カーネーション
ノベルKHM>くすねた銅貨
Der gestohlene Heller
  1

 ある父親が、自分の妻と子供たちと、それに訪ねてきたひとりの佳き友人と、昼の食卓に着いていました。みんながそうして食事をしていて、時計が昼の十二時を打ったとき、その友人は、扉が開き、真っ白な服を着た青白い子供が入ってくるのを目にしました。その子は振り向きもせず、なにも言わず、静かに隣の部屋に入っていきました。そして、少しすると戻ってきて、やはり静かにまた居なくなってしまいました。
 二日目も、三日目も、その子はやってきました。
 そこで友人は父親に「毎日昼時になるとあの部屋へ入っていく、あの白い服の子供は誰の子か」と訪ねました。父親は「そんなことは初耳だ。それにその子をまだ見たこともない」と答えました。
 翌日、時計が十二時を打ち、子供がまた入ってくると、友人は父親にその子を指さして教えましたが、父親にはなにも見えず、母親にも子供たちにも、やはりなにも見えませんでした。友人は立ち上がって、扉のところへ行き、扉を少し開け、中を覗きました。すると、青白い小さな子供が床に腰を下ろし、一生懸命床板の隙間を穿っているのが見えました。けれども、その友人に気付くと、子供は居なくなりました。
 それから友人は見たことを話し、子供の様子を詳しく説明しました。すると、母親はそれが誰であるのか分かりました。
「まあ! それは四週間前に死んだ、私の可愛い『弟』だわ」
 そこで床板を剥がしたところ、『銀貨』が二枚見つかりました。それはその子が以前貧しい人にあげるように言われていた銀貨でした。けれどもその子は、これでラスクが買えると考えて、あげずに取っておき、床板の隙間に隠しておいたのでした。それでお墓の中でも心が落ち着かず、毎日お昼になるとやってきて、その銀貨を探していたのでした。
 それを聞いた友人が銀貨を母親に手渡すと、子供は、その家の長男は言いました。
「ねえおじさん。おじさんには、どうしてその子が見えたの」

  2

 友人は懐から屠殺包丁を取り出して、長男に斬りかかりました。それを母親が庇うと、母親は心臓を抉り取られて死んでしまいました。父親は母親の名を呼び、その小さな肩を抱き寄せました。呼びかけても反応はなく、腕に滴るは鮮血の芳香。それは辞世の句も紡げない、あまりにも唐突な永遠の決別でした。
 かくして戦闘不能に陥った父親を尻目に、長男は―――ヘンゼルは自らの胸で妹の目を塞いで、殺人鬼に背中を向けました。自分の所為で母親が死んでしまった。大人しく『騙されていれば』良かった。ヘンゼルの瞳は暗く、彼もまた戦闘不能に陥っていました。
 この場において戦闘に興じることができるのは、友人こと殺人鬼と。
 そして状況をあまり理解していない、妹のグレーテルのみ。
「お兄ちゃん、どいて」
 兄の腕から抜け出したグレーテルは、殺人鬼と対峙しました。あまりにも幼いグレーテル。されどその体術は、この時点であらゆる魔法使いを凌駕していました。
「お母さんを―――いじめるなぁっ!」
 瞬間移動の如き俊足で、グレーテルは殺人鬼の背後、その上空に現れました。後頭部を狙った鞭のように撓る回し蹴り。
 直撃は免れないはずの不意打ちを、しかし殺人鬼はあっさりと受け止めました。腕でグレーテルの足首を掴み、容赦なくその背中を床に打ち付けます。
「―――っ!」
 グレーテルは呼吸を失い、四肢の自由を失いました。身悶えるその矮躯の上に跨って、殺人鬼は屠殺包丁を突き下ろします。
 されどその必殺は、ヘンゼルの体当たりによって回避されました。
 横から突き飛ばされた殺人鬼が起き上がったとき、目の前には三人の家族が立ち塞がっていました。兄の腕の中で泣いているグレーテル。妹を抱いてその頭を撫でるヘンゼル。そして巨大な斧を手にした父親、斧の王子。
「うぉぉぉぉおおお!」
 王子は巨大な戦斧を大上段から振り下ろしました。殺人鬼はそれを容易く躱し、王子の腕を目がけて屠殺包丁を振り払います。
「従え戦斧! 『大地を抉れッ!』」
 斧は鈍色に光り、床板を抉り取りました。衝撃波に吹き飛ばされる殺人鬼。その両腕を断ち斬り、王子は殺人鬼の首に斧をあてがって言いました。
「孤児たちを殺したのはおまえか」
 殺人鬼は口の端を上げました。
 王子は戦斧を下ろしました。

  3

 殺人鬼の墓を作り終えると、王子はふたつ目の墓穴を掘り始めました。墓標に刻まれた名はプラチナ。それはいつかの、星に祝福された少女の真名。未だ幼い顔立ちの母親は、望まれたままに安らかな顔で、左手に結婚指輪を嵌めたまま埋葬されました。
 そして同じ指輪を嵌めた王子は、孤児院を焼き払い、ヘンゼルとグレーテルを連れて森を目指しました。元々は『七人の王子』の長男として城に住み、しかし名もなき魔女に騙されて城を追われ、貧民街へと至った『貧しい男』。青年は父親になり、そして木こりにならんとして―――彼は森の中に小さな家を建てるのです。
 最後の孤児を後妻として迎え、貧しいながらも幸せな生活。
 それを破壊した泥の魔女をやはり妻として迎えて、彼は三つの指輪を左手に嵌めるのでした。

  4

 そして王子と魔女と兄と妹の冒険譚は始まる前に終わり、十二の童話を消費する勧善懲悪の物語は紡がれないままに失われました。泥の魔女は狼に喰われたおばあさんで、化かされた赤ずきんに殺されてしまったのです。そして目覚めた狼による惨殺劇。その舞台に関わりを持たなかった、否、泥の魔女によってその関わりを断たれた『三人』は、ようやっと物語に参加する権利を獲得するのです。
 三つの指輪を嵌め、鉄から銀から金からその性質を自由に変えることのできる金属でできた戦斧を振り回す木こり、斧の王子。
 その父親から『服従の王族』の力を譲り受け、怪獣のような妹を従えながらも、継母に叩き込まれた『剣術』を磨くことを忘れない勇者、ヘンゼル。
 そして母親から『翼の痣』を譲り受け、泥の魔女から『泥の魔法』を譲り受けたお菓子の魔女、グレーテル。
 ヘンゼルの右手には魔杖レヴァンテイン。
 グレーテルの左手には泥の魔女の竹箒。
 そして繋がれた両手には、星の銀貨が煌めいていました。
(khm154.html/8888-88-88)


/グリム・インデックスへ
Kinder und Hausmarchen
Title
13 くすねた銅貨-Der gestohlene Heller-
/グリム・インデックスへ
Ruby
穿って-ホジクッテ-
撓る-シナル-
戦斧-ギロチン-
墓穴-ハカアナ-