梅
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Collogue-Healing Planet-
  1

 空は望まれたままに青く、世界は今日も平和。
 そのことを誰よりも強く知っている女の子は、タオルケットで丸くなるばかり。
 窓辺から差す光に照らされる被写体は猫のよう。
 猫のような女の子を、鳴かない黒猫が起こしにかかる。
「ん―――」
 その赤い頬を舐められて、身じろぎ。
 ただでさえ高そうな体温を更に上げて、女の子が目蓋を開いた。
 瞬間、にぱっと笑って起き上がる。
「―――おはよう、ココア」
 黒猫を抱き上げて三回転、踊る黄金色の稲穂。
 寝間着から制服に着替えて通学鞄を手に取る。
 黒猫を抱えたまま三畳間を出れば、六つの部屋と階下への螺旋階段。
 それらを無視して最寄りのバルコニーから飛び降りれば、庭と物干し竿の情景。
 そして今年二十一歳になる赤い髪のシスター。
「ユキはあれだ、サーカスにでも売れば金になるかもしれないな」
「教会に売られた人がなにを言っているやら」
 髑髏のアクセサリーを全身に巻いたシスターとは師弟関係であった。
 十二歳にして師匠を打ち破った女の子の名前は秘密有希。
 烏山教会孤児院の最初の世代。
「今日の朝ご飯はなんですか?」
「真っ赤な林檎だよ」
 育ち盛りになんという虐待でしょうと言って、秘密有希は黒猫を抱えたまま室内へと突進する。
 開かれた十八畳ほどのスペースに、キッチンと食堂が繋がったタイル張りの部屋。
 その大きなテーブルでひとり珈琲を飲みながら新聞を読む神父の後ろ姿。
「おはようございます、マスター!」
「やあ、おはようユキ。こんどからは前から話しかけるように」
 金色の髪の神父はバルコニーから飛び降りた秘密有希にでこぴんをした。
 愛されていることを噛みしめながらキッチンに隣接した水道で歯を磨く。
 顔を洗ってから戻ると、テーブルの席には残る六人の子供たちが待ち受けていた。
 上から順に、ナナとカイとソラとシドとエルとレン。
「今日は日曜日だっていうのに、誰ひとり寝坊しないなんて!」
「日曜日こそ教会が機能する最高の日だからね」
 言って、シスターの作ったシチューとパンを前に手を合わせる子供たち。
 ひとり真っ赤な林檎を囓ったあとで、秘密有希は奉仕を開始した。

  2

 それはそれとして、舞台は琥珀町商店街の中央部、秘密有希の働く花屋へと移る。
 以前として黒猫を肩に乗せたまま土をいじる秘密有希はエプロン姿。
 その下は箒星学園の制服で、見た目の年齢は中学二年生くらい。
「店長、私ってどうして働いているのでしたっけ?」
「それはとてもいい質問なの」
 店長と呼ばれた緑色の髪の女性は、店の奥から大きな植木鉢を持ってきた。
 中身はぐったりとした赤い向日葵。
 添え木のつもりか、木刀が刺さっている。
「硝子でできた店の扉を、悪人と一緒に叩き斬ったからよ?」
 つまりは木刀は人質であった。
 手にも馴染んだ名匠の銘刀とは、秘密有希の方便である。
「あなたは強きを挫き弱きを助く、理想的なカタチの理想王」
 言葉を紡ぎながらその髪を向日葵に巻き付けて、言葉を紡ぐ。
「悪意を嫌い、悪意を悪意で返すことを哀しむ、どこまでも純粋な平和主義者」
 店長が髪を解くと、元気な姿を取り戻している赤い向日葵。
「とはいえ解決方法もまた暴力である限り、あなたは加虐者になることさえ厭わない」
「ええ、店長。私はお金目当てに被虐者に追い打ちをかけたことだってあるのです」
「でもそれは三倍返しという名の過剰な復讐を止める為の、真っ赤な嘘なのよ?」
 それは正義を語らずに偽悪を騙ることで即断即決を得る、思考停止という名の誓約。
 相手の正義を認めた上で、しかしその暴力を妨害する『復讐者の敵』。
 戦闘力三倍の『学校最強』には敵わなくても、その目的は叶ったのだろう。
 かくしてあの復讐は後に腐るものを産まなかった。
「復讐者の敵として生まれたあなたは、復讐者と同じだけ加虐者を憎んでいる。
 そして加虐者が加虐者に至った理由を憎み、上手くいかない世の中を儚んでいる」
 言って、店長は植木鉢から木刀を引き抜いた。
 逆手に持って秘密有希の前に差し出す。
「それはおよそ子供特有とも取れるほどの独りよがりでも、その手を待ち望んでいる人がこの町にはたくさん居るの。
 戦いなさい秘密有希。あなたの偽悪は、必ずや誰かの胸に届くはずよ?」
「押忍。お世話になりました、店長!」
 言って、木刀と給金を受け取る秘密有希。
 一年間に渡るアルバイトがここに修了した。
 時給が五百円だったのは硝子の代金を引かれていたからで、本当は貰い過ぎなくらい。
 大きなお小遣いと本物の武器を手に入れて、秘密有希の行動力は更に上昇する!

  3

 そして両手を広げて琥珀町を走り回る秘密有希。
 円の中に十字架を描いたこの町は、秘密有希の大切な箱庭。
 琥珀色中学校。
 琥珀町商店街。
 琥珀町団地。
 烏山教会。
 桜色病院。
 そして―――長峰の屋敷。
 屋根の上にのぼり、三階の窓をノックする。
「コンコン」
「ギャー! 窓に幽霊が!」
「先輩、私です」
「なんだ有希か」
「……開けてください」
「ぐーぐー」
「開けてくださいってばぁ!」
 秘密有希と黒猫を招き入れるは銀色の髪の男の子。
 琥珀色中学校の生徒会長、天城亜狼。
「何故階段を使わないのだろう」
「健康の為です」
「有希にとって階段はエレベーターと同じなのか!」
「そういえばエスカレーターとエレベーターって語感的には絶対反対ですよね。エスカって空っぽいしベーターってベルトコンベアーに似てますし」
 秘密有希は全然関係のない話題を振った。
 それを一瞬で忘れて新しい話題へと移る。
「ところで先輩、約束を憶えていますか?」
「憶えていたらそれは約束じゃないよ」
「ははぁ、それは哲学ですね」
「約束って、いつもの町案内?」
 秘密有希は頷いて、そして窓の外を指さして言った。
「地平線の向こう側まで、付き合ってくれますか?」

  4

 空の上から町を臨めば、夕日に焼かれた琥珀色。
 そこは烏山教会の更に奥に位置する空鳴山の頂上。
 琥珀町内で最も高い場所。
「ねぇ、先輩」
 秘密有希は言った。
「ないのです」
「なにが?」
 天城亜狼は聞き返す。
 そして秘密有希は言った。
「先輩の望む物語を、持っていないのです」
「オレの望む物語?」
「世話好きの先輩は、不幸な女の子が好きなのでしょう?」
 世話好きの兄妹は、より多くの家族を求めている。
 それはきっと長峰の屋敷が孤児院化するという暗示。
「私は天下無敵に幸せなのです」
「四行前の台詞を肯定するわけじゃないが――」
 天城亜狼は言った。
 それはいままでのすべてを否定する反転の言葉。
「―――有希は本当に幸せなのか?」
 産まれたときから孤児として育てられて。
 部屋はなにも置かない三畳間。
「学校が終わっては働いて、休日も教会への奉仕で、自由時間は殆どないじゃないか」
 それはおよそ小学生であるということを忘れそうになるほどの、拘束。
 部屋になにも置かないのは、それはそのまま趣味を殺した結果論。
「貧乏で異国人とのダブルで親は犯罪者で、強さの秘密は過去に虐められたことがあるからじゃないのか?」
 悪意を嫌うのはいつだって弱者の方で。
 復讐は快楽しか生まないと、知ったようなことを―――
「だから有希の物語は『不幸を感じていないが故の前向き』という、それはおよそ劣悪と呼べるブラックジョーク」
 真っ赤な嘘の日に生まれて、同じ日に母親を失った女の子。
 父親は―――
「有希は本当は、誰よりも不幸なんじゃないのか?」
 天城亜狼は独白を終えた。
 秘密有希は閉じていた目蓋を開いて、笑わなかった。
 笑顔の仮面を外せば、それはなんて危うい表情。
 右腕で左腕を抱えて、肩を振るわせた。
 俯いて声を押し殺す。
 泣いていた。
「―――ぷっ、ふはっ、あははははっ!」
 と思ったら笑っていた。
 お腹を抱えて、涙を無駄遣いしながら笑っていた。
「先輩が真面目なことを続けて言うだけで笑えるー!」
「オレの立ち位置はどこにあるというのだろう……」
 ひとしきり笑ったあとで、秘密有希は勢いよく立ち上がった。
 一歩先は崖だというのに、そのなにもない空間に片足を預ける。
 黒猫を抱えたまま三回転、舞い踊る黄金色の稲穂。
 天城亜狼は座ったまま、身体をひねって見上げるばかりだ。
「ねぇ、先輩」
 秘密有希は天城亜狼に負けじと、長台詞を用意した。
 それは彼の言葉すべてを否定する本当のキーワード。
「私は先輩の望む物語を持たないのです」
  物語を持たない女の子。
「働くのは楽しくて」
  花に囲われて、幸せ。
「孤児院は暖かくて」
  どこよりも賑やかなマイホーム。
「小学校は面白くて」
  だから彼女は、先生を護ろうとして。
「長峰の屋敷は桃源郷」
  きっといつかは大家族になる。
「由未ちゃんは可愛くて」
  その能力値はいつだってふたりでひとつ。
「おじいさんは優しくて」
  誰よりも物語を見続けた傍観者。
「そして天城先輩のことが好き」
  好きになるのに、運命は要らない。
「この町のことが大好き」
  箱庭はいずれ方舟になるけれど。
「それが私の、すべてです」
 秘密有希は独白を終えた。
 その表情に嘘はないと見て、天城亜狼は嘆息する。
「参った。冗談だ。有希がどこまでも幸せなことは、その目を見れば分かる」
「はい。言葉だけじゃ届かないけど、誰の家よりも広い箱庭を与えられた私は、誰にも想像できないくらいには幸せなのですっ」
 語られない物語は語られないままに。
 幸せに育つことを望まれて生まれた、祝福の巫女。
「独白を重ねている内に、あっという間に星が見えてきましたね」
「帰ろうか。送るよ」
「いえいえ、ひとりで帰れるのです」
「オレは帰れないのだが! 遭難させる気か!?」
 冗談ですと言って、秘密有希は笑った。
 そして黒猫を肩に乗せて唐突に走り出す。
「捕まえてごらん遊ばせ?」
「捕まえられなかったらオレ遭難確定!?」
 慌てて秘密有希に追い縋る天城亜狼。
 好きな人に追われている秘密有希にはお花畑が見えていた。
 彼女が笑顔である限りは、この町はどこまでも平和で。
 空は望まれたままに巡る。
(log1-h.html/2004-09-14)


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