カーネーション
ノベルKHM>兄と妹
Bruderchen und Schwesterchen
  1

 お母さんが死んでからというもの、僕たち兄妹にはいいことなんてこれっぽっちもなかった。新しいお母さんは毎日のように僕たちのことをぶつし、傍に行こうものなら僕たちを足で蹴飛ばす。食べるものといったら固くなったパンの皮しかくれない。テーブルの下に居る黒犬の方がずっといいものを食べているのだ。
「だからふたりで逃げよう? 大丈夫、おまえのことは僕が護るから―――」
 継母にも父親にも疎まれている妹はすぐに頷いて、僕のシャツに縋り付いた。
 パンのひとつも持たないで家を出る。できるだけ遠くへ逃げようとしている内に大きな森に辿り着いた。狼に襲われないように木のうろの中に座り込む。いい加減で心身ともに疲れ切ってしまった僕たちは、もうこのまま眠って死んでしまおうと思った。妹を抱き締めて僕は泣きながら謝った。
「ごめんね、連れ出さなかったら良かったね―――」
「どうして? わたしはお兄ちゃんと一緒に居られて幸せだよ? 死ぬのだって、ちっとも怖くないんだから」
 そう言って僕の胸に顔を埋める妹を愛おしく思い、生まれ変わってもふたり一緒に居られますようにと祈って目を閉じた。

  2

 次の日になると、僕は泉の湧き出る音を耳にして目を醒ました。妹を揺り起こして告げる。
「この音が聞こえるかい? 僕はもう喉が渇いて苦しいんだ。泉を探しに行こうよ」
「ふたりで一緒に死んでしまおうって言ったのに、水なんて飲んでどうしたいの?」
 首を傾げる妹の手を取って、僕たちは音のする方へ歩いていった。水は驚くほど近くに湧き出ていた。どうして昨日は気付かなかったのだろうと疑問に思ったけれど、泉がきらきらと岩の上を跳ねるのを見ると喉が鳴ってしまい、僕は妹から手を離して泉に近付いた。
「……この泉の水を飲む者は、呪われる……?」
 後ろの方で妹がなにか呟いていた。やがて僕のシャツを掴んで懇願する。
「お兄ちゃん! 飲んじゃだめ、これは魔女の―――」
「うるさいな。独り占めしたりしないから、好きにさせてくれよ!」
 言って妹を振りほどいて、僕は泉に口を付けた。落ち着くまで飲んだあとで振り返ると、妹が泣いていた。拗ねているのだろうと勘違いした僕は再び水を飲もうとして、泉の水面を見た。そこには鹿が映っていた。

  3

 そして僕は言葉を失って、次第に物事を考えることができなくなった。
 妹はしばらく泉の前で泣いたあとで、急に無表情になって立ち上がった。森の中でイグサを集めて、器用に編み込んで縄を作った。その縄を僕の首に繋いで僕を引いて歩く。随分と歩いたところに洞穴を見つけて、そこに苔や葉っぱを集めて僕の寝床を作った。そこで眠る僕のお腹に顔を押し付けて眠る妹。朝、起きると僕のお腹は妹の涙で濡れていた。妹がなにか口にしても僕には理解できなかった。
「お兄ちゃんは、本当は死にたくなかったんだね? それなら―――頑張ることにするよ」
 妹は毎日のように僕を連れて森の中の草原へと歩いていった。柔らかな草を摘んでは僕の口に運んで、そんな妹はなにも食べてはいなかった。それでも不思議と倒れない妹は、ただ僕の世話をするだけの生活を延々と繰り返す。そうして妹の年齢が倍になった頃、国の王がやって来て妹に言った。
「おまえは―――いや、そなたは童話のように美しいな。オレの城に来ないか?」
「―――お兄ちゃんも一緒で構わないのなら」

  4

 手綱を引かれるままに城まで歩くと、僕の妹は城の中のすべての人に褒め称えられた。乳白色の石鹸の匂いがする女性。絹糸のようなプラチナブロンド。黒目がちなダークブルーの瞳。国一番に美しいと称された妹は、しかし変わらずに僕の世話ばかりしていた。
 そうしてまたひとつ冬を越えると、妹は国王に妃になるよう命令された。僕の世話を続けてもいいのならと返した妹はまもなく妃になり、やがてふたりの子供を授かった。
 しかして時は残酷に過ぎていき、僕はすっかり老いてしまった。妹の名前も思い出せなくなった頃、僕の目の前に魔女が現れた。どこかで見たことのある意地悪な顔をした魔女は、独り言のように僕に呟いた。
「おまえたち兄妹がまだ生きていたとはね。それも妹の方はこの国の妃だって? 許せない、許せないね。
 ―――見ていてごらん、お兄ちゃん。おまえの大切な妹はあたしがこの手で殺してあげるよ!」
 そう言って侍女の姿に化ける魔女の横には、肥えた黒犬が笑っていた。

  EX

 魔女である継母は侍女に化けて、お兄ちゃんの妹に話しかけました。
「あなたはお風呂に入っていないようだけど、そんなことじゃお妃は務まりませんことよ?」
 本当のところ妹に入浴など必要なかったのですが、侍女に不穏に思われては困ると思ったのでしょう、妹はお風呂の用意を頼みました。すぐに湯殿へと案内されて、服を脱いで扉を開きました。ところが室内はあまりにあまって高温で、それもそのはず、中には魔女の召喚した地獄の業火が燃やされていたのです。すぐに脱出しようと扉に手をかけても、無情にも外から鍵をかけられていました。妹は無表情を崩して、また昔のように泣いて―――そして呼吸を止めました。

  EX―2

 継母である魔女は傍らの犬に魔法をかけて、その姿を妹のカタチに変えました。国王は犬を自分の妃であると思い込み、本物の妃は既に死に絶えていることに気付きませんでした。そのように国の財産を略奪していった魔女は、侍女に化けたまま城内の鹿を蹴り飛ばしました。
「おまえは本当に馬鹿だねえ。一晩で泉が湧くわけないだろうに、まんまと引っかかって。―――おや? そういえば、どうして妹の方は人間のままだったんだろうね。まあ、いまとなってはどうでもいいことだけど」
 そう言って鹿の首を刎ねようとした魔女は、しかし兵士に引っ捕らえられました。
「この鹿は妃様が大切に育てられたのだ! その首を刎ねようとはなにごとか!」
 舌打ちをして兵士に運ばれた魔女は、あんたの妹はもう死んだよと鹿に告げました。鹿は三日三晩なにも口にしなくなり―――そして消えました。

  EX―3

 国王はなにも喋らない妃を怪訝に思いながらもいつも通りに過ごしていました。ところがそんなある日のこと、彼の枕元に「生きているはずのお妃様」が立ったのです。彼女は三日三晩国王のもとに現れて、そのたび自分の子供と鹿は元気かと尋ねました。
 そうして真実を知った国王は怒りに震えて、隣で寝ていた偽物の妃を斬り捨てました。妃の死体は黒犬のそれになりました。そのあとで侍女に化けていた魔女を見つけると、地獄の業火を召喚させて飛び込むように「命令しました」。鬼神の如き国王の姿に怯えて、魔女は言われた通りにしました。
 それでも止まらない絶望に身をやつしていると、ある日目の前に少年が現れました。彼はまるで言葉を口にするのは気が遠くなるほど久しぶりだと言うように辿々しく呟きました。
「僕の妹はどこ? ねえ王様、この城に開かずの間があるんじゃない?」
 国王は少年を連れて城中の部屋を開きました。先代の王政から使われていなかった湯殿の扉に、国王は開くように命令しました。すると扉はひとりでに開いて、中に入ると大樹が生えていました。そのうろの中には裸の妃が眠っていました。妃の髪がそのまま大樹に繋がっているように見えました。
 少年は妃の肩を揺すりました。それでも彼女は動くことなく、見れば微動だにしていませんでした。それはまるで植物のようでした。少年は泣いて謝りながら彼女に縋り付きました。涙が彼女の髪を濡らしました。

 心臓の鼓動のような音と共に、彼女は目を醒ましました。
 国王の前では見せたことのないような泣き顔で、少年の首に抱きつきました。
 そのあとで傍らの草を掴んで、指と一緒に少年の口に押し込んで笑いました。

  EX―4

 お母さんが生きていた頃、わたしたち兄妹は幸せだった。王子様のような格好をしたお父さんは優しくて、お母さんとお父さんは童話のように仲良しだった。食卓は野菜ばっかりだったけれど、わたしたち家族はみんな菜食主義者だったから問題ない。
 自分勝手だけど何故か憎めないお兄ちゃんに泣かされた夜、お母さんはわたしの腕に髪を巻き付けて呪文を唱えた。それだけで痣と痛みを消してしまったお母さんはきっと魔法使いで、その長女であるわたしはお母さんの魔法をそのまま受け継いでいるのだとお父さんは告げた。
 お母さんが死んだあとでお父さんが継母を連れてきたけれど、そのときのお父さんはもう偽物だったのだとわたしは幼心に気付いていた。饒舌だったお父さんが突然無口になったのだ。きっとテーブルの下の黒犬がお父さんに化けていたのだと思う。本物のお父さんは、お母さんと一緒に天に召されたのだろう。
 お兄ちゃんが継母の魔法で鹿になったとき、わたしの魔法は始まった。お母さんはいまひとつ使いこなしていなかったけれど、この魔法は処刑されても文句が言えないほど強力なものだった。日光を浴びて雨を浴びていれば、食事も入浴もまるで必要ない。ただひたすらに眠りを求めるところが困ったところだけれど。
 王様に見初められたとき、これは本当は秘密だけれど―――お城に行けばお兄ちゃんを元に戻す魔法を見つけられると思って受け入れた。それでも解呪の魔法は見つからなくて、心の声を届ける魔法くらいしか習得できなかったけれど。
 そんな魔女の日記は蛇足に過ぎないかもしれない。
 最後に、お母さんの遺言を書き記しておこう。

「妹は、お兄ちゃんを護るものなのよ?」

 お母さんは常識を知らなかったのかもしれないと思い直して、この筆を止める。
(khm11.html/2006-10-16)


/ヘンゼルとグレーテルへ
Kinder und Hausmarchen
Title
01 星の銀貨-Die Sterntaler-
02 ラプンツェル-Rapunzel-
03 兄と妹-Bruderchen und Schwesterchen-
04 ヘンゼルとグレーテル-Hansel und Gretel-
05 シンデレラ-Aschenputtel-
06 手なし娘-Das Madchen ohne Hande-
07 踊ってすりきれた靴-Die Zertanzten Schuhe-
08 森の中のおばあさん-Die Alte im Wald-
09 赤ずきん-Rotkappchen-
10 雪白と薔薇紅-Schneeweischen und Rosenrot-
11 狼と七匹の仔山羊-Der Wolf und die sieben jungen Geislein-
12 賢いグレーテル-Die kluge Gretel-
EX ハウスメルヒェン・ダイアログ
EX 子供たちが屠殺ごっこをした話
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Ruby
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心の声を届ける魔法-テレパス-