カーネーション
ノベルSS2>クロノ・クロス
Oklahoma Mixer
  0

 幸せが始まった矢先、わたしは熱を出してしまった。
 隠していたけれどすぐに悟られて、先輩の温もりが残った布団に寝かされる。
 横になって眠るのは不慣れだったけど、身体を起こすことはできなくて。
「ごめんなさい、先輩。朝ご飯もまだ作っていないのに」
「気にするなって。きっといままでの苦労が祟ったんだよ」
 公園でのサバイバルとか、環境の変化とか。
 言って先輩は、されどわたしの『家庭の事情』には触れなかった。
 煤にまみれた灰かぶり姫の半生は、救われたところですぐに死んでしまうのかもしれないと。
 気付かない振りをして、優しく微笑んでくれる。
「いまお粥を作ってやるからな」
 キッチンに消える先輩の背中は、とても頼もしくて。
 だからわたしは、安らかな気持ちで眠りに就いた。
 先輩の匂いを噛み締めて、夢の中へ。

  1

 そしてわたしの物語は順調に起動する。
「ほら、あーん」
「えっと……食べることくらいなら、自分でできますよ?」
「遠慮するなって」
 勢いに押されて、わたしは口を開いた。
 運ばれるお粥を啄んでは、舌を火傷しそうになる。
「あつっ、熱いです先輩……!」
「ん、悪い」
 ふーふーする先輩。
 その仕草で夢の内容を思い出したけれど、黙っておく。
 青年に飼われる黒猫の夢を見たなんて。
 そんなことを口にしたら、赤いリボンを括られてしまいそうだったから。
「ほら、あーん」
「……あー」
 ん、とお粥を口にする。
 幸せの味がした。

  2

 再び目を覚ますと、お昼になっていた。
 ふと見ると、既に着替えを済ませている先輩。
「悪い、起こしてしまったか」
「いえ、勝手に目覚めただけです」
「そっか。これから買い物に行ってくるけど、なにか欲しいものはあるか?」
「えっと……飴玉、舐めたいです」
「分かった」
 鍵をかけて外出する先輩。
 見届けて、わたしは気だるさを押さえつけて布団をめくった。
 ふたつの足に、足枷は嵌められていない。
「先輩に買われたようなものだから、あんな夢を見たのかな」
 呟いて、気だるさに負けて身体を倒す。
 意識は一瞬で飛んだ。

  3

 夕方。
 気が付けば、先輩が鍋をかき混ぜていた。
「お。どうだ、体調は」
「少しよくなりました」
 嘘をついて、立ち上がろうとする。
 腕の力の衰えに驚いては、叶わない。
「あと二十分もすればできるからな」
「すみません……」
 卓袱台を広げる先輩に、わたしは言った。
「食事を作るのは、わたしの仕事なのに」
「なにを言う。俺は好きでおまえを縛り付けてるんだ。仕事なんてないよ」
 料理を作ってくれたら、そのたび感謝の気持ちが溢れるだけで。
 だから今回だって、謝るんじゃなくて『ありがとう』と言って欲しいと、先輩は言った。
「ありがとう……」
 泣きそうになりながらわたしは言った。

  4

 いつの間に眠っていたのだろう。
 ずいぶん時間が経過したように思えたけれど、それはほんの二十分のことであったらしい。
「できたぞ、眠り姫」
「あ、先輩」
「……泣いているのか?」
 指で拭ってくれる先輩。
「悲しい夢を見ました」
「そうか。夕飯の肴に聞こう」
 言って、先輩はうどんを煮た鍋を持ってきた。
「布団の上で食べていいよ」
「お言葉に甘えます……」
 冗談みたいに動けなかったから。
 調子に乗る自分には辟易するけれど、でも―――幸せ。
「ほら、よそってやろう。そしてまた食べさせてやろう」
「いえ、こんどは……自分で頑張ります」
 言って、箸を受け取った。
 箸より重いものは持てそうもなくて。
「二回はお代わりしろよ。昼ご飯、食べさせられなかったからな」
「大丈夫です。あればあるだけ食べちゃう人ですから」
 二回目のお代わりは完食できなかったけど。
 そしてわたしは、夢の内容を告げたあとで眠りに就いた。

  5

 夜。
 卓袱台で書き物をしている先輩。
「よう、おはよう」
「……こんばんは」
「それだけ眠れるのは若さなのかね」
 体温計を渡される。
 熱は欠片も下がっていなかった。
「ところで先輩、お手洗いに行きたいです」
「ああ―――って、まさか今日は一度も行っていないのか?」
「はい。忘れていました」
 驚いてみせて、そのあとでお姫様抱っこしてくれる。
 優しくて優しい王子様。
「下着くらいは、自分で脱げるよな?」
「だ、大丈夫です」
 部屋で待つようにお願いして、用を足す。
 まさか本当にトイレを描写するとは思わなかった。
「終わりましたー」
 歩き、扉を開ける先輩。
 座り、先輩を見上げるわたし。
 なかなかに不思議な光景だと思った。
「帰りはコアラ抱っこでいいか?」
 甘えを繰り返した代償に子供扱いされる。
 甘んじて受け入れて、眠りに就いた。

  6

 深夜。
 見捨てられる夢を見て、目を覚ました。
 隣にはもう一組の布団。
 結局、いつかの宣言は迷惑になってしまった。
「先輩……」
 手を伸ばしても届かない。
 自分でも驚くくらい情緒不安定になり、大粒の涙をこぼす。
「先輩は、見捨てたりなんてしないですよね?」
 視界が滲む。
 自分が我が侭になっていることを自覚する。
 落下する感覚に苛まれながら、眠りに就いた。

  7

 そして朝が訪れる。
 布団を畳む先輩を見つけて、わたしは掌を伸ばした。
「先輩……」
「ど、どうした?」
 泣きはらした顔を見て、動揺する先輩。
 あなたはどこまでも優しくて。
「あたま」
 ろれつが回らない。
「あたまをなでてください」
 言うとおりにしてくれる先輩。
 してくれる、先輩。
「えへへ……」
「さ、熱を測らないとな」
 体温計を腋にさせば、変わらない数値。
 三十八度の体温。
「……薬じゃダメか。よし、今日は病院に行くぞ」
「やだ」
「嫌じゃない。治さないと、ずっと苦しいままだろ?」
 それはそれで構わないとわたしは思った。
 先輩が優しくしてくれるのなら、それだけでいい。
 布団を被って、わたしは眠った振りをした。
 それはすぐに夢の世界へと導いてくれた。

  8

「先輩」
「うん?」
「もしもわたしが死んでも、忘れないでいてくれますか?」
「…………」
 呆れ半分、怒り半分。
 ふたりの想いはゆるやかにすれ違っていく。
「……冗談です。気の迷いです。忘れてくれると、嬉しいです」
「もしもおまえが死んでしまったら―――」
 先輩は言った。
「きっと俺も、眠くて仕方がない一生涯を送るんだと思うよ」

  9

 そしてわたしは記憶を失った。
 口の中には、甘くとろける琥珀飴。
「綾鳥……」
 知らない男の人が泣いている。
 わたしは聞いた。
「あなたはだれ?」
 彼は黙して答えない。
「ここはどこ?」
 彼は震える腕を抑えて、口を開いた。
「ここは琥珀の町の外側で」

「俺はおまえをさらった、悪い悪い誘拐犯だよ」

  10

 夜明け前なのか夕闇なのか判然としない景色。
 わたしは首をさすって、身体を起こした。
 隣には、同じ布団を被って眠る男の人。
 退屈だったから揺り起こした。
「……ああ、おはよう」
「おはよう? それならいまは朝なのね」
「えっと……違うね。夕方だ」
「夕方の挨拶は、『こんばんは』なのよ?」
 微笑んで。
 わたしは髪をかき上げた。
「ねえ、髪を切ってくれる?」
「え?」
「長いのはうざったいの。鈴のついた髪飾りもいらない」
 彼は俯いて―――言うとおりにしてくれた。
 バスルームで、髪を切ってもらう。
「肩口でいい?」
「もうちょっと下。肩胛骨のてっぺんくらい」
 そして腰まで伸びていた長い髪にお別れを告げる。
 もっとも、鏡を見る前に眠ってしまったけれど。

  11

 真っ暗闇の夜。
 気が付くと声を失っていた。
 別に困らない。
 この世界には、わたしの他には世話をしてくれるこの人しか居ないみたいだから。
 起こすのも悪いと思って、わたしは琥珀飴を舐めて時間を潰した。
 飢えは―――癒されない。
 前言を撤回して、青年のお腹を殴る。
「ぐはっ」
 起きた。
 一瞬気だるげな顔をしたけど、すぐに笑顔の仮面を被る。
「ご飯? トイレ? それともお風呂?」
『ぜんぶ』
 魚みたいに口をパクパクと動かす。
「…………?」
 わたしが喋れなくなったことに気付いたのは、それからすぐのことだった。

  12

 痛い夢を見た気がする。
 カーテンの向こう側は朝だった。
「はい、体温計」
 見上げれば、疲れた顔の男の人。
 体温計を腋に入れて、返してあげると喜んだ。
 変態さんなのかもしれない。
「熱、下がったじゃないか!」
 三十六度の体温に狂喜乱舞。
 楽しそうだったから、わたしも一緒に踊ってあげた。
「よかった。本当によかった。記念に好きなものを作ってやろう、なにがいい?」
 冷蔵庫を開ける。
 お刺身を指さして、わたしは彼の顔を伺った。
「オーケイ、お茶を淹れよう。ご飯は炊いてある。すぐに食べられるぞ」
 男の人に抱きついて喜びをアピール。
 それからお刺身のラップを取って、わたしは卓袱台を広げた。
 食べて。
 遊んで。
 食べて。
 散歩をして。
 食べて。
 お風呂に入って。
 しっかりと一日を終えてから、わたしたちはひとつの布団で眠った。
 もうひとつの布団は、どうしてあるのか理解できない。

  13

 人に売られる兎の夢を見て、目を覚ました。
 なるほど売られてしまうのも困るので、今日は頑張って尽くしてみようと思った。
 眠れる才能が再開花したのか、適当に作った煮物は奇跡の出来で。
 起こした彼は大喜びしてくれる。
「朝からできたてのカレーライスを食べるなんて、こんなに幸せなことはないかもしれない」
 カレーライスってなんだろう。
 最近は殆どの『言葉』を忘れてしまった。
 憶えているのは、童話みたいな夢ばかり。
「一度は絶望したけれど、回復に向かっている。もしかしたら、あるいは―――」
 すべてを思い出してくれる日は近いのかもしれない。
 そう呟いて、彼はわたしの頭を撫でてくれた。
「今日は外で遊ぼうか」
 わたしは首を振って、彼のお腹に抱きついてはお昼寝を敢行した。

  14

 自殺する夢を見た。
 男の人の胸に泣きつくと、背中を撫でてくれた。
 空なんか飛べなくたっていいと思った。
 不幸じゃなければ幸せで。
 ずっとずっと幸せで。
 この空間に、わたしは永遠を錯覚する。

  15

 それはひどい生活だった。
 六畳間はお父さんのもので。
 キッチンで眠ることを余儀なくされる生活。
 横に転がることさえ癪に障るお父さんは、使い古しの座布団を投げた。
 正座で眠れと、滅茶苦茶なことを言う。
 もう慣れたけど。
 煤にまみれては、肺を悪くして。
 寿命があまり長くないことは自覚していた。
 お母さんだって、お父さんが殺したようなものだ。
 それでもわたしは復讐の物語を放棄する。
 自らの物語を破棄する。
 熟睡できないその姿勢は、明るく愉快な愛のある夢を見せてくれたから。
 眠っている時間の方が長くなれば、世界のカタチは逆転すると信じて。
 夢の中へと、逃避した。
 夢の中の夢は現実で。
 そしてわたしは、綾鳥陽菜子の記憶を取り戻した。

  16

 生まれ変わる夢を見て、目を覚ました。
 朝ご飯を作って、新聞を抱えて先輩を起こす。
 そしてわたしは、禁じられた最敬礼を敢行した。
「おはようございます、天田先輩」
「―――顔を見せてくれ」
 見上げれば、泣き笑いの表情を実現している先輩。
 三つ指を離して、わたしは先輩の涙を拭った。
「本当の自分を、思い出したのか?」
「はい。もちろん、記憶を失ってから先のことも―――憶えていますけど」
 だからわたしは謝りたかったのだけれど。
 先輩は、土下座の姿勢を許してくれない。
「あれはあれで可愛かったよ。その髪型も、よく似合ってる」
 ずいぶんと短くなってしまった髪の毛には、鈴の音の髪飾り。
 いまはもう、この音がないと落ち着かないくらい。
「こんどからは、外を歩くときもつけていきますね」
「ああ、うん。気に入ってもらえてなによりだよ」
 そしてふたり食事を摂って、買い物に行って。
 初めての外食をしてみては、長めの入浴をして。
 不思議と消えた恥じらいの証に、ふたり同じ布団で眠った。

  17

 その日、夢は見なかった。
 そのことを報告すると、先輩は『夢の終わり』を喜んだ。
「きっとこれは試練だったんだな。
 夢の世界へと逃げたおまえを、この世界に繋ぎ止める為に神が与えた試練だったんだ」
「はぁ。先輩、ファンタジーの人だったんですね」
「ぐっ……!」
 苦虫を噛み潰したような顔をする先輩。
「冗談です。そうですね、どちらにしても―――終わらない夢なんて、恐怖でしかありません」
 夢は叶えるものですから。
 そんな冗談を口にして、その日は久し振りのお昼寝を敢行した。

  18

 ……………………………………………………。

  19

「夏祭り?」
「ああ。待ちに待って、ついに明日だ」
「もう、とっくに終わったのかと思っていました」
 実際のところ、十九回も眠った割には六日しか経っていなかった。
 我ながらちょっと病気じゃないかと思うほどの眠りっぷりである。
「実際、病気だっただろ」
「そうでした。それにしても、まだ終わっていなかったのは素敵です」
「二十四時間後には、粉もの食べたい放題だな」
 食欲魔犬にされている気がすると呟いて、デジャブを体験する。
 実際のところ、記憶力があまりよくないだけだけど。
「それで、明日は鳴海も来るからな」
「誰でしたっけ?」
「コラ」
「冗談です」
 それは本当に楽しみだったから。
 だから、その夜は眠れなかった。
「まあ、祭りは夜だから別にいいけどな」
「えへへ。トランプに付き合ってくれますか?」
「いいだろう。大貧民で俺の右に出るものなど!」
「ふたりでやるものじゃないですよっ」

  20

 そして水瀬鳴海の再登場。
「鳴海ちゃんっ、大好きです!」
 抱き締めてみせた。
「悪いな、こいつ寝てないからハイテンションなんだ」
「うん。別に慣れてる」
 好き放題触らせてくれる鳴海ちゃん。
 だからわたしは、彼女の体術が大人を遙かに凌駕していることに気付かない。
「まだ時間あるから、寝ててもいいよ」
「いえいえ、折角鳴海ちゃんがいるのに遊ばないわけにはっ」
「そうだな。三人でプロレスごっこするか!」
 空気が凍る。
 青い目で従兄弟を見つめる鳴海ちゃんと。
 赤い目で先輩を見つめるわたし。
「うう……こんな冷たい子に育てた憶えはないでがんす」
『育てられた憶えもないよ』
 ハーモニーを奏でて、手を合わせる女子ふたり。
 同じ大きさのお姫様。
「でも陽菜子ちゃんの方が胸が大きいから」
 だからあなたは高校二年生でしょう、と鳴海ちゃんは言った。
 実に勘のいいイトコふたり組である。
「なーなー、そろそろ少しくらいエッチな展開があってもいいと思わないかー?」
 ひとりブーイングを鳴らす先輩を無視して。
 三人、大貧民に熱中した。
 その序列は資産額に反比例しましたとさ。

  21

 そして―――夏祭り。
 夢にまで見た、夏祭り。
「先輩先輩、林檎飴がっ」
「はいはい」
 本当に『飴』が好きな奴だな、と先輩は笑った。
 そこに自覚はなく。
「お兄ちゃん、綿飴買ってェー」
「はいはい」
 そしてキャラクター性を破棄して甘える鳴海ちゃん。
 あるいは、それが本来の姿なのかもしれない。
「先輩先輩、ひよこが売ってますっ」
「食べられるのか?」
「焼いちゃダメです! あと銘菓でもないです!」
 正確には売っているわけではなく、『ひよこ釣り』だった。
 後先を考えずにチャレンジしては、失敗する。
 失敗する―――運命だったのだろう。
「お兄ちゃん、金魚すくい……」
「食べられるのか?」
「食べられる」
「よし、頑張れっ」
 大盤振る舞いの先輩。
 鳴海ちゃんは、果たして金魚をすくってみせた。
 その数、実に三匹。
「三角関係」
「俺たちみたいだな」
「…………」
 鳴海ちゃんに蹴られる先輩。
 あるいは、ふたりは相思相愛なのかもしれない。
 それはそれなら―――救われる。
「あ」
 そして。
『あ―――』

 見上げれば、虹色の花火。
 目に焼き付けて。
 わたしは幸せの林檎飴を舐めた。

  22

 鳴海ちゃんを見送って。
 見上げるはワンルームマンション。
 箱形の箱船と、天空回廊。
 扉を開いて。
「おやすみなさい、天田先輩―――」
 久し振りに、わたしは膝枕を開放した。
 座ったまま眠ることのできる能力は、使わない。
 いままで眠りすぎていたくらいのわたしだから。
 だから今夜は、眠らない。
「すー……」
 魔法にかかったように熟睡する先輩。
 徹夜明けの祭りのあと、きっとお昼頃まで起きないだろう。
 その銀色の髪を撫でる。
 そしてそのおでこにキスをする。
「ずっと膝枕でも情緒的ですけど、でも―――花より団子、ですよね」
 言って、わたしは膝枕を本物の枕と取り替えた。
 キッチンにお邪魔して、冷蔵庫を開ける。
 買い溜めされた食材は宝の山で。
 切り崩しては、二十食分の料理を築き上げようと。
 包丁のメロディ。
 コンロのスタッカート。
 跳ねる水滴を踊り子に見立てては、とても楽しくその夜を終えた。

  23

 肌を照り焼く琥珀色の太陽を背に。
 陽炎揺らめくコンクリート色のコンクリートを踏みしだき。
 風情としても切なさの勝る、ひぐらしの鳴き声に包まれて。
 夏の半ば。
 バスを降りて。
 執事さんに、ご挨拶。
「ありがとうございました。お迎えは、大丈夫です」
 頷いて、執事さんの運転するバスは道路の先へと消えていった。
 追うように道を歩くと、右手には砂浜へと降りる階段。
 だから舞台は―――海の見える街。
「遅かったな」
 階段には先輩が座っていた。
 その時間差に意味はなく。
「座れよ」
「ご丁寧にどうも……」
 ハンカチの敷かれた階段に、腰かける。
 さてと。
 そしてわたしは、夢の意味を明かした。

  24

 打ち明けた話、この世界は誰もがみんな『能力』を持っていますね。
 こどももおとなも、おねーさんも持っているのです。
 それはたとえば、未来をシミュレートする能力とか。
 自らの周りの重力を変動させる能力とか、素敵な能力がいっぱいです。
 明るく愉快な愛のある世界です。
 そしてわたしの能力は、だから、座りながら眠ることなんかじゃなくて。
 もちろん膝枕の心地よさでもなくて、料理の腕前でもなくて。
 ……………………。
 わたしの見た夢は、本当にあった物語なのです。
 素敵な能力の継承は、だから、他の物語から『転生』した際に行われたのです。
 今回の継承の儀のターゲットは『呪われた童話』で。
 その物語の終わりには大抵の主人公が死んでしまう、最悪の物語でした。
 そしてわたしの能力は『運命の交換』で。
 彼らを死なせない為に、わたしは二十回分の死を引き受けたのです。
 ……………………。
 そういう役割、だったのです。
 灰かぶり姫なんて居ないのです。
 その環境もわたし個人の物語も関係なく、決められていたことなのです。
 世界はいつだってひとりの少女を犠牲に廻るものでしょう?
 十九回の死が通過したこの身体は、あと一回眠ったら二度と目覚めることはないのです。
 星の記憶を担う最後の子には、どうか、幸せな記憶を―――
 そんな感じの、模倣の物語です。

  25

 そしてわたしは、これでよかったと思うのです。
 これは究極のハッピーエンドに間違いありません。
 だって……幸せだったから。
 この夏に、一生分の楽しさが詰まってたから。
 その言葉の意味を、初めて理解できました。
 永遠なんてなかったけど。
 同じ価値なら、記憶の中に残っているのです。
 ……………………。
 だから先輩……泣かないでください。
 これはこれ以上ない、最上の結末なのですよ?
 わたしは……頑張ったんです。
 眠らないよう、頑張りました。
 だから、褒めてください。
 いい子いい子、してください。
 ……………………。
 先輩、ごめんなさい。
 幸せなまま死ねるのは、わたしだけですよね。
 本当は気付いていたけれど、自分のことで精一杯でした。
 死の恐怖を和らげることで精一杯でした。
 だから先輩、泣いてください。
 受け止めてあげます。

  26

 愛する人の腕の中で死ねたら、それは最大の安楽死ですけど。
 愛する人に腕の中で死なれたら、それは最悪の拷問ですよね。
 だから先輩、本当は別の言葉を用意していたのですが―――
 変えても、いいですか?
 眠る前に、伝えたい言葉があるのです。
 言葉じゃ正しく伝わらないかもしれないけれど……。

 ……ん、眠るところでした。
 命取りですね。
 恥ずかしがっている時間は、ないのかもしれません。
 自惚れながら言うしかないのかもしれません。
 先輩。
 先輩のことが、大好きです。

 わたしと―――付き合っていたことに、してください。

  27

 えへへ……嬉しいです。
 これで思い残したことならなにもありません。
 きっとわたしは、この二十九の物語の中で一番に幸せでした。
 黒猫より、幸せになれました。
 だから先輩。
 先輩の望んだ永遠は、忘れてください。
 夏は終わるものだから。
 前に進むことは痛みを伴うけど、でもその先でまた新しい永遠を見つけることができるから。
 休み休みなら、渡り鳥は世界だって廻ることができるのです。
 先輩の物語はまだ始まったばかりなのです。

  28

 さてと、そろそろ限界みたいですね。
 年甲斐もなく足掻いてしまいました。
 本当は、先輩に呪いの言葉をひとつ投げかけて終わりにしようと思っていたのに。
 告白、しちゃったじゃないですか。
 先輩があんまり強く抱き締めるから。
 離してください。
 飛べなくなっちゃうじゃないですか。
 もしも先輩が、まだわたしのことを好いていてくれているのなら。
 それなら―――呪いの言葉はまじないの言葉になるのです。
 ねえ先輩。
 キスしてください。
 おでこじゃなくて、唇に。
 ……………………。
 えへへ?

 来世でまた、逢いましょうっ。
(ss2-28.html/2007-12-28)


/インフェルノフェスティバルへ
short short 2nd
21 クロノ・トリガー-Ievan Polkka-
22 物の怪クダン-I've Been Working on the Railroad-
23 イノセントマリオネット-Orphee aux Enfers-
24 赤犬のワルツ-Minute Waltz-
25 月姫のタンゴ-Libertango-
26 海鳴りの詩-Soap Bubbles-
27 掌を太陽に!-We are not Alone-
28 クロノ・クロス-Oklahoma Mixer-
29 インフェルノフェスティバル-Mayim Mayim-
30 まつりのあと-Auld Lang Syne-
31 ノータイトル・エチュード-Cotelette-
EX 原曲一覧-Original Title-
EX キャスト-Crossing-
Character List
綾鳥陽菜子-アヤトリ・ヒナコ-
Ruby