梅
ログリバーシブル・リバース>リバーシブル・リバース[前編]
Reversible Rebirth[A]
0.Glowfly Grave

 四歳と三歳で、死のうと思った。
1.Elopement

 昔、駆け落ちした恋人たちがいた。
 男の年齢は十六歳。
 女の年齢は十四歳。
 その若い身空で、子を孕んでしまったのだ。
 親に相談することはできず。
 堕ろすつもりもなかった。
 ふたりは町を出て、森の中の小さな家で暮らすようになる。
 さもしいながらも幸福な生活。
 子供が産まれた。
 それまで男にだけ向けていた愛情を、子供にも分け与える女。
 優しくて優しい男は、しかし独善的でもあったのだ。
 罅が入る。
 男の愛情は目減りし、子供のことは愛さない。
 よくある話である。
 駆け落ちという環境に酔いしれていただけだったのだ。
 それはおよそ愛情と呼ぶのも烏滸がましい情愛。
 男は家を出て行った。
 女は妊娠していた。
 ひとり目の子供と同様、家の中で出産する。
 玉のような妹が産まれた。
2.Mother

 女は―――母親は、未だ幼い十五歳。
 本来なら中学三年生である。働くこともままならない。
 だけど実家には戻らなかった。
 年齢をひとつだけ偽って、デタラメの履歴書を手にアルバイトに身を窶す。
 あまり長い時間は無理だ。妹が飢え死にしてしまう。
 実際のところそれはギリギリの生活だった。
 子供たちを縁に生きていく、痩せた母親。
 栄養失調を抱えながら、未熟ながらに育っていく子供たち。
 生活保護を受けることもできない。
 そもそも子供たちに戸籍はなく、この家も地図に載っていないものだ。
 赤子が泣いても誰も気付かない。
 その代わりに面倒を見てくれる人もいない。
 いつ妹が死んでもおかしくない、いつ母親が倒れてもおかしくない状況だった。
 それでも神は生殺しが好きなのだろう。
 オレは四歳になり、妹は三歳になった。
 母親は死んだ。
3.Last Dialogue

 病院には行かなかった。
 母親を殺す病の名は、ついに知ることはない。
「ごめんね」
 平熱を五度越える高熱。
 朦朧とした意識の中で、母親は謝った。
 この選択肢を。
 劣悪なる環境下に置いてしまった、子供たちに。
「ゆるして……」
 許すもなにも、感謝していた。
 育ててくれてありがとう。捨てないでくれてありがとう。
 愛してくれて、ありがとう―――
「うん……」
 ふたりの子の頭を撫でる母親。
 その小さな掌で育てられたのは、ここまでが限度だったのだ。
 限界を突破していたのだ。
 オレは泣き、そして鳴いた。
 その蔦のように伸びた髪に指を通す。
「ん……?」
 母親は涙を浮かべていた。
 父親のことを思い出しているのかもしれない。
 それが最期の走馬燈であるのなら、祝福してあげようと、いまなら思う。
「ありがとう……」
 呟く彼女の背中には天使の羽根。
 抱きかかえてみれば、もうこの世には存在しない体重。
 享年は十八歳。
「―――あい、して」
 それが母親の、最期の言葉だった。
4.Sister Children

 森から出たことは一度もなかった。
 森の外に世界があるとも、思っていなかった。

 泣いてばかりの妹。
 苛立ちを―――

 このまま死んでしまおうか。
 手を繋ぎ、心中の意に従わせる。

 家の裏には湖があった。
「おなかをすかせてしんでしまおうというのに、みずなんてのんでなんになるの……?」

 だけどオレたちは生き延びなければならなかった。
 そういう強い使命感のようなものを帯びていた。
 湖の水を水筒に。
 生きることを誓う。
5.Survival Life

 限りあるパンの皮を食べて。
 木の実を食べて。
 虫を食べて。

 お腹が痛くなる。
 それでも食べた。

 母親の死体と一緒に眠る。

 蛇からは逃げた。
 その途中、妹が足を滑らせて。
 ただそれだけのことで。
 歩けなくなった。
6.

 木の実を取るのも虫を捕るのも、ひとりでやらなければならなくなって。
 妹にはあまり食糧を分け与えなくなった。
 泣いたらすぐに叩くようになった。
 あまり豊かな土地とはいえない。
 いつだって飢えていた。

 妹が母親の指を食べた。

 オレは妹を殴った。
 妹は泣きじゃくるばかりだった。

 許せなかった。
 妹の首を締めていた。

 そして妹は声を失った。
7.Bell Collar

 母親の亡骸を湖に沈めた。
 手首に三重に巻かれた鈴の音のミサンガを回収しておいた。
 妹の首に縛り付ける。
「おまえはもう、ふとんからうごくな」
 鈴の音が聞こえる。
「トイレのときと……それからなにかようがあるときにならせ」
 鈴の音が聞こえる。
「かってにうごいたら、たたくからな」
 鈴の音が聞こえる。三回くらい。
「……いいこにしてたら、ちゃんとたべさせてやるから」
 頭を撫でると、胸に顔を寄せてきた。
 甘えてくる。懸命に媚びているのかもしれない。
 捨てられた子犬のような目だった。
8.

 冬が近付いていた。
 次第に虫が捕れなくなってくる。
 わずかな食糧を分け合って、毛布を重ねて抱き合って眠った。
 妹の身体は秋より痩せ細っていた。
 悲しい気持ちになる。
 ちゃんと分け与えているのに育たないことに対して、苛立ちも覚えている。
 オレひとりだけが生き残るのならば。
 あるいはこの冬も越えられるのかもしれない?
 鈴の音が聞こえる。
 最愛の母親を思い出す。
 お母さんは、自分の分のご飯をオレたちに分けてくれていた。
 幸せそうな顔をしていた。
 その懐かしさと。
 切なさで。
 涙が―――

 妹は。
 涙を舐めた。
 オレは妹と一緒に生き延びようと強く思った。
9.

 冬になった。
 森は眠りに就き、食糧は尽きた。
 湖の表面も凍っている。

 氷を載せたお皿を枕元に置いて、オレたちは延々と眠り続けた。
 冬が終われば、また春が来る。
 そのことを四回の経験則で知っていた。

 残しておいたパンの皮もすぐに尽きた。

 雪が降る。氷より美味しかった。

 寒い。
 妹を抱き枕にする。
 頭を胸板に押さえつけて。
 呼吸ができないことには気付かなかった。
 だけど妹は文句をつけず、我慢していた。
 意識が朦朧としているのだろう。
 胸を舐めてくる。
 無意識に母乳を求めているのだろうか。
 暖かかったから、そのままにしておいた。

 あとどれぐらい我慢すれば、春になるのだろう。
 あとどれぐらい我慢すれば、幸せになれるのだろう?

 お母さんは死んでしまったのに。

 身体はほとんど動かない。
 ほとんど動かない指先で、鈴の音の首輪を外した。
10.

「いちこ」
「…………?」
「かなしいね」
「……うん」
「オレたちは、うまれちゃいけなかったのかな?」
「…………」
「オレたちがいなければ、かあさんはしあわせになれたのかな」
「…………」
「ねえ、いちこ」
「……なに?」
「しにたくない?」
「……うん」
「こわいよね」
「うん……」
「だけど、しんだらてんごくでかあさんにあえるかな?」
「てんごく?」
「それともじごくかな」
「……うまれかわるんだよ」
「え?」
「しんだら、うまれかわるの」
「……うそだ」
「ほんとだよ。かあさんがいってたもん」
「じゃ、ほんとうだ」
「だからさみしくなんかないよ」
「……え?」
「こわいね、おおかみ」

「しぬのはこわいなぁ」
11.

 オレは鈴を妹の髪に結わえつけた。
 これで微かな動きでも、鈴の音が聞こえる。
 だけど。
「いちこ」
 鈴の音は聞こえない。
「いちこ……?」
 いままでは、条件反射で首を振っていたのに。
「こたえろよ、おまえはもうしゃべっていいんだ!」
 返事はない。ただの屍のように。
「なんで……」

 妹は息をしていなかった。
 抱いた身体は冷めていく。
 存在しない体重。
 鈴の音は聞こえない。

「うわああああああああああ!」
 オレは吠えた。真宵の森は黙して応えない。

 母さんが死んだのはオレたちの所為で。
 妹が死んだのは―――オレの所為だった。

 オレは果たして妹にどれだけのことをしてやれたというのだろう。
 食糧を半分コにできていたという自覚はなかった。
 妹を思う気持ちよりもずっと飢えていた。
 後悔する。懺悔する。だからこの身体に戻ってきて欲しいと思った。

 叶うわけがない。

 そうだ、生まれ変わればいいのだ。
 このまま死んでしまおうと思った。

 母さんのいない、妹のいないこんな世界に未練はない。
12.

 壁を背に。
 妹の亡骸を抱き、抜け殻のように座り尽くしていた。
 思考は停止する。時は早く過ぎる。
 涙が溢れた。妹の頬にこぼれ落ちる。

 朝になって、夜になった。
 夜になって、朝になった。
 夕方になって、日が昇った。

 扉が開かれた。
 外から女の子が現れた。
 鈴の音が聞こえる。
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