カーネーション
ノベル不思議の国のアリストクラシー>ウサギノトケイ
Interlude-1
  A

 その少し前の話。
 黒髪の少年から『時計を抱えた兎のぬいぐるみ』をプレゼントされた亜麻色の髪の少女は、幸福で顔が緩むのを必死に抑えながら教会の扉を開きました。
 手を洗って顔を洗ってシスターの作ったチキンライスを食べて、その日当番であった皿洗いを終えたあとでお風呂に入りました。幸せな気分に浸っていると気付けば三十分以上の時間が経過していたので、慌てて髪と顔と身体を洗って浴室を出ました。
 髪と同じ色のパジャマを身に付けて、プレゼントの入った紙袋を抱えて二階に上がりました。そこには―――バルコニーには金色の髪の少女が居て、イブの午前から降り続けている雪を見つめていました。その様子が「わたしこれから自殺しますね」と言っているように見えた亜麻色の髪の少女は、持ち前の『消極的なお節介焼き』という称号を活かして金色の髪の少女に話しかけました。
「寒くない?」
 金色の髪の少女は目をこすったあとで振り向いて、「めちくち寒いです先輩」と言いました。
「その中身が焼き芋でありますように」
「ごめんね。とても食べられそうにない、ぬいぐるみ」
「あぁ、例の彼氏さんのプレゼントですか。相変わらず仲良し子良しなのですなぁ」
 言って、金色の髪の少女は「このこのぉ」と肘で亜麻色の髪の少女を小突きました。
「明日にも別れますように!」
「不吉なこと言わないでよー」
「だって先輩ばっかり幸せでずるいです…………」
 金色の髪の少女はいつになく情緒不安定の様相でした。起こったことは口にすればストレスにならないと踏んだ亜麻色の髪の少女は「なにかあったの?」とストレートに聞きました。
「…………たとえ話を、聞いてくれますか?」
「うん」
「先輩と彼氏さんと、そのどちらかが生き残る為にはそのどちらかが死ななければならないとして、それなら先輩は、どの選択肢を選びますか?」
「それはとても難しいね…………」
 亜麻色の髪の少女は悩んで、耳障りのいい言葉だとか自分をよく見せる意見だとかは考えないで、それでも金色の髪の少女が望む意見ではない言葉を紡ぎました。
「彼が許してくれるのなら、一緒に死にたい」
 金色の髪の少女は意外そうな顔をして、そのあとで「天国と地獄に生き別れますように」と悪魔のようなことを言いました。かくしていつも通りの様相に戻りました。
 それでふたりは別れて、金色の髪の少女は未だバルコニーで雪を掴んでいましたが、亜麻色の髪の少女の方は自分の部屋に戻りました。そのあとで「どうして『どっち』じゃなくて『どの』と聞いたんだろう?」と疑問を口にして、首を振りました。
 それから紙袋の中から『時計を抱えた兎のぬいぐるみ』を取り出すと、それを抱き締めてベッドの上に寝転がりました。それは初めての恋人からの、初めてのクリスマスプレゼント。亜麻色の髪の少女は外では決して見せないような緩んだ表情をすると、ぬいぐるみの時計の部分にキスをしました。
 そのとき、すべての音が、消えてなくなりました。
  世界は終わりました。
「…………?」
 亜麻色の髪の少女が時計を見ると、驚いたことに十秒前より十分経過していました。見ているうちに分針が秒針と同じ速度で動き出して、秒針は見たこともない速度で回転していました。亜麻色の髪の少女は恐ろしくなって、ベッドから飛び起きました。
 ベッドの軋む音は聞こえませんでした。
 現在時刻はあっという間に二十一時三十分。誰かに相談しようと扉を開けると、なんの冗談か六つの部屋すべてのドアが開いていました。覗き込んでみれば中はもぬけの殻。家具のひとつも置いていない、誰も暮らしていない部屋が並んでいました。
 バルコニーからは、嵐のように吹きすさぶ音のない風。
 その小説のような事実に打ちのめされた亜麻色の髪の少女は、ぬいぐるみを抱えたまま螺旋階段を駆け下り、食堂を抜け、神父の部屋へ。しかしそこには『あるはずの部屋』がありませんでした。もちろんシスターの部屋も同様に消失していました。
 その圧倒的な違和感に苛まれているあいだも時計は残酷に進み、示す時刻は二十二時四十分。熟考している時間はないと来た道を戻り、食堂を抜け、聖堂へ。夜の聖堂は神秘と不気味が紙一重で、亜麻色の髪の少女は急いで最後の扉を開きました。
 そこに広がっていたのは神秘と不気味を越えた、不思議な世界でした。
  空を見れば星が流れ、
  月を見ればくるくる廻る、
  あらゆる事象が加速している世界。
 当たり前のように音はなく、まるで夢の中に居るみたい。
 そして自分は六十分の一の世界に取り残されてしまったのだと認識した亜麻色の髪の少女は、人ひとり通らない道路を歩きました。
 現在時刻は二十四時。一歩踏み出すたびに風に揉まれて、二歩進むごとに一分が過ぎる。あるいはこの世界に人が居なくてよかったと嘆息する亜麻色の髪の少女は、その発想から目的地を見つけてしまいました。
「晴一…………」
 誰も居ない世界の中で、亜麻色の髪の少女は恋人である黒髪の少年を求めました。『時計を抱えた兎のぬいぐるみ』の時計にキスをしたことで新しい世界が始まったのなら、あるいはそれをプレゼントした黒髪の少年はなにか知っているのかもしれない。
 たとえ知らなくても、家族を見失った亜麻色の髪の少女が頼れる相手は黒髪の少年しか居ませんでした。
 目的地は―――琥珀町団地。
 いつもなら走れば十分で着く教会から団地までの道程も、いまは十時間。朝になれば目的地は琥珀町団地じゃなくなるかも、と不安に思った亜麻色の髪の少女は休まずに記録的な速度で走り続けました。
 空が白み始めて、時計を見れば午前六時。
 呼吸の限界を感じながらも心臓破りの坂を登り切ると、そこに黒髪の少女が立っていました。それはフリースとジーンズ姿の―――見慣れた服装の少女。
 過呼吸気味に息を吸う亜麻色の髪の少女に、ゆっくりと話しかけました。
「あの、はじめまして…………」
 それは人と話すことに慣れていない、滑舌の悪い声。その雰囲気に既視感を憶えながらも、しかし亜麻色の髪の少女はそれどころではありませんでした。
「時間に取り残されているのなら、私に話しかけられる人なんて―――」
 時計は未だに狂ったままで、黒髪の少女以外の音は一切聞こえず、それはつまり。
「…………頭が、いいんですね」
「え?」
「どうして外に、出たんですか?」
「…………」
 亜麻色の髪の少女は答えませんでした。
 黒髪の少女は目を瞑って言いました。
「不思議の国のアリスが兎の穴に落ちたとき、その先がいきなり女王の庭だったとしたら、泣き虫であったところのアリスは誰の助けもなく切り抜けることができるのでしょうか」
 黒髪の少女は出会い頭とは段違いに流暢に語りました。
 目蓋を開けて、自己紹介。
「わたしの名前は、黒朱鷺時雨」
 黒髪の少女は無表情のまま言い放ちました。
「亜麻鷺那々―――」

「―――あなたは、死刑です」

 依然として動かない、時の減速の呪いをかけられた亜麻色の髪の少女は、黒髪の少女が手にした大鎌に斬り刻まれました。
 あとに残ったのは兎の時計と、切り落とされた三つ編みだけで。
 空にはただ、雪だけが――――――
(lp2-5.html/2006-12-25)


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Aristocracy in Wonderland
Title
ex キャスト-Princess Arice-
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