カーネーション
ノベルKHM>雪白と薔薇紅
Schneeweischen und Rosenrot
  0

 そして物語は、初めて始まる。
 あなたは誰の味方?

  1

 ラプンツェルに頼まれて、妾は彼女の髪を切っていた。
 あの日から伸ばしっぱなしだったらしい。腰まで伸びたそれを、肩口で切り揃えてやる。
「妖精さん。わたしの本当のお母さんって、どこに居るの?」
 積もる話をしながら前髪を切っていると、彼女がそんなことを聞いた。妾は答える。
「忘れてしまった」
「えぇー! 捜そうと思ってたのに……」
「すまぬ。おまえが産まれるより前のことは、あまり憶えていないのじゃ」
 ――――――?
 自分の発言に違和感を憶えながら、それでも気にしないことにして散髪を終えた。
「それなら責任を取って、妖精さんがわたしのお母さんになってね?」
「任せるがいい。孫ができたら、おまえと孫のふたりにお年玉をやろう」
「わーい!」
 素直に喜ぶラプンツェルに手鏡を渡す。その顔がふてくされたような感じになった。
「妖精さん、妖精さん。少し切り過ぎじゃないかしら?」
「そうか? 似合っているぞ、子供っぽくて」
「全然ちっとも褒められている気がしないの。そして妖精さんに言われたくないの」
「妾はおばさんにならないのじゃ」
 そのように笑いあっていると、ノックの音が家中に響いた。

 そして―――
「サイクロン!」
 赤ずきんの風の魔法が発動する。
 妾はラプンツェルを抱いて、抱いたまま吹き飛ばされる。

  2

 重い音を立ててチョコレートの壁に激突した。
 しかしお菓子の家は妾の魔力。吸収して勢いを殺し、外の地面に着地する。
「妖精さん! いまのは―――?」
「言ったろう、妾は命を狙われてばかりの悪い魔女じゃ。
 幻影の魔法使いと再会するまでの辛抱じゃ。戦闘に巻き込むぞラプンツェル!」
 言ってラプンツェルと手を繋ぎ、森の中を疾走する。
「みんなは無事なのかしら」
「見たところさっきの風の魔法は前方にのみ威力があった。奴の狙いは妾じゃろう、安心するが―――」
 轟音。
 ラプンツェルの身体を地面に押し倒して、その上を通過する風の弾丸がふたつ。弾丸は木々をへし折って消失した。
「攻撃魔法使い―――なんて速度なの……?」
 ラプンツェルも数多の魔法使いと知り合ってきたのじゃろう、敵のリロードが早過ぎると言った。

 通常、魔法は呪文か呪印、あるいはその両方を施さなければ発動させることはできない。
 ラプンツェルの回復魔法は発動までに五秒。傷の程度にも寄るが、完治させるまでに二十秒ほどかかる。
 幻影の魔法使いに忠告されるほど長い妾の詠唱時間は最短で十秒。ふたりの魔法は戦闘には適していないのじゃ。
 ―――否、一秒ごとに必殺の一撃を連打する敵には弱点がある。
 それほどの速度、それほどの威力―――そう長くは続かない。
 敵の魔力が尽きたとき、それが防御魔法使いの勝利に繋がる。

「シューティングスター!」
 声と同時に放たれる三本の風の槍。
 だが遠い。伏せた妾とラプンツェルに当たることなく、風の槍は森の木々を貫いた。
 赤ずきんが姿を見せる。銀貨を指の間に嵌めて、掌を突き出して魔法の名だけを唱えた。
「グラビティブレス!」
「ワイルドブルーム!」
 重ねるように魔法を発動させるは芽吹きの魔法使い、ラプンツェル。
 伸ばした髪を蔦に変換、魔力の込められた緑色の髪は妾たちを護る盾になった。
 迫り来る風の重圧を防ぎ切ってなお歪まないイバラの結界。
 しかし耐えられるのはあと五回といったところか―――ラプンツェルの魔力が摩耗される。
「ウィンド―――」
 純白の風を纏わせて、赤ずきんが再び掌を突き出す。
「―――ブリッド!」
 子供が拳銃を撃ったように腕を跳ね上げて、そこから風の弾丸が三発放たれた。
「三つ……!? そんな、どうして……!」
 着弾して被弾して被爆する。
 イバラの結界は綻びて―――さらに追撃をしかけようとする赤ずきん。

 ラプンツェルの疑問も頷けよう。あの赤ずきんの魔法は確実に上級魔法であり、上級魔法である限り魔力量の消費は著しい筈だ。
 初めの見積もりでは六発。七発目までは眼を瞑ったが、加算の三発は有り得ない。それにも関わらずまた掌を突き出す赤ずきんに、ラプンツェルは絶望した。
 次なる魔法は風の大砲。人智を越えた圧倒的な魔力量を持ってして、赤ずきんは六秒で魔法を完成させる。
「エクスティンクション!」
 赤ずきんの背に後光のように出現した風の砲丸、六発。
 コンマ二秒の時間差を置いて、純白の砲丸が連続して放たれた。
「ワイルド―――ブルーム!」
 ラプンツェルが更に魔力を込めて、イバラの結界を強化する。
 どうやらすべての魔力を注ぎ込んだらしい。ラプンツェルが膝をついて大砲を睨んだ。
 一撃目が着弾して、イバラの結界が揺らぐ。
 二撃目が着弾して、イバラの結界が綻びる。
 三撃目が着弾して、妾の魔法が完成する。
 四撃目が着弾して、イバラの結界が破壊される。
「イセリアル―――」
 五撃目と六撃目は同時。頭を抱えたラプンツェルを庇って、妾は腕を振り下ろした。
「ブレイド―――!」
 斬ることのできない風の弾丸を叩き斬り、失われることのない魔力を消し飛ばす。
 ラプンツェルの顔と妾の顔に迫っていた純白の大砲を、同時に破壊した。

  3

「……召喚魔法使い」
 赤ずきんが憎々しげに呟いた。
 妾の手には真紅の錫杖。神界より召喚した、神殺しの魔杖である。
「やっぱりあんたが―――あの人の妻なんだ」
 赤ずきんが刺すように言って、バスケットから銀貨を掴み取った。
 ―――妻。銀貨。召喚魔法。脳内がぶれるようなイメージに襲われたが、余計な思考は破棄する。
「どうして帰って来なかった!」
「さて。なにを言っておるのかよく分からないが」
「とぼけるな! あんたを捜して―――あんたの夫は死んだんだ!」
「夫? 見て分からぬか、妾はエルフじゃ。人の男など愛するわけもなかろう」
「――――――うる、さい。うるさい! 謝る気がないのなら殺してやる!」
 赤ずきんは銀貨を掴んだ手を掲げ、泣き叫ぶように言った。
「シューティングスター―――」
 赤ずきんの後ろに現れるは風の槍二十本余り。
 特異体質などでは有り得ない、それは人ひとりの持てる魔力量を明らかに超越していた。
「―――オーケストラ!」
 微妙に角度を変えて放たれる純白の風槍、二十余本。
 構えるは神殺しの魔杖、レヴァンテイン。
 術者の魔力を糧にすべてを焼き尽くす真紅の錫杖。
「魔法を発動させた妾に、その程度で勝てるとでも思っておるのか?」
 一撃目―――なぎ払い。
 二撃目―――斬り返し。
 三撃目から更に魔力を込めて加速する。
 四撃目を斬り伏せ五撃目を躱し六撃目を防いで―――
「妾の魔力を喰らうがいい」
 煌々と光る真紅の魔杖。
 七撃目を腹で受け八撃目を叩き潰し―――九撃目などない。
「魔杖レヴァンテイン!」
 すべてを焼き払う大魔法が、残る十本余りの風の槍を喰らい尽くした。

「エクスティンクション―――」
 それでも、怯むことなく躊躇うことなく、飢えた獣のように。
 赤ずきんが両手に銀貨を掴んで、空にバラ撒いた。
「―――オーバードライブ!」
 刹那、風の大砲が五十基ほど出現する。
 城でも壊そうというほどの超魔力を持ってして、赤ずきんは妾だけを狙った。
 風の槍とは異なり、圧倒的な質量を持った風の砲丸。
 斬り伏せることは可能。だがしかし―――得物が触れるだけで腕がもげようかという衝撃、童女の肉体に耐えられるものではない。
 切り札を出してもなお互角以下という赤ずきんの魔法に、妾は言葉を失った。
 だが―――
「妖精さん。妖精さん? どこに居るの……?」
 魔力の過剰消費によって一時的に視力を失ったラプンツェル。この砲丸を受けきれなければ、風の魔法は彼女を襲うだろう。
「安心しろラプンツェル。妾はすぐに戻る。少しだけ眠っているがいい」
 言って、呪文を唱えながら風の大砲に挑む。
 杖の腹で砲丸を受け止め、後方に吹き飛ばされては追撃とばかりに襲いかかる二撃目三撃目。
 全方位から放たれた風の重圧に押しつぶされながら、致命的なものだけを消し飛ばしてゆく。
「泥にまみれて―――」
 妾の魔法は召喚と泥。レヴァンテインの火力にのみ心を奪われた者は、簡単に寝首をかかれる。
「喚くがいい!」
 妾の魔法に従って、赤ずきんの身体が泥に拘束される。
 組み伏せて、その顔を泥の中に沈めた。

 さて、魔法使いと魔女はみなふたつの魔法を持っている。
 泥の魔女と呼ばれた妾のルーンは召喚と泥。
 神界の武具を転送し、また神界に転移することができる召喚のルーン。
 魔力を泥に、お菓子に、鳥籠に変換することができる泥のルーン。
 そのどちらも詠唱に時間がかかるという弱点を持つものの、最上級の魔法である。
 遠隔的に、かつ精密操作を可能とした魔法の泥に、赤ずきんは押し潰された。
 あとは圧死か窒息死を待つだけじゃろう。
 問題は―――それまでこの風の砲丸に耐えることができるか、それだけじゃ。
「解錠。開け、泥の束縛」
 血の滴るような音がした。
 水が弾けるような音がした。
 風の砲丸の直撃を受けながら、スカートをはたいて起きあがる赤ずきんを見た。
 否―――赤ずきんは泥の魔法に剥がされている。
 銀色の髪に、深紅の瞳。
 尖り耳のエルフが、そこに居た。

  3

「この耳は悪意を撒いているんだろうね。認めてくれたのは、星の魔法使いだけだった」
 エルフがバスケットの中身をぶち撒けた。それは三百枚の銀貨じゃった。
「でもそれは―――泥の魔女が、妻だったからなんだね」
 大気がエルフのもとに集まった。呪文も呪印もなかった。
「この世界に居たのなら、どうして星の魔法使いのところに戻らなかった?」
 エルフは弓を射るように構えて、両手の間に魔力を込めた。
「―――もういいや。知らない。知りたくもない」
 銀貨が半分ほど消失して、風の弓矢が現れる。
「あんたを殺してわたしは生きる!」
 それは城のように巨大な、山ひとつを吹き飛ばそうとするほどの極大魔法じゃった。

 風の砲丸に七発ほど被弾して、それでもすべて消し飛ばした妾は真紅の魔杖を構えた。
 魔力など殆ど残っていない。生命力も空前の灯火で、致命傷を三ヶ所ほど負っている。いま魔力を失えばこの身体は朽ち果てるじゃろう。
 躊躇わず、妾はすべての魔力を魔杖に込めた。
「スター―――」
 エルフが泣きそうな眼で妾を捉えた。
「―――プラチナ!」
 轟音。
 百五十人分の魔力が込められた純白の弓矢が放たれる。
 ラプンツェルの有無に関わらず回避は不可能。その必殺範囲は、この森のすべてを吹き飛ばすじゃろう。
 妾は真紅の魔杖を突き出して、生命力までも込めて最後の魔法を唱えた。
「ラグナロク!」
 杖の先から開かれるは神界の扉。
 中から悪魔が出現して、風の矢を受け止める盾になる。
 その光景に、銀髪のエルフの目の色が変わった。
「拡がれ! 飲み込め! 神界の扉!」
 心臓を鷲掴みにされているような痛みを錯覚しながら、それでも杖の先に生命力を注ぎ込む。
 呼応して拡がる神界の扉。風の弓矢を飲み込もうとその闇を広げるが、しかし足りない。
 溢れる純白の風が妾の横を通過して、森の木々を薙ぎ倒していく。
「妾の命を―――喰らうがいい!」
 全身の血液を抜かれるような脱力感と疲労感、それでも神界の扉は僅かにしか広がらなかった。
 このままでは流れ弾にラプンツェルが―――ラプンツェル?
 どうして妾はラプンツェルに固執する―――?

「……妖精さん。血の匂いがする。傷を負っているのね?」
 気が付けば、ラプンツェルが妾の身体を後ろから抱き締めていた。
 もう魔力など残っていないのに髪を伸ばして、妾の身体を縛り付けた。
「なっ、やめろ! おまえが無事なら妾はそれでいいのじゃ、それ以上魔法を使うな!」
「だって、このままじゃ妖精さん死んじゃうのよ?」
 ラプンツェルが碧色の魔力を―――否、生命力を込めて妾の身体を治癒した。
 そのまま妾の身体にもたれかかるように倒れる。
「よかっ、た。これでまた、ずっと一緒に居られるの」
 それは負ぶわれたまま眠る赤子のように。
 妾の顔の横で、ラプンツェルは眠るように―――

 既視感。
 妾はなにかとても大切なことを忘れている気がする。
 嫌な予感がして、自分の行為はひどく間違えている気がして―――
 考えている内に、神界の扉が純白の弓矢を飲み込んだ。

「閉じろ! 神界の扉!」
 神界の扉に反応はない。魔力も生命力も底を尽いた。糧を寄越さない者に魔法は従わない。
 直径にして八メートルほどに拡がった神界の扉。秒速百匹の速度で出現する悪魔。
 それは最早盾などではない。
 この世界を征服しようと、神界の悪魔が我先にと溢れ出でた。

  4

「ラプンツェル、ラプンツェル。おまえの髪を垂らしておくれ」
 妾は背負ったラプンツェルの髪を鼻先にあてて、歌うように言った。
「なあ、おまえは―――妾の本当の子供だったのじゃ」
 ラプンツェルはなにも言わなかった。
「秘密にしていたのではない。忘れていたのじゃ」
 眼を瞑って、祈るように言った。
「そんな妾が言っても説得力などないかもしれないが」
 醜く泣きながら、言った。

「親より先に死ぬ奴があるかっ……!」

 ラプンツェルの身体を横たえた。
 彼女は息をしていなかった。
 魔法を使って死ぬというのは、自分の首を締めて自殺するのと同じように難しいこと。
 ラプンツェルは―――昔から、そういうことを平然とやってのける子供じゃった。
 その髪を撫でていると、背中に足音。
 振り向けば、銀貨を手にしたエルフが居た。

 銀貨の彫刻は、妾の夫じゃった。
 それを見て妾はすべてを思い出した。

「何故妾を狙う? エルフの子供」
「子供じゃない。二十六歳だ」
「妾は百七歳じゃ。おまえと似た歳の子供が居た」
「…………ごめん。殺すつもりは、なかったんだ」
「分かっておる。おまえの標的は、あくまで妾じゃった」
「それなら、死んでくれるか? わたしはおまえを許さない」
「……分かった。理由くらいは、聞かせてくれるか?」
「星の魔法使いがあんたを捜して神界の扉を開けたんだ。この黄金の鍵を使ってな」
「ああ、なるほど。あいつはお節介焼きじゃった。おまえはあいつのことが好きだったのか?」
「好きだったよ。愛されなかったけど、愛してた」
「そうか……」

 それを聞いて、妾は昔のことを思い返して泣きたくなった。
 そのあとで神界での出来事を思い出して、妾は死ぬしかないのだと思い直した。

「すまなかったな。おまえにラプンツェルの塔をやろう。あそこには妾の宝が詰まっておる」
「要らない。言い残したことはそれだけか? もう殺すよ?」
「ああ、それなら―――辞世の句がある」
「なに?」
「泥に溺れて死ぬがいい」
「シューティングスター」

 胸に衝撃。
 背を向けて歩き出すエルフ。
 魔力の余韻か、風の音。
 純白の香り。
 最後の力を振り絞ってラプンツェルの亡骸に覆い被さる。
 失われる血液。
 朦朧とする意識。
 らぷんつぇる。
 わらわのまなむすめ。
 ほしのまほうつかい。
 あいしていたひと。
 しんかい。
 あくま。
 おおかみ。
 きせい。
 ………………。
 いたい。
 ねむたい。
 しにたくない。
 むすめのからだをだきしめて、
 わらわはどろのようにねむった。
(khm161.html/2006-10-28)


/狼と七匹の仔山羊へ
Kinder und Hausmarchen
Title
01 星の銀貨-Die Sterntaler-
02 ラプンツェル-Rapunzel-
03 兄と妹-Bruderchen und Schwesterchen-
04 ヘンゼルとグレーテル-Hansel und Gretel-
05 シンデレラ-Aschenputtel-
06 手なし娘-Das Madchen ohne Hande-
07 踊ってすりきれた靴-Die Zertanzten Schuhe-
08 森の中のおばあさん-Die Alte im Wald-
09 赤ずきん-Rotkappchen-
10 雪白と薔薇紅-Schneeweischen und Rosenrot-
11 狼と七匹の仔山羊-Der Wolf und die sieben jungen Geislein-
12 賢いグレーテル-Die kluge Gretel-
EX ハウスメルヒェン・ダイアログ
EX 子供たちが屠殺ごっこをした話
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