カーネーション
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Girl in the Box[Distress]
  6

 朝になって、目覚まし時計が鳴った。
 音はすぐに鳴りやんで、布団をめくられる。
 新鮮な空気が流れ込んできた。
「いつの間にか、抱き枕にされていたのは僕の方だった」
 しがみついていたわたしの腕をゆっくりと外した。
 寒くなって、わたしは背中を丸めて膝を抱える。
「朝だよ、起きて」
「やだ」
「昨日までの従順さはどこに!」
 再び布団を全身に被せられた。
「一晩中抱き枕にされて、ちゃんと眠れた?」
「うん。最初は苦しかったけど、拘束が緩んだから」
「僕は寝入りがいい方なんだ」
「寝惚けて下に敷かれたときは、背中を叩いても無視されたけど」
「そんなことがあったんだねえ」
 彼は立ち上がって、わたしの身体を跨いでベッドを出た。
 衣擦れの音がするから、たぶん着替えている。
 着替えが終わると、容赦なくわたしの布団を剥ぎ取った。
 あまりの寒さに、限界まで身体を小さくして震えた。
「早く起きないと、そのままスーツケースに仕舞っちゃうよ」
「別にいいよ」
「仕舞っちゃうおじさんを少しは怖がって!」
 脇腹に掌を差し込まれて、持ち上げられる。
 絨毯の上にお尻から降ろされて、わたしは抵抗をやめた。
「おはよう」
「おはよう、いまのうちにトイレを済ませちゃって」
「あい」
 ハンガーにかかっていたジャケットを勝手に羽織って、わたしは部屋を出た。
 『妹の部屋の扉』に目をやってから、歩いて3歩のトイレに入る。
 水を流して、手を洗う水で顔を洗って、口をゆすいだ。
 部屋に戻る。
「……色々ツッコミたいことはあるけれど、まあいいや」
 彼はベッドの下からわたしのスーツケースを引っ張り出した。
「朝ご飯を食べてくる。そのあと母さんが部屋に入ってくるかもしれないから」
「うん」
 わたしはジャケットを戻して、ストレッチをしてからスーツケースに腰を下ろした。
 身を横たえて、腕を下に敷かないように気を付けながら、身体を丸めた。
 いちど外に出した荷物を隙間に埋めてもらって、上から洋服を被せられる。
「じゃ、閉めるよ」
 天蓋が下りて、視界に影が差す。
 天蓋がわたしの身体に当たって真っ暗になっても、
 微妙に容量がオーバーしているので留め具をかけることができない。
 上から体重をかけられて、全身を押し潰されるようにしてぎゅうぎゅう詰めにされる。
「苦しくない?」
「……うん」
 圧迫されたまま2つの留め具をかけられて、
 頼んでもいないのにスーツケースベルトを締められる。
 中で暴れて留め具にダメージを与え、華麗に脱出するという最後の選択肢が奪われる。
 その上で備え付けの鍵をかけられて、彼以外の人には開けられなくなってしまった。
「僕が戻るまで、大人しくしているんだよ」
 スーツケースを引きずられる感触のあとに、扉を閉める音。
 そうしてわたしは、仕舞っちゃうおじさんに仕舞われてしまった。

  7

 全身の圧迫感と、身動きのとれないもどかしさに下腹部が熱くなる。
 だけどゆっくり呼吸をしないとすぐに息苦しくなってしまうから、
 スーツケースを揺らしたり、感情に身を任せたりすることもできない。
 音もなく光もない、刺激のない世界は退屈で時間の感覚がなくなっていく。
 身体を丸めてこんな小さな箱の中に入っている自分は、たまらなくみじめだった。
 こんなのは本当は5分だって耐えられなくて、いますぐ外に出して欲しい。
 いつ開けてくれるかは聞かなかった。
 今日も学校の日なら夕方までこのままかもしれないし、
 遊びに行くなら夜までこのまま放置されるかもしれなかった。
「ん……」
 心が不安で満たされるとすぐに呼吸が乱れて、吐息がどんどん熱を帯びていく。
 苦しくないかと聞かれても、そんなの苦しいに決まっていた。
 最初に閉じ込められたときは1時間だったらしいけれど、体感では4時間に思えた。
 あれで意外と平気なんだと思われて、必要もないのに閉じ込められていたらどうしよう。
 朝ご飯を食べたらすぐに戻ってきて欲しい。
「ふー……ふー……」
 息苦しさのあまり意識が朦朧としてくる。
 それと昨日の朝からなにも食べていない。
 空腹感と圧迫感によるみじめさで、涙が零れてきた。
 けれど、これ以上呼吸を乱しては窒息してしまう。
 頑張ってなにも考えないようにして、ひたすら彼の帰りを犬のように待った。
 身体が痛くなってきて、何十回も助けてと願った頃、扉の開く音がした。
 全身が喜びで震えたけれど、まだ分からない。
 お母さんが入ってくるかもしれないと、彼は言っていた。
 唐突にスーツケースを引きずられて、その感触にびっくりする。
「ただいま」
 泣き言以外の返事が浮かばなかったので、沈黙を返してしまった。
「もしかして、寝てるのかな」
 こんな拷問器具の中で眠れるわけがない。
 そして彼は、わたしを絶望の底に叩き落とすことを言った。
「買い物に行ってくるね、お留守番よろしく」

  8

 泣いて、喘いで、助けを呼んで、だけど大声は出せなくて、
 息苦しさのあまり死にそうになって、身体の感覚がなくなっていって、
 許してってなんどもなんども思って、お腹が空いて、喉が渇いて、
 なんだかトイレに行きたい、なんでもいいから出して欲しい―――
 自我が崩壊していくのを感じ取りながら、心の底から彼の帰りを待っていた。
 彼が交通事故に遭っていたら、わたしはこのまま死んでしまうのだと気付いてしまった。
 それでも取り乱したりしたらそれだけで窒息死してしまうので、彼の無事だけを祈った。
 そしてどれだけの時間が流れたか観測できないくらいの責め苦に耐え抜くと、
「ただいま、PART2」
 扉を開けて、彼が戻ってきて、スーツケースを引きずった。
「よく眠れたかい?」
 言って、スーツケースを持ち上げる浮遊感のあとに、圧迫感がわずかに薄れる。
 スーツケースベルトを外されたのだろう。
「あれ、鍵をどこにやったっけ」
 信じられないことを言って、それから鍵を錠に差し込むまでに謎の時間を費やされた。
 丁寧に扱われているのだろうけれど、焦らすようにしか感じないゆっくりさで留め具を外す。
 天蓋が上がり、圧迫感がなくなると、視界が真っ白になった。
 眩しくて瞼を開けることができない。
 一刻も早くスーツケースの中から出たいけれど、身体が固まって動くことができない。
「生きてる?」
 首筋に触られて、脈拍を計られる。
「なんだか身体が火照っているね、スーツケースの中って暖かいの?」
 案外スーツケースの中で寝てもらってもよかったのかもと、彼はとんでもないことを言った。
 どうにか目が慣れてきたので、自由に動かない手を伸ばして、なにかを掴もうとする。
 その腕をぎゅっと掴まれて、スーツケースの中から引っ張り出された。
 全身が痛かったけれど、我慢した。
 彼は絨毯の上に座らせようとしたみたいだけれど、わたしはそのまま彼の胸に倒れ込んだ。
 胸に顔を埋めて、声を押し殺して泣いた。
 彼は片手でわたしの身体を抱いて、もう片方の手でわたしの頭を撫でた。
「苦しかった?」
 わたしは首を横に振って、涙をこすりつけた。
 しばらくそうしてから、彼の拘束を解いて顔を上げる。
「ぷはっ」

  9

「取り急ぎ、食べ物と飲み物を買ってきたよ」
 身体を伸ばして2時間振りの自由を堪能していると、
 アルミ容器の即席鍋焼きうどんが差し出された。
「嫌いな食べ物とか飲み物はある?」
「お酒」
「未成年でよかったね」
 彼は部屋を出て、10分後に戻ってきた。
 10分とはいえ、閉じ込めなくてよかったのだろうか。
「はい、できたよ」
 ぐつぐつの鍋焼きうどんをテーブルの上に置かれる。
「……食べていいの?」
「いいよ、そのために買ってきたんだから」
「……ありがとう」
 緑茶と紅茶と烏龍茶を渡されて、烏龍茶のペットボトルを選んだ。
「いただきます」
 手を合わせて、割り箸を割るのに失敗して、不器用に手に取った。
 わたしは箸を上手に使うことができない。
 彼は気にした風でもなく、わたしが食べる姿を眺めていた。
 鍋焼きうどんはびっくりするほど美味しかった。
「ごちそうさまでした」
 スープまで飲み干した容器をビニール袋に回収される。
 わたしはスーツケースの中から歯ブラシを取り出して、ペットボトルを手にトイレに向かった。
 水を流して、手を洗う水をペットボトルに溜めて、歯磨きに利用する。
 部屋に戻って、歯ブラシを戻して、スーツケースに戻った。
「……なにしてるの?」
「まだ『お母さん』が来てないから、隠れなくていいのかなって」
「僕が部屋にいる間は、ノックしてから入るから大丈夫だよ」
「今日はもう出かけないの?」
「うん。さすがに長時間は置いていけない」
「わたしのことは気にしないで」
 ご飯にお金を使わせて、時間と場所を吸い取っているわたしのことを、気遣ったりしないで。
「トイレとご飯とお風呂のとき以外は、ずっと閉じ込めたままでいいよ」
「究極の引きこもりだね」
「わたしのことは忘れて、普通に生活して」
 手足を折り畳んで、いつでも蓋を閉められるように収まって見せた。
 また閉じ込められるのが怖くて、心臓が、痛い。
「さっき泣いてたくせに」
「……泣いてないよ?」
「無理しないでいいよ。いきなり2時間も閉じ込めたりして、悪かった」
「よく分かんない」
 彼はわたしの頬に手を当てて、もう片方の手でスーツケースの蓋を掴んだ。
 閉じ込められるかもしれない不安と抱き上げてくれるかもしれない期待で、泣きそうになる。
「そうやって意地を張るなら、閉じ込めたまま椅子にしちゃうぞ」
「別にいいよ」
「よく分かったよ」
 内蓋が身体に触れて、体重をかけられて、閉じた箱に2つの留め具をかけられた。
 スーツケースベルトを巻かれ、身動きひとつ取れなくなる。
「素直に出してって言ったら、いつでも出してあげるから」
 ただでさえぎゅうぎゅう詰めになっているわたしをさらに上から押し潰して、圧迫する。
 両手で押さえつけているのでなければ、宣言通りにお尻に敷いているのだろう。
 こんなに重たいのは初めてで、それだけで呼吸が困難になる。

  ◇

 それから5分と経つことなく、わたしは言った。
 ここから、出して。
(nn2-2.html/2011-11-07)


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