カーネーション
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Girl in the Box[Return]
  10

 ベッドの上にスーツケースを置いて、椅子に座るように腰掛けた。
 革製のスーツケースは僕のお尻の形に合わせて沈み、いい感じのクッションになる。
 女の子を尻に敷くなんて、背徳感と独占欲の入り交じる、不思議な気持ち。
 僕はノートPCを膝の上に乗せて、いつも通りメディアプレイヤーを起動した。
 イヤフォンを耳に嵌めて、プレイリストを再生する。
 ブラウザを立ち上げて、ニュースサイトを一通り見てからテキストエディタを開いた。
 僕の趣味は、小説を書くことだ。
 ショートショートを淡々とブログにアップして、楽しんでいる。
 真下に少女の存在をほのかに感じながらの作業は、とても捗った。
 ひとりだとついついネットブラウジングやフリーゲームに手を出してしまうし、
 人ひとりが同じ部屋にいると気が散ってしまうから、これくらいの距離感でちょうどいい。
 3時間が経過して、僕は1階のトイレに寄ってから昼食を摂りに行った。
 少女の為に買っておいたお弁当を温めて、緑茶を片手に部屋に戻る。
 それらをテーブルの上に置いて、僕は尋ねた。
「平気?」
 返事はなかった。
 スーツケースの中には初めから少女なんて入っていなかったのかもしれない。
 ここまですべて僕の妄想という可能性も、捨てるには惜しいプロットだろう。
 僕はシュレディンガーになった気持ちで、スーツケースの留め具を外し、蓋を開いた。
 果たして少女は、詰め込まれたときと同じ体勢でそこにいた。
 顔は床の方を向いていて、表情は伺えない。
 首筋に掌を当てると、脈を計ることができた。
「こんな箱の中で眠れるなんて、本当に猫みたい」
 蓋を閉じて留め具をかけると、中からかすかに声がした。
「ん……」
 閉めてすぐ開けるのもエコじゃないなと思い、そのまま聞く。
「出して欲しい?」
「……うん」
「どうしようかなー」
 持ち上げて、あぐらの上でひっくり返してみた。
 出すも出さないも思いのままなんて、監禁魔には考えられない自由度だ。
「出してあげたら、なんでも言うことを聞く?」
「よく分かんない」
「ご飯を持ってきたよ」
「なんでもする」
 魔法のランプのように表面をこすって、留め具を外した。
 眩しそうにして、なかなか出てこない。
 しばらく待つとゆっくりと起き上がって、小さくあくびをしながら身体を伸ばした。
 テーブルの上に置いてあった緑茶を勝手に飲んで、言う。
「なにすればいいの?」
「先に食べていいよ」
 食べ終えて、ご馳走さまを言って、いつも通り歯を磨きに行く少女。
 ついでに用を足しているのかどうかは、僕には分からない。
 戻ってきた少女は、お願いごとはあと2つだねと謀ったようなことを言った。
「それは逆に3つも叶えてくれるつもりだったのか」
「不覚」
 策士策に溺れる。
 お願いしたいことはいくらでもあるけれど、拒絶されるのが怖くて本命は言えない。
「まずは肩を揉んで」
「うん」
 小さな手で揉んでくれるが、くすぐったいだけで気持ちよくなかった。
「パンツ見せて」
「やだ」
 あっさりと断られた。
 なんでもするって言ったのに。
 ちなみに下着の類はスーツケースの中のポケットに仕舞っているようだった。
「胸を」
「やだ」
 抱き枕にされるのはいいくせに、よく分からない。
 勢いに乗って、とんでもないことを言った。
「×××××して」

  11

「×××××ってなに?」
「…………!」
 そういえば僕は中学生の頃、その名前を知らなかった気がする。
 女子の方が耳年増だとは言うけれど、そんなのは属していたコミュニティに寄るだろう。
「いや、なんでもないよ」
 本当に知らなかったのか、知らない振りをしたのかは分からないけれど、
 口にするのも恥ずかしいことをとても説明する気にはなれなかった。
 僕はボーダーラインを探るように言った。
「キスをしよう」
「やだ」
 嫌だ嫌だって、ルルちゃんかよ。
「なにができるの?」
「口以外なら、いいよ」
 キスしても。
 それはほっぺにならいいよ、という意味だろうか。
 どうせ断るだろうと思って、僕は言った。
「指先にキスをして」
「指?」
 少女はかすかに小首をかしげて、小さく口を開いた。
 僕の手首を両手で握って、顔を近づけていく。
 目を瞑った少女の唇が、僕の指に触れた。
 柔らかい舌をほんの少しだけ出して、ゆっくりと、優しく舐める。
 それはとても温かくて、気持ちよかった。
 我慢できず、このまま押し倒しそうになる。
 指先だけではなく、掌全体にキスをする少女。
 少女に5本の指を舐めさせ終えると、もう片方の掌を差し出した。
 なにも言わずキスをする少女に、たまらない愛しさを覚える。
 ケージからやっとのことで出してもらえた仔犬のよう。
 時間をかけて10本の指を舐め終えると、少女はそのまま頭を下げた。
「なにしてるの?」
「足の指はいいの?」
 もっと汚いところを舐めさせようとしていたくせに、僕は驚いた。
 少女が自分から言い出したことを止める気はない。
 土下座をするように小さくなって、僕の足の指にキスをする少女。
 まるで汚れを取るように、小さく出した舌を這わせる。
 少女にこんなことをさせていいのか、という背徳感。
 こんなところまで舐められるのなら、どこだって舐めさせられるんじゃないかという下心。
 いつまでだってこうしていたいと少女の舌に酔っていると、かすかに足音が聞こえる。
 妹がトイレに行くのだろうと考えていると、扉がノックされた。
「お兄ちゃん、入っていい?」

  12

「ちょっと待って」
 慌てて少女をスーツケースに仕舞い込んで、ベッドの下に押し込んだ。
「もういいよ」
 扉を開けて、抱えていた漫画をテーブルの上に置く妹。
 妹は中学生にしては背丈が高いが、子供っぽい顔と性格をしている。
「借りてた漫画、面白かったよ」
「それはよかった」
 漫画の感想を述べて、それから対戦パズルゲームを取り出した。
 6:4くらいの勝率で付き合っていると、妹は言う。
「お兄ちゃん、恋人できた?」
 僕は心から驚いて、操作ミスをした。
「いや、残念ながら」
「ふうん」
「なんでそんなことを」
「ソワソワしてるから」
 意外と鋭かった。
「彼女には、優しくしてあげないとダメだよ?」
「僕はいつだって優しいよ」
「嘘だあ」
 僕は昔、妹をいじめて遊んでいた。
 布団で簀巻きにしたり、泣いてもくすぐり続けたり、鞄の中に閉じ込めたりしたこともある。
「おかげでわたしは、軽く閉所恐怖症なんだからね」
「ツンデレ?」
「お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ」
 パズルゲーム対決は、妹が僕より多くの勝ちを積むまで続いた。
 それでも部屋に帰らない妹に困っていると、扉がノックされ、母親が現れた。
「あんたたち、ご飯できたよ」

  13

 一家団欒の夜ご飯を食べて、夜食にすると言っておかずの残りをラップでくるんだ。
 ご飯をよそって、飲み物と一緒にお盆に載せて部屋に戻る。
 スーツケースを引っ張り出して、少女を出してあげる―――前に考えごとをした。
 妹が部屋に乱入してから夜ご飯を食べ終えるまで、少女は4時間も拘束されていた。
 正直に言えば、この子が飲まず食わずでいると思いながら摂った食事は最高に美味しかったし、退屈と孤独とみじめさで心が折れそうなんだろうなと思いながら観ていたテレビは最高に面白かったし、ずっと身体を丸めて節々が痛くなっているんだろうなと思いながら椅子に座っているのは最高に居心地がよかったし、こうして気まぐれひとつで出してあげないという所有感は、たまらなく満足できるものだった。
 犬猫扱いどころか、人形扱いだ。
 涙を見せたらこんな酷い仕打ちはすぐにでもやめてあげるのに、この子は泣かない。
 さっき泣いてたくせに、と僕は言ったけれど、胸元は濡れていなかった。
 僕はなにも言わず留め具を外し、蓋を開いた。
 無理矢理詰め込んだものだから、いつもとは微妙に向きが違う少女の寝姿。
 息をしていることを確かめて、抱き上げた。
「起きてる?」
「……うん」
 少女が動けないのをいいことに、身体をまさぐった。
 とくに嫌がることもなく、どうして「胸を揉ませて」というお願いを聞かなかったのか分からない。
 もう片方の手で頭を撫でていると、少女は僕の首筋に舌を這わせた。
 驚いたが、気持ちよかったのでそのまま放置した。
 しばらくすると、少女は首筋に噛みついてきた。
「なにすんじゃー!」
 腋を掴んで、持ち上げる。
 少女はいま起きたような顔をして、言った。
「お腹空いた」
「僕は不味いよ」
「そんなことない」
 少女は犬歯を見せて、さらに噛みつこうとしていた。
「ご飯はたまにでいいんじゃなかったのか」
「しばらくなにも食べてなかったから……明日からは、1日1食でいいよ」
 ずっと動かないなら、基礎代謝の分だけ摂ればいい……のだろうか。
 お盆の上の料理を見て、食べたそうにしていた。
 いきなり噛みつくっていうのは、どうだろう、お仕置きの口実にはなると思うのだけれど。
 なんとなく可哀想だったので、食べていいよ、と僕は言った。

  14

 一緒に水着で浴室に入って、僕が髪を洗っている間に浴槽で静かにしている少女。
 髪を洗い流して、ふと少女の方を見ると、そこには誰もいなかった。
 浴槽を覗き込むと、膝を抱えて仰向けに沈んでいる。
 しばらく眺めていると、恐ろしいほど長い時間が経過して少女はようやっと起き上がった。
「ぷはあっ」
 響くので声を出すことはできないが、僕は少女のことがますます分からなくなった。
 交代して、少女が髪と身体を洗い終えると、僕のいる浴槽の中に入ってきた。
 うちのバスタブはあまり大きくもないけれど、少女の体積はお湯を溢れさせることもない。
 体育座りをして大人しくしている少女を見て、僕は白状することにした。
 箱入り娘[D]の、少女の心理描写はすべて嘘だ。
 セリフ以外は僕の妄想で、デタラメで、少女がなにを考えているのかなんて分からない。
 最初は意地を張っている、倒錯的な「誘い受け」なんだろうと思っていたが、違うようだ。
 この子はどこから来たのだろう。
 この子とはどこで知り合ったのだろう。
 タブーを破って、僕は聞いた。
「君の名前は、なんだっけ」
「……雛祭、里香」
 僕はすべてを思い出した。
(nn2-3.html/2011-11-09)


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