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ノベル>CS>空の詩[デフ・ミュート] | ||
Blide in the Air[Deaf-Mute]
0 ふたりはお互いにお互いを支える、童話のように優しい姉弟でした。 1 そんな夢を見て、シドは目を醒ましました。そこは二段ベッドの上でした。目覚まし時計は鳴る五分前だったので、アラームを解除して上半身を起こしました。それから階段を使わずに、一段目の柵に足をつけて飛び降りました。一段目のベッドではソラが安らかに眠っていました。シドはその安眠を妨害しました。 「 」 ソラは使いもしないのに目蓋を開いて、それをシドの目に合わせました。それは繰り返しの成せる業でした。シドはソラを抱き起こして、腕を組みました。ドアを開けました。階段を下りました。そこは食卓でした。真冬の水道でふたりは顔を洗いました。 「 」 シドはシスターに渡されたパンとシチューとサラダを九人分並べました。早起きは三文の労働を生みました。それから神父と残る五人の子供達が食卓につき、神に祈ってから食事を摂りました。今日の皿洗いはソラの当番でした。繰り返しの成せる業でソラは難なく皿洗いを終えました。 「 」 ソラは言って、そしてふたりは部屋に戻りました。制服に着替えて鞄を持ちました。準備はそれでおしまいで、ふたりはまた階下に降りました。今度はチャペルに繋がる扉を開きました。バージンロードを逆向きに歩いて、ふたりは外に出ました。外は曇りでした。 「 」 ソラが車椅子の方がいいとねだりました。シドは正直に言えばそっちの方が楽だったので、ソラの意志を尊重しました。くっついて歩きたいときはソラの意志を無視しました。そうして車椅子の方が面倒なのだと思い込ませて、シドはどちらに転んでも損をしないように勘定していました。 「 」 学校に到着すると、先輩こと鬼ヶ島太郎に遭遇しました。彼は琥珀色中学校の番長でした。ソラは番長に車椅子を備品室に置いてくるように命令しました。番長は泣きそうになりながら従いました。シドはそんな彼を見送って、ソラとふたり二年三組の教室に入りました。 「 」 そこには金髪の欧米人や銀髪の西洋人が居ました。忍者服に身を包んだ男の子や帯刀した女の子が居ました。シドとソラはそんなクラスメイトたちと挨拶を交わして、そして隣り合わせの席に座りました。シドは鞄からノートを取り出して、書いては消してを繰り返していました。 「 」 ソラの疑問に、シドは『ひみつ』と返しました。それからソラは銀髪の西洋人とお喋りをしていました。それはそれだけで小説になるほどの流れるような対話でしたが、シドの耳には届きませんでした。はつかねずみの代わりに先生がやって来ました。シドはノートを鞄に戻して、それから初めて授業用のノートを取り出しました。 2 昼休みになると、ソラは番長に誘拐されました。そこは屋上でした。 「冬の屋上は寒すぎるよ」 「男なら、ア、武士は食わねど高楊枝!」 「男でもなければ武士でもない上に、お腹空いたなんて言ってないよ」 番長は笑って、それからお弁当をソラに渡しました。いつも学食で済ませているソラは食費が浮いたとばかりに受け取って、それから言いました。 「シドの分は?」 「もう渡したよ。なんか書き物してたぞ、あいつ」 「なにを書いているのやら」 好きな人でも出来たのかな、とソラは呟きました。伝える手段が文字である限りソラには読めないので、それは自分以外に宛てられたものなのだろうと考えたのでしょう。 「でも、文字はすごいよね」 ソラは鳥そぼろご飯を食べながら言いました。 「言葉には―――声と、文字と、二種類あるんだね」 「ああ」 「声と声で対話ができて、私はそれにばかり頼っていた」 「目が見えないからな」 「耳が聞こえないシドは、文字と文字のやり取りに頼っている」 「そう考えると、悲劇の姉弟だな」 「でも―――声は文字に移すことが出来て、文字は声に出すことが出来るんだよ」 ソラは渡された烏龍茶を飲んだあとで言いました。 「だから、文字はすごいと思うんだ」 「ソラ―――」 「なに?」 「前から思っていたんだが、おまえ、漢字、読めるのか?」 「…………」 ソラは烏龍茶の詰まった水筒をぎゅっと抱き締めました。それは返すつもりなんてないのだと言うように。喉が渇いて死ねばいいのだと言うように。 「喉が渇いた! 死ぬ!」 「先輩よりは読めると思うよ」 「分かった! 認める! だから返せ!」 それからソラは水筒に口をつけて一息にすべて飲み干したりしたあとで、ご馳走様でしたと言いました。そして立ち上がりました。屋上の扉までひとりで歩いていきました。それから階段を下ろうとするソラの肩を追いついた番長が捕まえて、聞きました。 「おまえ、本当は―――見えていたのか!?」 ソラは番長と目を合わせて、シニカルに笑いました。そして言いました。 「もう慣れたんだってば」 空が真っ赤に染まりました。 ソラが眼鏡を外して、言いました。 3 「私は、盲目とは無関係に甘えん坊なんだ」 「とてもそうは見えないが」 「それはシドに甘えているから」 「ああ、なるほどな」 「でもそのシドは、私より重い障害を抱えてしまった」 「盲目より聾唖の方が重いのか?」 「だって対話できないんだよ?」 「手話とか読唇術とかあるだろう」 「私、手話できない」 「俺もできない……」 「『言葉の力はすごい』という言葉のその意味は、きっとシドが一番よく知っているんだよ」 「嫌になるほど体感したのだろうな」 「だから私は、いつまでもシドの重荷になってちゃ駄目なんだ」 「あいつはきっと重荷だなんて思っていない」 「世界にふたりきりなら、それでもいいんだけどね」 「他人の声が怖いのか」 「周りの目が怖いんだよ」 「向かうところ敵だらけだな、あんたたちは」 「だからシドに負ぶさることはもうやめたの」 「こんどはソラがシドを背負うのか?」 「背中合わせに、なるんだよ」 「ああ、その手があったか」 「隻翼の鳥なんて、大嫌いな童話だったけれど」 「それはどうして?」 「見た目の問題」 「さようですか」 「同じ方向を見ていないのなら、それはツガイじゃないよね」 「ツガ……? いや、うん。きっとそうなんじゃないかな!」 「だからもう―――私と付き合える人なんて居ないなんて、言わないよ」 「え?」 「そんな言葉は、やっぱり甘えん坊の発言なんだ」 「ソラ?」 「付き合うのなら、普通の子として扱って欲しい」 「それは、つまり」 「―――私と付き合ってください、鬼ヶ島先輩」 言って、ソラは眼鏡を差し出しました。 受け取れば肯定を。あらゆる言葉は否定を意味するのでしょう。 番長は、迷わずに―――あらゆる言葉を、放棄しました。 4 そして番長の物語は終わり、放課後になりました。姉弟の所属している部活動は休みでした。 ソラは雨の音を聞いて、シドの掌に『あめがふってる』と書きました。シドが外を見るとそこには確かに大粒の雨が降り注いでいて、シドはソラの掌に『くるまいすはつかえないね』と書きました。 「 」 ソラが共通の友達から傘を借りると、ふたりは腕を組んで廊下を歩きました。 程なくして下駄箱に着くと、ソラはシドに絡めていた腕を解きました。 「 」 指先で下駄箱を撫でて、その節目をカウントしました。図書館のように膨大に並んだ下駄箱の中から、ソラはそのほぼ真ん中にあるロッカーを選びました。 「 」 ソラが首を傾げると、シドは頷きました。それから『せいかい』とソラの掌に刻みました。 ソラは自分のスニーカーを取り出して、宙空で片足ずつ履き替えました。そのあとで上履きを仕舞って、シドが同じことをするのを待ちました。気分は上々でした。なにもかもが上手くいく予兆なのだと思いました。 「 」 しかし依然として外は雨でした。ふたりは当たり前のように相合い傘で外に出ました。校内である限りは珍しくない「仲良し姉弟」は、しかし外の世界では認めて貰えませんでした。 「 」 シドは奇異の目を見ない振りしました。 「 」 ソラは陰口を聞かなかったことにしました。 それはいままでとなにひとつ変わらない光景であり、それだって中学生だからこの程度で許されているのだとソラは思いました。小学生の頃は暖かい目で見られていたけれど、きっと高校生になれば絡まれることくらいはあるのでしょう。ひとりで歩けるようにならなければいけないと、ソラは強く思いました。いままで一度だって使わなかった杖を、帰ったら練習しようと思いました。それはいままでにないポジティブな発想でした。 それでも、雨は。 雨は次第に激しくなり、相合い傘を強かに叩きました。それでソラはいま自分がどこに居るのか分からなくなってしまい、怖くなってしまいました。シドの腕を強く抱き締めました。シドはいつものように受け入れて、その優しさに溺れてしまいそうで、ソラは腕から力を抜きました。 そのとき。シドは、ソラの腕を―――振り解きました。 「 」 ソラは傘と一緒に放り出されて、濡れた地面に尻餅をつきました。癇に障った行動を取ってしまったのだろうか、自分は間違ったことをしてしまったのだろうかとソラは濡れた思考で考えました。それはポジティブな、甘ったれた発想でした。姉弟に与えられた物語は最悪のものでした。 「 」 ソラは弟の名前を呼びました。 しかしその声は雨に掻き消されました。 彼女の耳には、地面を踏みつけて走るシドの足音が聞こえました。 そのあとで、まるで幻聴のような猫の声を聞きました。 そして―――車の通り過ぎる音を聞きました。 人体がコンクリートに叩き付けられたような音を聞きました。 「 」 ソラは、這うようにして音のした方へと近寄りました。 そこにはシドが横たわっていました。 頭から血を流して倒れていました。 腕の中にはいつかの三毛猫が居ました。 5 「 」 ソラは狼狽えました。人を呼ぼうと声を出しても、雨に掻き消される程度の声しか出せませんでした。 「 」 ソラはシドの身体に抱きついて、泣きました。決意も覚悟も恋の告白も、すべてを忘れて泣きました。夢なら醒めて欲しいと思いました。過去の記憶のそのすべてを失ってもいいから、なにもかもなかったことにして欲しいと思いました。ソラは依然として甘えた子供のままでした。 それでも、なにも成せないほど赤子では、ありませんでした。 「 」 ソラは立ち上がって、道路の中央に立って両手を広げました。道行く車を止めようとしているのでしょう。それは生贄となった巫女のようでした。豪雨の前に、視界は最悪。あるいは彼女はこのまま轢かれてしまうかもしれません。 「 」 彼女は待ちました。それはいままでの人生と同じくらいの長さに感じられました。早くしないとシドが死んでしまうかもしれないという焦燥感、本当は既に死んでいるのかもしれないという絶望感。地獄のような寒さと恐怖の中、彼女は待ち続けました。生きている心地がしませんでした。 「 」 彼女は懇願しました。しかしずっと寄り添って生きてきたふたりには、正義の味方を拒んだふたりには、救いの手は差し伸べられませんでした。辺りは廃屋、林道の細道。道行く車は極めて稀でした。 起きた奇跡はと言えば、それは誰もこの道を通らなかったことくらい。 言葉の力を愛したこの世界は、対話を失った姉弟を拒みました。 「 」 世界がその光景に飽きた頃、ソラは膝をつきました。既に事故から一時間ほど経っていました。それは重傷が重体になるくらいには危うくて、重体から死者になるには十分すぎるほどの時間でした。 そして姉弟の物語は終わりました。 故にあとは、エピローグを残すばかりです。 これは役者が尽きたあとの、蛇足にもならないナレーション。 「 」 琥珀色中学校へ娘を迎えに車を走らせていた男が、道の真ん中で倒れた少女の前で止まりました。 車を降りて抱き起こしてみれば、彼女の身体はひどく冷たく、意識が朦朧としていました。男は狼狽えることなく彼女を車の助手席に乗せて、それからすぐに車を発進させようとしました。 「 」 男の太ももに、少女の手が触れました。 「 」 少女がそう言うと、男は車を降りて辺りを探しました。果たしてそこには猫を抱えた少年が倒れていました。男は少しだけ躊躇ったあとで、牙を剥く三毛猫と一緒に、少年を後部座席に乗せました。 男が運転席に戻ると、少女は眠っていました。 「 」 言って、男は車を発進させました。大通りに出ました。少しだけ走って、すぐに止まりました。 男は少女の身体に触れました。 「 」 男は少女の服を脱がせて、水滴を払いながらその身体を撫でました。 後部座席の三毛猫が、断末魔の遠吠えのように鳴きました。 男は舌打ちをして、怒鳴りました。 「 」 猫は黙って、車は依然として停まったままで。 赤色が―――――― (cs1-4.html/2006-12-10) /空の詩[ブライド・イン・ジ・エアー]へ |
Complete Story[1]
Title 01 ブラインド 02 ディスコミュニケーション 03 オーフェン 04 デフ・ミュート 05 ブライド・イン・ジ・エアー 06 ダイアログ・イン・ザ・ダーク /コンプリートストーリー |