カーネーション
ノベルSS2>海鳴りの詩
Soap Bubbles
  1

 肌を照り焼く琥珀色の太陽。
 陽炎揺らめくコンクリート色のコンクリート。
 風情としてはいまいちの、ミンミン蝉の大合奏を背に。
 夏休み。
 バス停にて。
 待ち人を待つこと、二年間。
「…………」
 暇潰し編に、回想録。
 待ち人は六歳年上の従兄弟。
 優しくて楽しい、銀色の髪の男の子。
 私の青い髪は短く。
 くしゃくしゃに撫でてくれる。
 白くて赤い、君の笑い皺。
「…………ぁ」
 そして私は中学二年生になり、彼は大学二年生になった。
 お互い、大人と子供の境界線にして―――遊びたい盛り。
 だから、今年は精一杯にはしゃごうと思った。
 大人びて見せる演出とか。
 そっけなく接するツンデレを破棄して、子供のまま。
 いつまでも変わらずに。
「…………暑い」
 呟いて。
 廻るミンミン蝉の大合奏を腹に、森を背に。
 焼けたコンクリートの上、のたくるミミズを目に、釘付けに。
 ミュールを踏み鳴らして。
 一歩、二歩、三歩。
 四歩―――
「あ」
 ―――バスが来た。
 バスは烏山教会前のバス停に停車する。
 降り立つ乗客の大半は教会の巡礼者。
 その例外は、狙いすましたように最後に降りてきた。
 幾分か伸びた背丈は大人びて見せる演出として機能する。
 そっけなく接するツンデレをお互いに破棄して―――

「よう。お迎えご苦労、大儀であった!」
「―――うん。久し振りだね、お兄ちゃん」

  2

 翌日。
 階段を下りては、従兄弟の姿を探す。
 ターゲットはソファーの上で新聞を読んでいた。
「お兄ちゃん」
「なにか?」
「遊んで?」
「ああ―――」
 新聞をうつ伏せに寝かせて、ファイティングポーズ。
「どこからでもかかってこい!」
「じゃあ……上から」
 私は右足を大きく上げて、踵落としを振り抜いた。
 両腕をクロスしてガードする従兄弟。
 お互い、成長した分だけ予想外のダメージを負う。
 漫画のようにはいかないけれど、テンションだけはそんな感じで。
「でもだけど、やりたいのは格闘ごっこじゃないよ」
「パンツを見せたあとで言われても」
「パンツじゃないよ」
 スカートの中身は、ワンピースタイプの水色水着。
 それはつまり―――
「プールに行きたいな」
「ああ、いいぜ!」
 即断即決。
 ベルトを外せば、従兄弟の下着もまた水着だった。
 笑い合って、ビニール製のシートとボールを装備する。
 ミュールを履いて、サンダルを履いて。
 玄関を開けば―――夏の匂い。
「暑いな!」
「暑いね」
「その傘は?」
「日傘だよ」
「デリケートな奴だな」
「日焼け止めは、使えないからね」
 対話を重ねながら、歩を進める。
 到着したのは琥珀色の学舎。
「……まさか学校のプールを使う気か!?」
「人が少ないところがいいよね」
「嘘だと言ってくれ!」
「嘘だよ」
「なんだ嘘か」
「嘘という嘘」
 ―――という嘘。
 校舎を回ると、裏門の先には森林公園。
 教会に繋がる道を無視しては、野球場と駐車場を越えて。
「おお―――」
 従兄弟の感嘆。
 できたてほやほやの、町営プールへと辿り着いた。

  3

 ―――トンネルを抜けると。
 目蓋を貫いたのは夏の燐光。
 耳朶を劈いたのは千の歌声。
 四角い海は、夏の間だけ機能する楽園としての箱庭。
「よう。待たせたな」
 後ろから、人の頭を撫でる従兄弟。
 人違いだったらどうするのだろう。
「青い髪は珍しいからな。それにその水着は、既に目に焼き付けてある」
「嘘つき。水着に着替えたのは、本当はいまが初めてだよ」
 そんな嘘を吐いて、振り向いた。
 上半身裸の、従兄弟の姿見。
 ……驚かせるつもりが、逆に驚かされてしまった気分。
「うん。可愛いな、鳴海は」
 そして彼は、私の名を呼んだ。
 私は彼の名を呼べない。
「さて、泳ぐか。塩素の足湯を踏みしだいて泳ぐとするか!」
 言って走り出す従兄弟を、私は監視員より早く止めた。
「待って」
 私は先天的にあまり走ることができないと。
 明かすつもりは、ないけれど。
「おんぶ」
「何故!」
「嫌なの?」
「……いいですとも!」
 彼の背に胸を預けて、塩素の川を乗り越えた。
「ビニールシートは、あそこがいいな」
「鳴海を背負ったままやれと?」
「やれと」
 従順な従兄弟。
 優しい私は、ビニールシートの上のカバンの上に、背負い投げで降ろされた。
「さて、泳ぐか。盛大に飛び込んで泳ぐとするか!」
「待って」
 沈黙、三十秒間。
 笛の音。
「点検の時間になったから、五分間の休憩だね」
 彼は泣き、そして鳴いた。

  4

 そして舞台は整って。
 遅まきにして、運命の物語は廻り始める。
「―――ぷはっ」
 到着してから、一時間。
 流れるプールで、お互いの姿を見失ってしまった。
 従兄弟いわく、私の『移動』は速すぎるのだとか。
「競泳用プールじゃないんだから、別に本気で泳いだりはしていないんだけど」
 水に入ると、人のことを忘れがちになるのは、反省点。
 お互いの休憩地が一致している限り、大事には至らないけれど。
「それでも、地面を歩くより水面を掻く方が速いのは事実だし」
 待ち合わせ場所までは―――泳いで行こう。
 そして私は、多少の迷惑を子供心で誤魔化して、水底に潜った。
 それがすべての始まりだった。

 泡の中。
 音のとろける視界の中で。
 私は『お姫様』を発見する。
 金色の長い髪。
 背中を丸めては、死んだように。
 眠っていた。

 抱き抱えてみれば存在しない体重。
 浮力の存在を忘れていた私は、思い出すと同時に浮上した。
「―――ぷはっ」
 お姫様の―――少女の顔を覗き込むと、わずかに反応する。
「ん……」
 目は開けず、されど深く呼吸する少女。
 朦朧とした意識で、少女は呟いた。
「お腹が……」
「痛いの?」

「お腹が空きました」

  5

「もくもく」
 従兄弟の買ってきた焼きそばを、それは美味しそうに食べる少女。
 割り箸の使い方はいまいちで。
「うっ、ひっく……」
 泣きながら食べる少女。
 咳き込んで、唾液混じりのキャベツが混じる。
「ううー……」
 以下省略。
 七枚の焼きそばを平らげて、少女は遅まきの自己紹介を始めた。
「綾鳥陽菜子です。二年生です。よろしくお願いしますっ」
 よろしくお願いされる謂われはないけれど。
 従兄弟は、優しくて楽しい従兄弟は―――反応した。
「焼きそば七皿で二千八百円! 耳を揃えて払って貰おうか!」
「あうっ。あのっ、財布をなくしましてっ」
「ほう。ならば身体で払って貰おうかなあ!」
「うー……せめて優しくしてくださいー……」
 そして。
 簡単に土下座のようなお礼をする少女。
 その身体は、私と同じくらいには小さくて。
 クラスで三番目に背丈の低い私と同じ体躯。
 そして水着はビキニタイプの、薄いピンク色。
「よし、それならその水着を二千八百円で買い取ろう」
「なっ、うなっ、ドメスティックバイオレンス!?」
「いつから家族になったんだ」
「セクシャル……バイオレット?」
 以下省略。
 従兄弟は当たり前のように二千八百円を奢り、更にはカラカイのお詫びにかき氷を買いに行った。
 女の子座りをする少女の隣に、体育座りの私。
 そしてぴぃちくぱぁちく囀っていた少女は、急に大人しく―――ならない。
「あのっ、ありがとうございましたっ」
「なにが?」
「ヤジロベーになるところでした」
「……ドザエモン?」
「あっ、そっちです! 僕ドザエモン! あははははっ」
 出逢い頭の神秘性なんて欠片もないハイテンション。
 私はお兄ちゃんと居られたら、それだけで幸せだったのに。
 食べられてしまいそうで。
 彼女の物語なんて興味ないから。
 子供のままじゃ、いられない―――

  6

 そして私は私の物語を加速する。
「お兄ちゃん」
「どうした?」
「オイル塗って?」
「ああ、うん」
 ふふん、と口の端を上げて少女を見上げる。
 かき氷を食べ終えた少女は、目をランランと輝かせて言った。
「それはそれなら、次は私に」

「先輩の分は、私に塗らせてくださいっ」

「気持ちいいですか?」
「極楽極楽」
「…………」

「お兄ちゃん」
「どうした?」
「一緒にスライダーやろ?」

「きゃー」

「ふふん」
「先輩、タオルです」
「ああ、拭いてくれ」
「ごしごし」
「いや冗談なのだが!」
「…………」

「お兄ちゃん」

「お兄ちゃん……」

「お兄ちゃんの―――」

「―――ばかぁーーーーーっ!」

  5

 羽毛布団にくるまれて。
 翌日。
 ソファーの上には従兄弟の姿。
「目、兎みたいだぞ」
「ぶー」
「それは豚だ」
 本当は兎でも正解だけど、秘密にしておく。
 そして今日はお勉強の日。
 テーブルに夏休みの宿題を広げて、従兄弟の指にシャーペンを挟み込む。
「あれ? スラスラ書ける! この問題も! うおー、やっててよかった睡眠学習塾ってバカ!」
「あ、本当にできてる」
「大学生を甘く見るな―――っていうか答え分かるんじゃん! 俺意味ないじゃん!」
「意味ないね」
 従兄弟は騒いだ末に参考書を取り出して、私の隣で勉強を始めた。
 永遠さえ錯覚する、柔らかな時間。
 日は落ちて。
「わんわん」
「それは犬だ」
「知ってるよ」
「猫は?」
「言わないよ」
「にゃんと」
「犬の散歩」
「ヨーヨーの技?」
「犬の散歩に、行かないと」
「付き合おうか」
「幸せにしてくれる?」
「任された」

  4

 琥珀色の学舎の裏門の先には、森林公園。
 教会に繋がる道と、町営プールに繋がる道。
 その¥字路は森の道。
 犬の散歩にうってつけの夕暮れ。
 そして私は、多少の迷惑を子供心で誤魔化して、公園に侵入した。
 そして私の物語は終わりを告げる。
「綾鳥陽菜子」
「水瀬―――鳴海ちゃん」
 森林公園。
 遊具の中に、段ボールを敷いて。
「これは?」
「……秘密基地です」
 基地と呼べるマテリアルはなにもない。
 見えるのは、ひとつかみのパンだけだ。

 雨が降り始めた。
 鳥籠のような遊具の中で、三人と一匹は雨宿りを開始する。

  3

 海の見える街で少女は育った。
 小学生のときに母親を病気で亡くす。
 それはそれでも、父親は優しかったから。
 月に三千円のお小遣いに不満はなく。
 五階建ての団地にエレベーターがないことの方が、問題だった。
 慣れれば慣れるほど疲れる階段を上り、二階へ。
 向かい合わせの玄関を通りすぎて、三階へ。
 十世帯を収容する階段を踏みしだいて、四階へ。
 高い高い地面を見つめて、最上階へ。
 玄関を開くと、そこに父親の姿はなく。
 それはいつものことで。
 問題なのは、卓袱台の上の借用書だった。

 借金の総額は、六百万円。

 共に置かれた手紙には、希望の言葉は書かれていない。
 少女は怯え、すぐに部屋を飛び出した。
 だから荷物は、財布と手提げバッグだけで。
 バッグの中には、買ったばかりの水着しか入っていない。

 遠くに行こうと思い、電車を乗り継いで琥珀町に辿り着いた。
 残されたお小遣いは、わずかに五百十二円。
 人目を避けて、辿り着いたのは深夜の森林公園だった。
 眠れない夜。
 真夏の夜の夢。
 翌日、森林公園を走るラーメン屋にて、五百円玉を消費する。
 翌々日、森の先の教会に気付き、噛まずに飲むパンを恵んで貰う。
 そして―――その次の日。
 森からのフェンスを乗り越えて、町営プールに侵入した。
 狙いはプールの底に落ちている小銭だったらしい。
 潜っては探し、潜っては探し、強盗を図る焦燥感を追い払って。
 水の底で、少女は力尽きた。

  2

「だから、おふたりは命の恩人なのです」
 そう言って、少女は―――お姫様は心なし距離を置く。
 きっと匂いを気にしているのだろう。
「プールの石鹸じゃ限界があるといいますか、いえ、元々癖っ毛なのでこんなものなのですがっ」
 告白とは一転、再びテンションを上げていくお姫様。
 それはきっと、現状に流されない為の空回り―――なのだろう。
「えへへ。そろそろ雨もやみそうですね。話を聞いてくれて、ありがとうございました」
 例のごとく土下座をしようとするお姫様のおでこを、私の掌が押さえつけた。
 加えて従兄弟の両腕がお姫様の両脇を掴み、抱き上げる。
 ―――いわゆる、たかいたかい。
「なっ、うなっ、セクハラです先輩……!」
「ドメスティックバイオレンスの間違いでしょう?」
 私は言った。
 従兄弟が続ける。
「おまえっ、頑張ったんだなあ!」
 涙もろい従兄弟は泣いていた。
 昔、私の為にだって泣いてくれた。
 だから―――祝福する。
「安心しろ! もう大丈夫だ! 俺がおまえを幸せにしてやる!」
 そう言って、従兄弟はお姫様のことを抱き締めた。
 ひとりでもふたりでも、大した違いはないのだろう。
 きっと従兄弟はそう考えている。
「はうっ、苦しいです先輩……!」
 お姫様の声は従兄弟にも私にも届かない。
 私はひとり外に出て、優しい雨に身を委ねた。
 一筋、暖かな雨が頬を伝う。
「ずるいな―――」
 息を止める。
 一分。
 二分。
 三分。
 四分―――
「―――ぷはっ」
 ひとつ溜息を吐けば、通常の呼吸リズム。
 気が付けば、ふくらはぎに犬の鼻先。
 その小麦色の頭を撫でて、私は言った。
「犬になりたいな」

「嘘だけど」

  1

 その夜、両親にクラスメイトだと偽って、お姫様を家に泊めた。
「これが上流階級のお屋敷……!」
 萎縮するお姫様の目は節穴で、実際のところ、我が家の年収はお姫様の借金と同じくらいだ。
 反論のマシンガントークが面倒なので、黙っておくけれど。
 夕食を終えて、入浴タイム。
「鳴海ちゃん、お背中流しますっ」
「え……一緒に入るの?」
「いえ、流すだけですっ。あとは身体を拭く為に外で待機ですっ」
「……一緒に入ろっか」
 そういう趣味はなく、むしろ女の子は苦手なんだけど。
 まあいいや。
 男の子じゃ、ないんだし。
「私も洗ってあげるから、バスタオルを取りなさい」
「え……いえ、それは……セクハラですよ?」
「うるさい。従え」
「う……分かりましたっ」
 バスタオルを解けば、天女の羽衣にも似て。
 その肌は。
 気付かない振りをして、お姫様の身体を洗った。
 きっとお姫様は、水嫌いだ。
 だから、長い入浴を強制した。
 お風呂上がり。
 私の部屋で三人、トランプで遊ぶ。
 気分は修学旅行。
 優しくて楽しい。
 楽しくて優しい時間は終わり、就寝時間。
 従兄弟はあてがわれた部屋へと戻り、他に空き部屋はなく。
 だからお姫様には、私と一緒のベッドで眠ってもらう。

 綺麗になったお姫様は、枕の位置で正座した。
 ぽんぽんと、自らの膝を叩く。
「寝心地はきっと、いいはずですよ」
 私は疲れていたので、なにも考えずにお姫様のお膝元に頭を預けた。
 瞬間、まるで魔法のような心地よさに酔いしれる。
「おやすみなさい―――」
 そう言って、私の顔を覗き込みながら目を瞑るお姫様。
 そしてふたりは、そのまま眠ってしまった。

  0

 肌を照り焼く琥珀色の太陽。
 陽炎揺らめくコンクリート色のコンクリート。
 風情としてはいまいちの、ミンミン蝉の大合奏を背に。
 夏休み。
 バス停にて。
 サンドウィッチを渡して、お見送り。
「また来てね、お兄ちゃん」
 頷き、人の頭を撫でつける従兄弟。
 そして彼の隣には、とても小さなお姫様。
 私の服を着た、同じ大きさのお姫様。
「養う弱みに付け込んで、やりたい放題だね?」
 慌てて否定する従兄弟と、そんな彼と距離を置くお姫様。
 うん、これで言い残したことならあまりない。
 幸せを失っていく人魚姫の物語はここまでで。
 幸せになっていく灰かぶり姫の物語は、ここからだ。
「ばいばい、綾鳥陽菜子」
 頷くお姫様が私のことを抱き締めると、やがてバスがやって来た。
 乗り込み、遠ざかり、手を振るふたりに手を振る。
 さてと。
 焼けたコンクリートの上、のたくるミミズを目に、釘付けに。
 一歩、二歩、三歩。
 四歩―――

「―――ぷはっ」
 つづく!
(ss2-26.html/2007-12-26)


/掌を太陽に!へ
short short 2nd
21 クロノ・トリガー-Ievan Polkka-
22 物の怪クダン-I've Been Working on the Railroad-
23 イノセントマリオネット-Orphee aux Enfers-
24 赤犬のワルツ-Minute Waltz-
25 月姫のタンゴ-Libertango-
26 海鳴りの詩-Soap Bubbles-
27 掌を太陽に!-We are not Alone-
28 クロノ・クロス-Oklahoma Mixer-
29 インフェルノフェスティバル-Mayim Mayim-
30 まつりのあと-Auld Lang Syne-
31 ノータイトル・エチュード-Cotelette-
EX 原曲一覧-Original Title-
EX キャスト-Crossing-
Character List
水瀬鳴海-ミナセ・ナルミ-
Ruby
¥字路-エンジロ-