許してやると言った貴族は殊の外優しかった。
 お金持ちは愚かで貧しい人は信心深いと言うのは、どうやら眉唾ものだったらしい。
 不思議な形状をした短剣を返すと、貴族はひとかたまりのパンを恵んでくれた。
 危険な目に遭わせた罪滅ぼしのつもりでそのパンを仲間にすべて渡すと、またわたしはお姫様になった。
 それで終わるほど短くない運命は、それからすぐに貴族との再会を果たしてくれた。
 ただしこんどは、貴族の方が犯罪者だったが。
 不思議な形状をした短剣で、貴族は貧民街の男を刺していた。
 わたしの姿に気付いて振り向いた貴族の手から、星色の銀貨が落ちた。

  2

 貴族は言った。
「ち、違うんだ」
 わたしは本当は怯えながら、強がって言った。
「大丈夫。悲鳴を上げたりしない」
「ほ、本当?」
「だからせめて、痛くないようにして欲しい」
「違うんだって! 僕は殺人鬼じゃない!」
「誰でも初めはそう言う……」
「なんで過去に殺人鬼に会ってる風!?」
「紳士な殺人鬼なんて珍しくもなんともない」
「だから違うって! よく見てよ、この人は生きている!」
 男はいままで動くのが面倒だったのだろう、貴族が手を離すとゆるやかに背筋を伸ばした。
 面倒そうに欠伸をする彼に、貴族がパンを渡す。
 これをオレにくれるのかと呟いた男に貴族が頷いて、かくして男はパンを抱えて走っていった。
「誤解は解けた?」
「なるほど。殺人鬼じゃなくて吸血鬼だったのか」
「解けてねぇー! むしろ業が増している気すらする!」
「冗談だ」
「真面目な顔で『冗談だ』と言われても……」
「おまえが危害を加えないのなら、わたしは帰る」
「あ、いや、ちょっと待って」
「なんだ。犯すのか? 殺すのか? 血を吸うのか?」
「なんでどれも終身刑になりそうなものばかり……」
「冗談じゃない。わたしはまだ死にたくない」
「さっきは痛くないように云々と言っていたのに!」
「言葉の文だ。それで、なんの用だ?」
「……口止め料。いま見たことを忘れて欲しいんだ」
「お金をくれるのか?」
「うん」
「それなら欲しいものがある」

「フランクフルト・ソーセージが食べたい」

  3

 貴族の家のテーブルに腰を下ろして、料理が出てくるのを待つ。
「コックやメイドは居ないのか?」
「居ないよ。ひとり暮らしだからね、必要ないんだ」
 銀の皿にソーセージと茹でた野菜を載せて貴族が戻ってきた。
 驚いたことに、ライスが付いていた。
「生きてて良かった……」
「大袈裟な―――いやごめん、失言だった」
 貧民街出身ということを考慮してか、口に手を当てる貴族。
 無視して食べていいかと尋ねた。
 貴族は頷いて、そのあとで思い出したように言った。
「その前にその赤ずきんを外しなさい」
「嫌だ」
 即答したわたしに顔をしかめる。
 マナーと衛生という言葉が三回ずつ登場した頃、わたしはソーセージを頬張っていた。
 もちろん赤ずきんは被ったまま。
「……だから子供は嫌いだ」
「子供じゃない」
 紅茶を口に含んで、その後味に渋い顔をしながらわたしは言った。
「二十歳だ」
「はいはい」
「はいは一回」
「承諾の『はい』じゃないんだけど……」
 フォークをグーで握りしめて、ライスをすくう。
 口に含むと新食感だった。
「それで、さっきの行為にはなんの意味があるんだ?」
「いや、だからこれ口止め料」
「誰にも喋らないのだから、そんなわたしに話しても漏れることはないだろう」
「……そういうものかな。分かった、きみが食べ終わったら説明するよ」
「そうか。それなら食事を続けよう」
 そしてわたしは目で鼻で舌で喉で胃で食事を堪能する。
 それは涙が出そうになるほどの幸福感だった。
 もちろん貴族の前でそれを悟られまいと心がけていたが、無駄だったかもしれない。
 デザートにソフトクリームまで出して貰って、それを食べ終わってからまたわたしは尋ねた。
「おまえは魔法使いか?」

  4

『すべての人は等しく魔力を持っている』
『それに比べて魔法使いの数はとても少ない』
『魔力には所有できる量に限りがある』
『通常魔力の回復には平均して一週間ほどかかる』
『僕は星の魔法使い』
『その能力は略奪と貯金』
『この短剣で貫くことで、他人の魔力を根こそぎ略奪することができる』
『そしてその魔力を銀貨に変換して、貯金しているんだ』
『もちろん銀貨は一週間分の魔力の結晶体であり、使用することで僕の魔力は大体全快する』
『と言っても、略奪と貯金以外の魔法は持っていないんだけど……』
『目的があるんだ』
『神界の扉を開きたいんだ』
『僕の妻は召喚魔法使いでね、神界を自由に行き来する能力を持っていた』
『神界の花を持ってきてくれた』
『それはとても美しかった』
『向こうの世界はこっちの世界よりずっと綺麗だと彼女は言った』
『いや、違うよ。この世界を見限っているわけじゃない』
『彼女が、消えてしまったんだ』
『この世界から』
『僕に愛想を尽かして、どこか遠くに行ってしまったのかもしれない』
『単純にこの世界で死んでしまったのかもしれない』
『―――神界でなにかがあったのかもしれない』
『驚いたことに僕は、彼女なしでは退屈で死んでしまうらしい』
『だからこうやって貯金をして、それで儀式魔法を使うんだ』
『儀式魔法は条件さえ整えば誰にだって使えるからね』
『向こうの世界に転移できないのなら』
『こっちの世界と向こうの世界を繋げるしかないじゃないか』

  5

 その日は夜も遅いということで貴族の家に泊まることになった。
 シャワーを貸してくれると言うので、なんの遠慮もせずにお湯を借りた。
 浴室のドア越しに貴族が言った。
「バスローブはここに置いておくから。それと服も洗っておこうか?」
 この貴族は世話好きなのだろうか。
 湯船に浸かりながらわたしは言った。
「赤ずきんは洗わないで」
「え、どうして?」
「どうしても」
 三点リーダをふたつ置いて分かったと言った貴族が、更衣室を去った。
 わたしは身体を適当に洗って、髪型を気にしてから浴室を出た。
 更衣室の鏡を見る。
 銀髪のセミロングヘア。
 色素の欠落している赤い両眼。
 やせっぽちの身体。
 ………………。
 身体を拭かずにバスローブを身に纏って、その余った丈に貴族の妻の背丈を想像する。
 それから赤ずきんを探すと―――それはどこにもなかった。
「油断した……」
 バスタオルを頭に巻き付けて、更衣室を出た。

「わたしの純潔を返せ」
 居間で呪術の本を読んでいた貴族に話しかける。
「あれがないと眠れない」
「……ああ、なんだ。赤ずきんのことか。純潔とか言わないでよ」
 貴族は椅子にかけていた赤ずきんを広げる。
 それはわたしの頭から膝上までをすっぽりと包み込む赤色のローブ。
「さっき触ったときに気付いたんだけど」
「うるさいな。いいから返せ」
「これ―――アーティファクトだよね?」
 貴族が立ち上がり、わたしは後ずさる。
「おかしいと思ったんだ。僕の短剣は魔法仕掛けの箱の中に仕舞っていた」
 ドアに背中をつけて、逃亡を諦める。
「それを壊しもせずにただ解錠するなんて、そんなの、コードを知っている僕にしかできない」
 貴族が威圧的に近付いて、そしてわたしの頭に巻き付けたバスタオルに手をかけた。

 バスタオルが床に落ちた。
 貴族が言った。
「―――どうしてきみの耳は鋭く尖っているの?」

  6

『エルフという種族を知っているか?』
『そんなもの居ないんだ』
『耳の尖った、森の中の妖精なんか居ない』
『みんなと同じ人の子なんだ』
『―――わたしは忌み子なんだ』
『悪魔憑きと呼ばれて育てられた』
『父親と母親はわたしを適当に扱い、わたしは祖母に育てられた』
『祖母は厳格な人だった』
『見た目より要領の悪いわたしを叱ってばかりだった』
『家事ばかり押し付けて、土間で眠らされた』
『この赤ずきんは祖母がくれたんだ』
『魔力を体力に変換するアーティファクトらしい』
『そうしてわたしを厳しく躾た祖母は、それでも差別なんてしなかった』
『働けば働いた分だけのパンをくれた』
『育児放棄をする父親と母親を大いに馬鹿にした』
『わたしは嬉しかった』
『お礼を言う前に祖母は死んだ』
『わたしはまた父親と母親の下に戻った』
『父親は寡黙な人で、母親は感情的な人だった』
『ふたりが喧嘩をした夜、わたしは父親に犯された』
『違うんだ。母親がわたしの身体を押さえつけて、父親に強要したんだ』
『処女を失えば魔力を失うという迷信を信じていたのだろう』
『わたしは別に魔女でも魔法使いでもなかったのに』
『ただ人より早く成長して、その姿のまま百年を生きるエルフなのに』
『面倒そうな顔をしてわたしを犯した父親の』
『その口の端が上がったとき、その目がわたしを見て笑ったとき』
『わたしの魔法は始まった』
『処女を失って、わたしは魔女になったんだ』
『現実を拒絶しただけで家ごと両親を吹き飛ばしたわたしは風の魔女』
『終身刑の、災厄の魔女だ』

  7

 シンデレラのような日々は、王子が現れないまま終わった。
 家を追われてはラプンツェルのように彷徨い歩いた。
 それでも妊娠しなかったことは救いと言えるかもしれない。
 荒地の家にも城下町にも真っ暗闇の森にも足を向けなかったわたしは、古城の貧民街に住んだ。
 貧民街はあらゆる身元を確認されない。
 罪人ばかりが住まう暗黙の街だ。
 その子供たちの中に紛れて、かくしてわたしはストリートチルドレンになった。
 風の魔法を使って窃盗を繰り返したわたしは、子供たちの英雄になった。
 貧民街の子供たちはみんなわたしの容姿を技術を性格を褒めてくれて、嬉しかった。
 それはもちろん、いつだって赤ずきんは外せなかったけれど。
 悪魔憑きと呼ばれていたわたしは、赤ずきんという名前を手に入れた。
 童女の容姿のまま成長しない身体は、この貧民街にとってそれほど不自然ではなかった。
 残虐な物語ばかりが満ちている貧民街で、わたしは優しい童話を手に入れたのだ。

 ―――どうやら、それで終わるほど人生は短くなかったらしい。

 しかしてわたしは魔女であることとエルフであることに気付かれてしまった。
 わたしは貴族に言った。
「……口止め料か」
 わたしは貴族に言った。
「わたしはお金を持っていない」
 わたしは貴族に言った。
「身体で払うのは駄目か? 童女趣味はないか?」
 わたしは―――
 貴族に頭を撫でられた。
 貴族はわたしに言った。
「ごめんね。そんなつもりじゃなかったんだ」
 貴族はわたしに言った。
「自分の心配しかしてなかった……」
 貴族はわたしに言った。
「きみのことを僕の銀貨を狙う魔女だと思っていたけれど、誤解だったね」
 星の魔法使いが風の魔女に言った。
「安心して。きみを捕まえたりなんてしないよ」

「泣かないで、赤ずきん」

  8

 それからわたしたちは付き合った。
 訂正、彼の魔力貯金にわたしが付き合っているだけだ。
「貧民街には呆けている連中が多い。そいつらを狙っているのだな?」
「……まあ、そうだけど。それだとすごく悪いことをしているみたいに聞こえる……」
 風の魔法は使えないので、解錠の魔法を使って手伝った。
 寝込みを襲って人の魔力を略奪した。
「その魔法は魔力を殆ど消費しないんだね」
「ああ。その代わり風の魔法はすべての魔力を消費する」
 解錠の魔法を使っている限り魔力量が全快ということは殆どないので、余りは生命力で補わなければならない。
 その熊に犯されているような感覚はひどく耐え難いので、風の魔法を使ったことは過去に三回しかない。
「これで五百枚。きみが協力してくれるようになってから加速度的に貯金が貯まったよ」
「千枚の銀貨が必要なのだろう? 急いだ方がいい、お嫁さんいまごろ魔王になってるかも」
「殺されている心配とかじゃないんだ!?」
 彼の家で寝泊まりをして、昼も夜もなく一緒に行動した。
 わたしを完全に子供扱いしている貴族は、ただの一度もわたしを女として見なかった。
「うん。性別を意識しなくていいから、だからおまえのことは好きだ」
「……それはどうも。でもその考えじゃ、一生きみは結婚できないね?」
 エルフの子供はまたエルフかもしれないと答えたわたしを、貴族は抱き締めた。
 この人の子供なら産んでもいいと思ってしまった。

 そうして千枚の銀貨が揃った。

 儀式は真っ暗闇の森の中で執り行うことにした。
 夜と炎と歌が必要だからだ。
 ひとりで行こうとする貴族の裾を掴んで、わたしも行くと訴えた。
 ついて歩くと、貴族がパンを取り出した。
 一瞬くれるのかと思ったが、近くを通りかかった女の子に渡しただけだった。
 それは身なりのいい令嬢に見えたのだが……。
「あの子が千枚目の銀貨だったからね。昨日は興奮して渡し忘れたんだ」
「別にみんな魔力なんて使わないのに、最後まで律儀な奴だな」
 不機嫌そうに言って、それでもさっきの女の子がとても可愛い笑顔を見せたので、本当はわたしも幸せだった。
 寒くて暗い貧民街の中で、暖かいものを感じた。
 すべてが上手くいくと思った。
 真っ暗闇の森に辿り着いた。
 焚き火をして、赤く染まった貴族の顔を見た。
 それは穏やかな顔だった。
 それはやっぱり、すべては上手くいくのだという証拠なのだ。

  9

 千枚の銀貨が入ったバスケットをわたしに渡した。
「悪いけど手伝ってくれる? この中に腕を入れて」
 頷いて言われた通りにする。
「それで、もう片方の手でこの短剣を持って」
 不思議な形状の短剣を手に取ると、その手を上から握られた。
「魔力がなくなるたび、きみから魔力を略奪するから。その銀貨で供給してね」
「分かった」
 思えばそんなことひとりでも出来そうな気もしたが、黙っておく。
 きっと銀貨を消費するより魔力を略奪する方が簡単なのだろう。
「それじゃ、始めるよ。準備はいい?」
「いつでも構わない」
 失敗という確率を考慮していないわたしたちは、辞世の句も残さなかった。
 かくして儀式は始まった。

『光招く闇よ』
『闇を生む光よ』
『無限に螺旋する黒白の蝶よ』
『ここに星の銀貨を捧げよう』
『ともに略奪の剣を捧げよう』
『望むものすべてを用意しよう』
『汝の心を貸して欲しい』
『汝の力を見せて欲しい』
『願うは異世界への扉の解錠』
『コードは夜と炎と愛の歌』
『開け―――神界の扉』
『解錠!』
『ゴールデンシュリセル!』

 瞬間、身体中の魔力が略奪される。
 適当な銀貨を消費して魔力を補い、そしてまた同じ魔力を略奪される。
 そのペースは聞いていたよりずっと早かった。
 わたしは魔力を供給しながら不安になる。
 もしもわたしの供給が遅れたらどうなるのだろう?
 もしも銀貨が足りなかったらどうなるのだろう?
 もしも儀式に失敗したら、どうなるのだろう―――?
 そんな心配をよそに、儀式は進む。
 魔力の過剰消費は、意外と早くに終わった。
 気が付けば不思議な形状の短剣が消失していた。
「成功したの……?」
 貴族に尋ねる。
「ああ。手を広げてごらん」
 言われた通りに手を広げると、そこには黄金の鍵があった。
「全然千枚も必要なかったじゃん」
 彼は笑い、わたしも笑った。
 生まれて初めて笑ったかもしれない。
 貴族は言った。
「ここでお別れだね」
「わたしも行く」
「駄目」
 人生と危険という言葉が三回ずつ登場した頃、わたしは諦めた。
 貴族のボディを殴って言った。
「絶対に帰ってくると誓え」
 続けて言った。
「神界の花が綺麗でも寄り道するな。神界の鳥が歌ってもその場に留まるな。おまえはさっさと奥さんを見つけて、そしてすぐに帰ってこい。神界の狼に喰われたりしたら許さないんだからな!」
 貴族は言った。
「きみがいい子で待っているのなら」

  10

 貴族は黄金の鍵をなにもない空間に挿して、回した。
 瞬間、ガチャリ、という音を立てて空間が裂ける。

 そこから溢れるように悪魔が押し寄せた。

 貴族が胸を貫かれて倒れた。

 悪魔がわたしを見て嗤った。

 わたしはすべての魔力を風の魔法に変換して悪魔を押し返した。
 空間の裂け目は閉じて、元通りになった。

 見渡せば、三匹の悪魔が残った。
 わたしは星の銀貨を握って、また風の魔法を使った。

 貫くように細く深く。
 槍のような一撃はしかし容易く躱され、悪魔はわたしの脇腹を掴んで持ち上げた。

 そのまま空高く飛んで、わたしの脇腹を握り締めた。
 その痛みで星の銀貨が詰まったバスケットを落としてしまう。
 真っ暗闇の森に星の銀貨が舞った。

 わたしはポケットに隠していた星の銀貨を五枚すべて掴み、風の槍を四本生成した。
 悪魔が驚愕の表情をして―――その顔を翼を身体を貫いて殺した。

 空を落下しながら風のクッションを生成して着地する。
 見渡せば、残った二匹の悪魔は逃げてしまった。

 急いで貴族の傍に駆け寄る。

 癒しの魔法は使えないけど、止血くらいなら出来るかもしれない。

 彼の肩を掴んで、

 彼の顔を見た。

 彼は息をしていなかった。

 彼の胸は欠落していた。


 彼は―――絶命していた。


 醜い音が聞こえると思ったら自分の嗚咽だった。

 ずきんが汚れていると思ったら自分の涎だった。

 雪が降っていると思ったら星の銀貨だった。

 彼の手から黄金の鍵を抜き取った。

  EX

 オレにパンを恵んでくれた女の子を探していると、やがて森にやって来た。
 こんなところに居るわけがないとは思うのだが、肌着を貰ったという子供が証言したのだから仕方ない。
 適当に森を散策していると、空が光った。
 見上げれば、雪のようにふわふわと降り注ぐ銀色の硬貨。
 それは銀貨としての価値はないけれど、純銀だった。
 信じられない現象を目の当たりにしていると、赤いずきんを被った女の子を視界に捉える。
 彼女は懸命に銀貨を掻き集めて、バスケットに入れていた。
 オレも呆けている場合じゃないと銀貨を拾って、ポケットに入れる。
 それでもオレの眼は銀貨より彼女に向かっていた。
 彼女の懸命さは言葉通りに命を懸けている感じで、泣いているように見えた。
 這いつくばって、砂利に膝をつくことも指を痛めることも厭わず、一心不乱に。
 まるで飢えた狼が獲物を貪っているように、激しく。

 見渡せば、星の銀貨。
 墓の前で眠っている裸の女の子を背負って、オレは森を後にした。
(khm26.html/2006-10-24)


/雪白と薔薇紅へ
Kinder und Hausmarchen
Title
01 星の銀貨-Die Sterntaler-
02 ラプンツェル-Rapunzel-
03 兄と妹-Bruderchen und Schwesterchen-
04 ヘンゼルとグレーテル-Hansel und Gretel-
05 シンデレラ-Aschenputtel-
06 手なし娘-Das Madchen ohne Hande-
07 踊ってすりきれた靴-Die Zertanzten Schuhe-
08 森の中のおばあさん-Die Alte im Wald-
09 赤ずきん-Rotkappchen-
10 雪白と薔薇紅-Schneeweischen und Rosenrot-
11 狼と七匹の仔山羊-Der Wolf und die sieben jungen Geislein-
12 賢いグレーテル-Die kluge Gretel-
EX ハウスメルヒェン・ダイアログ
EX 子供たちが屠殺ごっこをした話
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