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Girl in the Box[Last]
  1

 彼女は言い訳できない程に誘い受けであり、
 彼女が言い訳できない程に誘い受けである限り、彼氏の性癖は歪んでしまった。
 加虐心をくすぐられてしまった。
 サディスティックになってしまった。
 パソコンの中の『えっちな本』を探す彼女に、彼氏は言った。
「―――あまり悪戯していると、スーツケースに閉じ込めるぞ」
 それでもあまり強く出ないのは相変わらずだった。
 ヘタレ攻めだった。
「別にいいよ?」
「出してって言っても出してやんないぞ」
「ずっと?」
「ずっと」
 それは嫌かもと彼女は言った。
 そのあとで彼女はベッドの下から革製のスーツケースを取り出した。
 それはキャスターもハンドルも付いていない、小型軽量の高級ブランドものだった。
「なにをしている」
「閉じ込めるって言うから」
 彼女はスーツケースを開いた。
 内装は布張りで、荷物を固定するベルトは外してある。
 その中に彼女は腰を落ち着けて、体育座りになった。
「落ち着くー」
「狭いところが好きなのか?」
「うん」
 彼女は横になって、はみ出した腕や足を綺麗に畳んだ。
 四角いカタチに合わせるように隙間を埋めれば、彼女はぴったりと収まってしまった。
 あとは雑誌の一冊も入らないというようなジャストフィット。
「息苦しいのが難点だね」
「でもそれ、革製だから通気性はバッチリなんだろ? 蓋との間に隙間もあるし」
「生かさず殺さずの酸素量だね」
 彼氏はスーツケースの中に収まった彼女をじっと見つめた。
 それはどこか犬が眠るときのポーズに似ていた。
「身体、柔らかいんだな」
「わん」
 彼女は小さく鳴いた。
「閉めるぞ」
「怖いなー」
「もう遅い」
 言って、彼氏は髪や指を挟まないように気を付けて蓋を閉じた。
「真っ暗だー」
 外付けの二本のベルトを一周させて、固定する。
 その際にスーツケースごと持ち上げられた彼女は、くぐもった声で「うにゃー」と呟いた。
「猫なのか犬なのかはっきりしなさい」
「犬もネコ目だからいいの」
 スーツケースの内と外で対話して、その間に黙々と留め具をかける彼氏。
 これだけで十分に内側からは開けられない。
 しかし彼氏は、続けて留め具に付いたふたつの三桁のダイヤルを回した。
「この音が一番怖いよ」
 刑務所の中に閉じ込められた気分と彼女は言った。
 刑務所の中だってここよりはずっと快適だろうと彼氏は思ったが、違うことを言った。
「おまえは無期懲役だ」
「本当に出してくれないんだ」
「冗談だと思っていたのか?」
「うん」
「こいつは笑える」
「出してー」
 彼女はスーツケースごと身体を揺らした。
 それは端から見れば滑稽だった。
 彼氏はスーツケースの上に座布団を敷いて、その上に座った。
 革製であるが故に、彼氏の全体重が彼女の身体にのしかかる。
 隣に雑誌を積んで、その一冊目を一時間ほどして読み終えた。
 それから珈琲を淹れて、二冊目を追加三十分で読み終えた。
 三冊目を合計三時間で読み終えた。
 トイレに行ってから冷凍食品のチャーハンを温めて、スーツケースの上で食べた。
 自動販売機で買ってきたコーラを片手に、ヘッドフォンでTVゲームに熱中した。
 トイレに行った。
 スーツケースに背中をつけて、彼女の携帯電話をいじる。
 その送信ボックスにはよくできた小説が入っていて驚いた。
 洗濯物を取り込んでスーツケースの上で畳んだ。
 トイレに行った。
 あらゆるものを片付けて、スーツケースを見つめた。
 それは人ひとりを収納しているとはとても思えない、本当に小さな革の箱だった。
 彼女を所有しているという感覚。
 不自由を与えているという背徳感。
 彼女はいまも七時間前と同じポーズで、丸くなっているのだ。
 全身を縛られているように全く身動きが取れない。
 喋るのが億劫になるくらいには息苦しくて、外部からの衝撃だけは十分に吸収される。
 自分の意思では出ることなど叶わず、六桁の暗証番号によって彼氏以外の人間に開けることは困難。
 いつ解放されるのか分からないという恐怖感。
 見捨てられるかもしれないという絶望感。
 彼氏は悶々として、その一時間後に満足した。
 十七時を告げる鐘の音と共に、彼女に声をかけた。
「開けて欲しいか?」
「…………ん?」
「なんでもないよ」
 彼氏はスーツケースをそのままにして、早めの夜ご飯を作った。
 キムチ鍋を完成させると、自動販売機まで歩いて飲料を購入して家に帰った。
 再び部屋に戻ると、同じ質問をした。
「開けて欲しいか?」
「うん」
「本当は俺のことなんて嫌いになったんだろう」
「え? なに?」
「酷い仕打ちを受けたと家族や友達に言うんだろう」
「言わないよ」
「女の子は信用できない」
「そっか」
 沈黙が流れた。
「でもおまえは、普通の女の子じゃないよな」
「よく分かんない」
「開けてやるよ」
 それから彼氏は二本のベルトを外した。
 ダイヤルを回して、左の錠を解いた。
 それから右の錠のダイヤルを回して、沈黙した。
「あれ?」
 下の桁を一周させて、彼氏が言った。
「番号、忘れちゃった」
 …………。
 …………。
 …………。
 それからしばらく経って、ゴミ箱の中から答えの書かれた紙を見つけた。
 それは果たして正解で、留め具はようやっと外された。
 ゆっくりと蓋を開ける。
 彼女は依然として同じ体勢で収まっていた。
 明かりが眩しいのか目を瞑っていた。
 彼氏が彼女のお腹を掴んで抱き上げた。
 抱き締めて、背中をさすった。
 頭を撫でた。
 彼女がゆっくりと目を開いて、言った。
「……もっと」
 もっと閉じ込めておいて欲しかったのかと彼氏が聞いた。
「もっと頭を撫でて欲しい……」
 彼氏が笑って、言われた通りにした。
 かくして都合十時間ほどの監禁から、彼女は解放された。
 彼女は犬のように身体を震わせて、猫のような柔軟体操を始めた。
 それから思い出したように「トイレ借りていい?」と彼氏に聞いた。
 頷いた彼氏が鍋を温め直して、冷蔵庫の中から自動販売機で買った飲み物を取り出した。
 夜の帳で深呼吸していた彼女を招いて、鍋を囲む。
「料理上手の彼氏を持てて、幸せ」
「いや、おまえが下手すぎるだけだと思う」
 彼女は笑って、肉ばかりをお椀によそった。
 あまり上品ではない食べ方をして、麦茶を飲んだ。
 そして言った。
「この為に生きてる」

  2

 それからふたりは彼氏の友達と一緒に温泉旅行に行った。
 行く前の準備、友達の前でスーツケースの中に入ると、友達は驚くほど驚いていた。
 ちょっと僕のドラムバッグにも入って見せてよとせがむ友達。
 彼女がその大きなお腹に正拳を入れると、仲良きことは美しきかなと彼氏は言った。
 ドラムバッグの中に入るのは余裕だった。
 しかし彼女はスーツケースにもドラムバッグにも入らず、普通に電車に乗った。
 旅館に辿り着いて、更衣室の前でふたりと別れる彼女。
 ひとり真昼の月を見ながら、彼女は思った。
 わたしはとんだ箱入り娘だったけれど。
 彼氏に拾われて、飼われて、こんなに幸せなことはないと。
 いつかスーツケースの中に入れなくなる日なんて来ない。
 彼女は湯の中に沈んだ。
 一分。
 二分。
 三分。
「ぷはっ」
 連載版に続くよ☆
(nn.html/2006-06-09)


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