カーネーション
ノベルCS>空の詩[ブラインド]
Bride in the Air[Blindness]
  0

 いつかどこか、男の子と女の子が居ました。

  1

 その女の子の方を俺は好きになった。付き合いたいと思った。その高い背丈と肩を並べたかったし、その長い髪を撫でてみたかった。黒縁の眼鏡が可愛かった。水のように流れる声をずっと聴いていたかった。その為には恋人同士になるのが最短で、しかし俺と彼女は友達同士でさえなかった。一足飛びは危険だった。
 女の子のことが好きである俺は、しかし前述の「男の子」ではなかった。それは彼女の弟のことだった。ふたりはいつも一緒に居た。腕を組んで登校しては、いつだって隣同士の席だった。何故か先生はそれを許していた。そのクラスでは当たり前のこととして寄り添う姉弟を受け入れていた。ひとつ上の学年であるところの俺はその理由が分からずに、気持ち悪く思っていた。でも彼女のことは好きだった。極上に可愛かった。
 だから俺は恋の告白をすることにした。
 それでも問題は山積みだった。彼女はいつだって弟と一緒に行動していたし、ひとりになることなど極めて稀だった。具体的に言えばトイレに行くときと着替えるときぐらいのものだった。女子トイレや更衣室で待ち伏せるのは変態扱いされること必至なので他の案を考える。呼び出すことにした。手紙をしたためた。
『あなたのことがすきでした。ひとめみたときからすきでした。ひとめぼれってやつですね。つみぶかいひとです。つぐなうつもりがあるのなら、どうかおくじょうにきてくれませんか? しぬまでまってます。さんねんさんくみさんばん』
 手紙を彼女の下駄箱に入れて待つこと三時間、完全下校時間になった。彼女はとうとう来なかった。手違いがあったのだろうか? 帰り際に彼女の下駄箱を覗いた。手紙は入っていなかった。つまり彼女は手紙を読んだということになる。それにも関わらず来なかったということは、これは振られたということだろうか?
「まさか。これはあれだ、きっと家に帰ってから読んだんだ。また学校に来るのが面倒だったんだ」
 そして俺は翌日も待った。翌々日も待った。恋は三日では冷めなかった。
 そして俺は彼女の教室に行った。適当な生徒を捕まえて言った。
「出席番号二十六番の子を呼んでくれ」
 かくして彼女は俯き加減で歩いてきた。隣には依然として弟が居た。俺は言った。
「ここで話すのもなんだから、屋上に来てくれるか?」

  2

 弟はコアラの子供のように彼女に付いてきた。俺はふたりの手を引き離して言った。
「話が終わるまでそこで待ってろ」
 弟はなにも言わずに言う通りにした。意志の弱い奴だった。見れば彼女と同い年の割には彼女よりずっと背丈が低く、喧嘩も弱そうだった。どうして彼女がこんな奴に依存するのか分からなかった。
 彼女の手を取って、屋上の終わりまでエスコートした。屋上の柵に肘を置いて俺は言った。
「手紙、読んでくれたか?」
「……手紙?」
 彼女はまるでここがスケートリンクであると言わんばかりに柵を掴んで、言った。
「読んでないよ」
「しかし下駄箱からは回収されていた」
「下駄箱……」
 彼女は目を瞑って、風になびく髪を抑えながら言った。
「それ、たぶん弟が取った」
「弟が? 何故?」
「そういう約束だから」
 それはつまり、彼女の弟は彼女にあらゆるプライベートを許さないストーカーということだろうか。
 それなら友達になれるかもしれない。
「なんて書いてあったの?」
 彼女は眼鏡の位置を直して聞いた。俺はここぞとばかりに極上のスマイルを見せて答えた。
「ん? 恋の告白だよ」
「…………」
 彼女は黙り込んだ。いまさらだが彼女はタメ口だった。名札と上履きの色で最上級生であるということは分かる筈なのにタメ口だった。丁寧語から常用語に変わる過程を楽しもうと思っていた俺は、その事実に動揺を隠せなかった。俺はこの子のことをなにも知らなかったのだと気付いた頃、彼女は言った。
「私と……」
「ん?」
「私と付き合える人なんて居ないよ」
 それは自信満々な発言だった。自意識過剰な発言だった。彼女は俺を振ると同時に、世界中の男を振ったのだ。なにがしたいのだろう。
「ばいばい」
 そう言って、彼女が柵をつたって来た道を戻って行った。その途中で弟が彼女の腕を掴んだ。ふたりは俺を見向きもせずに階段を下っていった。
「…………」
 俺は喪失感でいっぱいだった。幻想を打ち砕かれた感じだった。柵を蹴り飛ばした。屋上の柵は僅かに歪んだ。チャイムが鳴った。昼休みが終わった。
 それでも彼女のことを嫌いになれない自分に嫌気が差した。

  3

 放課後になった。俺は依然として屋上に居た。見下げれば、姉弟が腕を組んで昇降口の前に立っていた。俺は思い立って階段を駆け下りた。昇降口に辿り着いた頃、姉弟は校門を右に曲がった。俺は靴の踵を踏み潰して姉弟の後を追った。気付かれないように尾行した。
 姉弟の帰路は長かった。自転車通学が認められる区域まで来ても、まだまだ歩いた。歩く速度もいちいち遅かった。俺はコンビニで肉まんを買い食いしながら尾行した。坂道を上った。
 視界が開けた先に三毛猫が居た。
 いままさに車に轢かれようとしている瞬間だった。
「―――!」
 俺は焦った。視界がスローモーションになった。運転手が携帯電話をいじっているのがよく見えた。しかし時の流れが緩やかなこの世界において、俺だけが―――以下省略。
「ぶるあああああ!」
 俺はダッシュで姉弟を追い抜き、三毛猫を抱えて横に跳んだ。車が足の先を掠めて通過した。速度を落とす気なんてなかった。俺はしたたかに石垣に背中を打ち付けた。しばらく呼吸が出来なかった。
「みゃー」
 ―――それでも、腕の中で三毛猫の鳴いた声を聴いて安堵した。
 俺は猫を解放した。
「大丈夫ですか、先輩」
 見れば、弟が彼女の手を引いて追いついていた。俺は座り込んだまま言った。
「おまえが優しいのは姉ちゃんに対してだけか」
「…………」
「おまえが轢かれそうになっても、誰にも助けられないと思えよ」
 俺は言い捨てて、それから彼女を見た。彼女は三毛猫の額を撫でていた。
「猫」
 彼女は猫に話しかけているかのように、俺に言った。
「助けてくれたの?」
「見てなかったのかよ」
 俺は肩を落とした。それで座ったまま振り向いた彼女は、俺の目を見て言った。
「人は見た目に依らないんだ」
「惚れたか?」
「ちょびっと」
 彼女は指でOKを作って、でもその指は少しだけ離れていた。その隙間がなくなったとき、ふたりは付き合えるのだろうか? 馬鹿にするなよと思いつつ、試しに俺は言ってみた。
「俺と付き合ってくれ!」
「それはだめ」
 殴ってやろうかと思った。しかし俺は我慢して、聞きたかったことを聞いた。
「どうして駄目なんだ」
「だって―――」
 彼女は立ち上がって、弟の腕に自らの腕を絡めた。それはふたりが恋人同士であるという証に見えた。
 かくして言葉の続きは、弟が言った。
「姉は目が見えないんです」

  4

 俺は彼女の眼鏡を抜き取った。目に近付けてみれば、それには度が入っていなかった。
「盲目の眼鏡っ娘だったのか! 騙された!」
 俺は大層驚いた。眼鏡をかけているからには目が見えるのだろうと思っていた。彼女の立ち振る舞いも、女子中学生特有の演技だと思っていた。まさか視覚障害者だったなんて、驚かないわけがない。
「や、てっきり俺はブラコンシスターとシスコンブラザーなのかと」
 それでも俺は話題が暗くならないように努めた。彼女に間の悪い思いをさせるつもりはサラサラなかった。
 そしてそれが付き合えない理由だと言うのなら、それは間違っていると思った。だから続けて俺は言った。
「君が視覚障害者だからって、俺は―――」
「嘘つき」
 俺の告白は中断された。彼女は俺の胸をまさぐって、ポケットから眼鏡を取り返して言った。
「最初から知っていたんだよね?」
「え……?」
 彼女はレンズのない眼鏡をかけた。続けて言った。
「手紙、さっき弟から返してもらったの」
「……読んでくれた?」
「うん」
 彼女は鞄の中から手紙を取りだして、言った。
「点字のラブレターなんて、初めて」
「苦労したんだぜ、それ」
 手紙が平仮名だったのは俺が馬鹿なのではなく、点字には漢字が存在しないからだった。
 それは例えば、屋上の終わりまでエスコートしたりとか。
 それは例えば、三毛猫を助けなかったのは同じだというのに、彼女の方は責めなかったりとか。
 出席番号まで把握しているところの俺は、あらゆるプライベートを知り尽くしたストーカーだったのである。
「分かった。認めるよ。俺は最初からあんたのことを知っていた」
 そして俺は、こんどこそ三度目の告白をした。
「俺はあんたの目になりたいんだ」
 本気だった。正直に言えば初恋で、きっと顔も身体も二の次だった。俺は彼女のことが好きだった。だからこんな不器用な告白になってしまったのだろう。好きな人の前では、なにもかもが上手くいかない。
 そんな最悪の告白に、彼女は無表情を崩して答えた。
「それなら、友達になって欲しい」
 微妙な答えだった。それでも俺は嬉しかった。なによりも彼女と接点を持てたのだ。
 それから姉弟の家にお邪魔して、ウェハース状のパンをもらったりした。俺は極上のスマイルで言った。
「また明日な!」
 彼女は小さく笑って、ばいばいと手を振った。

  5

 かくして春が終わり、夏になった。夏休みのある日のこと、俺は彼女を乗せた車椅子を押して廊下を歩いていた。私立の学園であるところの琥珀色中学校はお金持ちの集うマンモス校であり、以下同文である限り最上級のバリアフリー設備が整っていた。下駄箱で靴を履き替えて、彼女の靴も履き替えさせた。
 外に出て、通行人も少なくなってきた頃、俺はずっと聞きたかったことを聞いた。
「目が見えないって、どんな感じなんだ?」
 無反応な彼女に、続けて言った。
「真っ暗なのか?」
「真っ新なんだよ」
 即答だった。まるで何度も聞かれた事柄のようだった。
 俺は繰り返された質問を繰り返した。
「怖くはないのか?」
「もう慣れた」
 それから彼女は少しだけ自分に酔うようにして言った。
「見えるということがどういうことなのか、ずいぶん前に忘れちゃったよ」
 彼女は十歳を前にして視力を失ったと言った。それは随分と最近のことのように思えた。
 やがて彼女の家に着いて、俺はひとりきりになった。試しに眼を瞑って家まで帰ることにした。電信柱に頭をぶつけた。川にダイブした。それでも俺は諦めなかった。記憶を頼りに、裏道を使って家を目指した。車の音が恐ろしく恐ろしかった。次第に暗いという感覚が希薄になっていった。彼女の言葉は経験論なのだと思った。歩みを止めた。気付いてしまった。自己陶酔していたように見えたあの台詞は全然そんなものではなかった。それは引用された言葉でもなければ考えてひねり出された言葉でもない、ふと口をついて出た言葉だった。彼女が視力を失ったとき、その前後に彼女の苦しみがあったのだと思った。その精神の揺れを経験したあとの、彼女の余裕めいたところを好きになったのだと「気付いてしまった」。
 目蓋を開ければ夕焼けだった。見渡せば知らないところだった。大通りに出て、標識を頼りに家を目指した。
(cs1-1.html/2006-11-24)


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Complete Story[1]
Title
01 ブラインド
02 ディスコミュニケーション
03 オーフェン
04 デフ・ミュート
05 ブライド・イン・ジ・エアー
06 ダイアログ・イン・ザ・ダーク
/コンプリートストーリー
Ruby
真っ新-マッサラ-